第65話「敵意の予兆」
予算改革が一段落してから、二週間ほど経った頃だった。生徒会での仕事も一区切りつき、久しぶりに落ち着いた日々が戻ってきていた矢先のことだった。
「ノア様、少し変な噂を聞いたんですけど」
放課後、リュカが珍しく神妙な顔で切り出した。
「変な噂?」
「生徒会の予算改革、実はお前が自分の贔屓するクラブに得するように仕組んだんじゃないか、って話が回ってる」
俺は思わず眉をひそめた。心当たりなど、まるでない。
「贔屓、って誰の?」
「シュタイン家の令嬢と、随分親しくしてるだろ、って。あの手この手で、令嬢の家に恩を売ってるんじゃないか、みたいな言い方だったな」
「随分と、具体的な言いがかりだな」
「だろ? 俺も、聞いた時は耳を疑った」
くだらない、と切り捨てたい気持ちと同時に、何か引っかかるものがあった。こういう噂は、たいてい発生源がある。
放課後、生徒会室に向かう途中、廊下の向こうにギルベルトの姿が見えた。取り巻きらしい生徒たちと、何やら話し込んでいる。以前よりも人数は少なく、以前ほどの威圧感もなかったが、その分、追い詰められたような雰囲気が漂っていた。目が合うと、彼はすぐに視線を逸らした。
俺は、その様子に、そっと目を向けた。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:噂の広まり方/発生時期:改革の成果が王都で話題になり始めた頃と一致/拡散経路:複数の生徒を経由しているが、初出はギルベルトのクラスに近い層/背景の推測:焦りや妬みに近い感情が動機である可能性〉
やはり、というべきか。あの日の「次に会う時は、これまでのように振る舞うとは、限りません」という言葉の意味が、少し形になって見えてきた気がした。
エリーゼに、それとなくこの話をすると、彼女の表情が曇った。
「グレイフェンベルク家、また何かあったんでしょうか」
「何か、心当たりが?」
「最近、社交界で、あの家の名前があまり良い形で聞かれなくなっているという噂を、耳にしました。詳しい中身までは、私も分かりませんが」
エリーゼの言葉に、俺は嫌な予感を覚えた。あの時見た、余裕のない焦燥感が、また色濃くなっているのかもしれない。
「噂を放っておくのは、危険だと思う」
「ええ。ダレン領で流れた品質不良の噂の時のように、根も葉もない話が広まるのを、見過ごすわけにはいきません」
エリーゼの言葉に、俺は思わず苦笑した。辺境での出来事を、いつの間にか彼女にも話していたらしい。
「今回は、どう動くべきでしょうか」
「まずは、事実じゃないってはっきりさせる。それから、ギルベルトさんに、直接話をしてみようと思う」
「大丈夫ですか、一人で」
「多分。前みたいに、取引の話ならできる気がする」
「今回は、取引というより、彼自身の焦りが相手だと思います。それに応じてくれるとは、限りません」
エリーゼの声には、率直な不安が滲んでいた。
「それでも、話さないよりはいいと思う」
「分かりました。何かあれば、すぐに呼んでくださいね」
エリーゼは、しばらく心配そうな顔をしていたが、やがて小さく頷いた。
「気をつけてくださいね。あの人、今は余裕がないみたいですから」
窓の外、二年目の秋も終わりに近づき、木々の葉が色を変え始めていた。学院祭から続いた穏やかな時間の裏で、また何かが動き出そうとしている。あの日、余剰材料を市場相場で買い取った時に見た、ギルベルトのわずかな軟化を思い出す。あの変化は、まだ本物ではなかったのかもしれない。それとも、今度こそ、何かを変える機会になるのか。俺は、その予兆を、静かに受け止めていた。
(次回「対決」へ続く)




