第66話「対決」
翌日の放課後、俺はギルベルトを、人気のない中庭の隅に呼び出した。冷たい風が、色づき始めた木の葉を揺らしていた。
「わざわざ呼び出すとは、思いませんでした」
ギルベルトは、いつもの余裕を装ってはいたが、声には隠しきれない硬さがあった。
「噂のこと、聞きました。俺がエリーゼさんの家に恩を売るために、生徒会改革を利用したっていう」
「さあ。何のことだか」
「発生源が、あなたのクラスに近いところだ、という話も」
ギルベルトの表情が、わずかに強張った。取り巻きの姿はどこにもなく、二人きりだった。
「証拠でもあるんですか」
「いえ。ただ、確かめたかっただけです」
俺は、あえて断定を避けた。詰め寄っても、意固地にさせるだけだと分かっていた。前に会った時の彼の反応を思い出せば、それくらいの見当はついた。
しばらくの沈黙の後、ギルベルトは大きく息を吐いた。
「……ええ、否定はしません。僕の取り巻きの一人が、言いふらしたのは事実です」
「あなたが、指示したんですか」
「直接命じたわけではありません。ただ、僕が苛立っていたのを、見かねたんでしょうね」
ギルベルトの声には、自嘲が滲んでいた。
「何が、そんなに苦しいんですか」
俺の問いに、ギルベルトは長く黙り込んだ。それから、絞り出すように言葉を継いだ。
「実家が、いよいよ立ち行かなくなりそうなんです。父の投資の失敗が、思っていたより深刻だったらしくて。このままだと、爵位を返上する話も出ているとか」
「爵位を、ですか」
「ええ。弟妹たちの将来もかかっています。僕がここでどれだけ結果を出そうと、実家が傾けば、何の意味もありません」
その声には、これまで隠していた重さが、隠しきれずに滲んでいた。
俺は、彼の様子に、そっと目を向けた。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:ギルベルトの心理状態/表面上の態度:皮肉・余裕を装う話し方/内面の推定:強い絶望感、逃げ場のなさ/背景の推測:実家の困窮が以前よりさらに深刻化しており、本人にも打つ手がない状況〉
「学院にいる間くらいは、何かで目立っていたかった。噂の一つでも、その拍子だったのかもしれません」
ギルベルトは、そう言って自嘲気味に笑った。
「あなたが、どんどん結果を出していくのを見て、正直、惨めでした。実家は傾いていくのに、辺境の田舎貴族に、こんな場所でまで、負け続けている」
その言葉には、悪意よりも、深い疲弊があった。
「それで、噂を流したところで、何か変わるんですか」
「変わりません。分かってます」
ギルベルトは、力なく首を振った。
「ただ、何もせずにいるのが、耐えられなかっただけです」
俺は、少し考えてから言った。
「噂は、撤回してもらえますか」
「……分かりました。それくらいは、できます」
「実家のことは、俺にはどうにもできません。それでも、話したいことがあれば、聞くことはできます」
ギルベルトは、意外そうな顔で俺を見た。
「なぜ、そこまで」
「困ってる相手を放っておくのは、性に合わないので」
「随分、お人好しですね。散々、噂を流された相手だというのに」
「困ってる理由が分かった以上、いつまでも根に持つのも、性に合わないんです」
その言葉に、ギルベルトは何かを言いかけて、やめた。しばらく俯いていたが、やがて小さく声を絞り出した。
「……考えておきます」
それだけ言うと、彼は踵を返し、去っていった。その背中は、以前よりもずっと小さく見えた。
夕暮れの中庭に、俺は一人残された。数字では測れない重さを、また一つ、目の当たりにした気がした。実家の再建に必死だった父の姿と、今のギルベルトの背中が、どこか重なって見えた。あの頃の父にも、きっと似たような焦りがあったのだろう。それでも、諦めずに立て直す道はあった。ギルベルトにも、その道が見つかればいいと、俺は柄にもなくそんなことを思った。
(次回「グレイフェンベルク家の決断」へ続く)




