第70話「条件交渉」
数日後、エリーゼの父から返事が届いた。「条件については、まず非公式にフェルディナント本人と話す機会を設けたい」という内容だった。学院という場であれば、双方の家同士の体面を気にせず、率直なやり取りができる、という判断らしい。
「父が、ここまで思い切った判断をするとは、思いませんでした」
エリーゼは、手紙を胸に抱えながら、どこか感慨深げに呟いた。
約束の日、俺はエリーゼと共に、学院の応接室でフェルディナントを待った。並べた資料には、昨夜遅くまで二人で練り上げた条件案が、几帳面にまとめられている。
「お招きいただき、光栄です」
現れたフェルディナントは、以前と変わらぬ余裕のある笑みを浮かべていたが、その目には、どこか興味深そうな色があった。
「早速ですが、条件について、お話が」
エリーゼが、緊張を押し殺した声で切り出した。
「政治的な後ろ盾の件、範囲と期間が明記されていません。このままでは、シュタイン家の判断を、無期限に預けることになりかねないと考えています」
「ほう。よく気づきましたね」
フェルディナントは、興味深そうに身を乗り出した。
「では、どうしたいと?」
エリーゼは、一度小さく息を吸ってから、はっきりと言葉を継いだ。
「範囲を、特定の議題に限定し、期間も五年を上限とする形で、見直していただきたいと思います。無期限の協力では、シュタイン家の立場が、あまりに不安定になりますので」
俺は、エリーゼの隣で、彼女の言葉に耳を傾けながら、フェルディナントの様子に目を落とした。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:フェルディナントの反応/表面上の態度:試すような余裕/実際の心証:提案の具体性に対する素直な評価、拒絶の兆候は見られない/推測される狙い:本当に欲しいのは無制限の支配ではなく、確実性のある一定の協力関係〉
本当に無制限の支配を求めているわけではないらしい。俺は、その点を踏まえて、口を開いた。
「無期限の協力より、具体的な範囲と期間を定めた方が、フェルディナント家にとっても、計算しやすくなるはずです。曖昧な約束は、結局、どちらにとっても使いにくいものになります」
フェルディナントは、しばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「面白い理屈だ。確かに、曖昧な約束というのは、守らせる側にとっても、実は厄介なものです」
「ご検討いただけますか」
「悪くない提案だと思いますよ。範囲が明確なら、こちらとしても、いざという時に揉める心配が減る。むしろ、感謝すべきかもしれません」
フェルディナントは、資料の数字を指でなぞりながら、感心したように頷いた。
「ただ、私の一存では決められません。父にも、諮る必要があります」
エリーゼの表情に、わずかな安堵が浮かんだ。
「それと」
フェルディナントは、少し声の調子を変えて続けた。
「正直に言えば、あなた方のような人たちと縁を結べるなら、それはそれで悪くない話だと思っています。家同士の損得だけでなく」
その言葉に、エリーゼが驚いたように顔を上げた。
「本当に、ですか」
「学院祭の時から、少し見方が変わりましてね。数字だけでなく、人との付き合い方も、きちんと考えられる方のようだ」
フェルディナントは、そう言うと、立ち上がった。
「近いうちに、改めて正式な返答をお届けします」
彼が去った後、応接室には、しばらく静かな空気が流れた。
「思ったより、話が通じました」
エリーゼが、ほっとしたように息をついた。
「うん。あの人も、ただの冷たい政略だけで動いてるわけじゃないみたいだ」
「ノア様がいなければ、こんな交渉、とてもできませんでした」
「エリーゼさんが、自分の言葉ではっきり伝えたからです。俺は、ただ横にいただけです」
「それでも、横にいてくださっただけで、どれだけ心強かったか」
エリーゼは、そう言って、少し照れたように視線を落とした。
「父に、早速報告しないと。きっと、驚くと思います」
「良い報告ができそうで、良かった」
窓の外、冬の日差しが、雪の積もった庭を照らしていた。結果はまだ出ていない。それでも、確かな手応えが、二人の間に残っていた。
(次回「返答」へ続く)




