第72話「二度目の帰省」
冬の休暇、二度目の帰省は、前回よりもずっと穏やかな気持ちで迎えることができた。
馬車の窓から見える領地の景色は、雪化粧をしていてもなお、豊かさを感じさせた。畑の畝は整然と並び、遠くには新しく建てられたらしい倉庫も見える。
屋敷の前で出迎えてくれたクラーラは、一年前よりもさらに落ち着いた雰囲気を纏っていた。
「おかえりなさいませ、ノア様」
「ただいま、クラーラ」
「また、背が伸びられましたね」
「クラーラも、なんだか貫禄が出てきた気がする」
「それ、褒めてます?」
軽口を交わしながら、俺たちは屋敷に入った。父と母も、変わらぬ様子で迎えてくれた。母は、俺の顔を見るなり、両手で頬を挟んで、しげしげと見つめた。
「また、大人びた顔になって」
「母上、くすぐったいです」
「あら、ごめんなさいね。つい」
笑い合う二人を見ながら、ハンナも嬉しそうに控えていた。屋敷の空気は、一年前とまったく変わらない温かさで、俺を包んでいた。
その夜、父の書斎で、俺は一年分の帳簿に目を通した。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:エーレンフェスト家の財政状況(昨年比)/年間収入:さらに増加/携行食の販路:隣領を越えて中央にも拡大の兆し/財政基盤:安定期に完全移行/懸念点:特になし〉
一年前に見た数字から、また一段階、成長していた。
「順調すぎて、怖いくらいです」
「順調な時こそ、気を抜くな。そう教えたのは、お前だったはずだが」
父の言葉に、俺は思わず苦笑した。
「はい、肝に銘じます」
「お前の方は、どうだ。王都での暮らしは」
俺は、この一年の出来事――生徒会での改革、ギルベルトとの対立と和解、エリーゼの縁談――をかいつまんで話した。父は、いつも通り多くを語らなかったが、最後に一言だけ付け加えた。
「王都にも、着実に根を張り始めているようだな。レオン殿からも、お前の噂を耳にする、と手紙が来た」
「レオン様から?」
「お前が卒業する頃には、王都での働き口について、相談に乗ってもいい、とも書いてあった」
俺は、少し胸が高鳴るのを感じた。学院を出た後の道筋が、少しずつ形になり始めている。
翌日、クラーラと帳簿の確認を終えた後、彼女がふと、窓の外を見ながら切り出した。
「ノア様が王都に行かれてから、もう二年になりますね」
「早いな、本当に」
「私も、いつまでも見習いのままではいられません。来年度からは、正式に帳簿係として、名乗らせていただくことになりました」
「それは、おめでとう」
「ありがとうございます。……それで、なんですけど」
クラーラは、少し言葉を選ぶように間を置いた。
「正式に帳簿係になったら、ノア様とも、もっと対等な立場で話せるようになるのかな、と思って」
「対等、って、クラーラはもうとっくに対等だよ」
「そうでしょうか。ノア様の『勘』のことも、まだ教えてもらえてませんし」
その言葉に、俺は少し言葉に詰まった。
「いつか、必ず話す。それは約束する」
「いつか、っていうのも、もう何度目でしょうね」
クラーラは、そう言って小さく笑ったが、以前のような諦めの色はなかった。
「でも、いいです。ノア様が、ちゃんと向き合ってくれる時を、待ちますから」
その言葉には、静かな確かさがあった。
屋敷の裏手では、ヴェルナーが一人、剣の手入れをしていた。
「坊ちゃん、少しお時間、よろしいですか」
珍しく、ヴェルナーの方から切り出してきた。
「もちろん」
「以前、約束した話です。そろそろ、お話ししてもいい頃合いかと」
ヴェルナーは、剣を置き、静かに語り始めた。
「私の実家は、元は小さいながらも貴族でした。ただ、父の代で、ある政変に巻き込まれましてね。家名を失い、私も、庶子として扱われるようになりました」
「庶子、って」
「正式な跡継ぎではない、という意味です。剣の腕だけは磨きましたが、どこへ行っても、家柄のことで軽んじられる日々が続きました」
その声には、昔を懐かしむような、それでいてどこか苦い響きがあった。
「坊ちゃんに拾っていただいた時、正直、半信半疑でした。また、使い捨てにされるだけかもしれない、と」
「そんなこと――」
「ええ、今は分かっています。ここでの日々は、そういうものではなかった」
ヴェルナーは、そう言って、珍しく柔らかく笑った。
「長々と、すみません。ただ、話しておきたかったんです」
「話してくれて、ありがとう」
俺は、その言葉に、素直にそう返した。数字では測れない重さを持つ人の歴史に、また一つ触れた気がした。
短い帰省は、あっという間に過ぎていった。再び馬車に乗り込む朝、見送りに立つ皆の顔を、俺は一人ずつ目に焼き付けた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
クラーラの声を背に、馬車は動き出した。三年目という、最後の学年に向けて、俺は静かに気持ちを引き締めていた。
(次回「最終学年」へ続く)




