第63話「馬術部の言い分」
翌日、ヴィンフリートに資料を見せると、彼はしばらく黙って目を通した後、静かに頷いた。
「なるほど、これは無視できない差だな」
「一方的に責めるつもりはありません。ただ、見直す機会があってもいいのではと」
「その通りだ。私からも、話を通しておこう」
ヴィンフリートは、資料を丁寧に閉じながら続けた。
「正直、私も薄々気づいてはいたんだ。ただ、根拠もなく踏み込むのは、揉め事の種になるだけだと思って、後回しにしていた」
「今回、数字が揃ったので」
「ああ。お前が来てくれて、ようやく前に進められる」
数日後、生徒会室に、馬術部の部長が呼ばれることになった。現れたのは、背の高い、落ち着いた雰囲気の生徒だった。
「馬術部部長、ジークハルトです」
想像していたような高圧的な態度はなく、むしろ静かな緊張が伝わってきた。
「予算の見直しの話だと伺いました」
「はい。数字だけを見ると、活動実績に対して、配分がかなり厚いように見えまして」
俺は、努めて淡々と資料を示した。ジークハルトは、それに目を通しながら、ふっと小さく息をついた。
「反論のしようがありませんね、これでは」
意外にも、彼はあっさりと認めた。
「ただ、一つだけ、聞いていただきたいことがあります」
「もちろんです」
「馬術部の費用のほとんどは、実は部員の活動費ではなく、馬の飼育費なんです。餌代、獣医の診察料、厩舎の維持費。これは、部員が来ようが来まいが、かかり続けるものでして」
その言葉に、俺は少し虚を突かれた。単純な優遇の話だと思っていたが、そこには見落としていた事情があったらしい。
「かつては、もっと部員が多かったと聞いています。人数に合わせて予算を組んだのが、そのまま据え置かれていて……正直、今の人数に合わせて単純に削られると、馬の世話が立ち行かなくなります」
ジークハルトの声には、切実さが滲んでいた。
「馬は、生き物です。予算が減ったからといって、餌を減らすわけにはいきません。かといって、部員を無理に増やせと言われても、そう簡単な話でもなくて」
俺は、ジークハルトの言葉を頭の中で整理した。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:馬術部の予算構造/内訳:固定費(飼育・維持費)が全体の七割、活動費(用具・遠征等)が三割/問題の所在:固定費と活動費が一括りに計上されており、部員一人当たりの数字だけでは実態が見えにくい構造〉
なるほど、と俺は思った。問題は、優遇そのものというより、費用の内訳が見えない計上の仕方にある。
「固定費と活動費を、分けて計上するのはどうでしょう。馬の飼育費は、部員数に関わらず必要な分として別枠にして、活動費の部分だけを、実際の参加人数で見直す」
ジークハルトが、目を見開いた。
「それなら、馬たちの世話は守られますね」
「はい。その上で、活動費部分の余剰があれば、他のクラブにも回せます」
「そんな整理の仕方があるとは、思いませんでした」
ヴィンフリートも、感心したように頷いていた。
「双方にとって、悪くない落としどころだと思うが、どうだ」
「異存ありません。むしろ、助かります」
ジークハルトは、深く頭を下げた。
「正直、後ろめたさがなかったわけではないんです。ただ、馬たちのことを思うと、声を上げられずにいました」
その言葉に、俺は少し安堵した。誰かを悪者にせずに、問題を解決できる道が、ちゃんとあった。
会議を終えて廊下に出ると、エリーゼが結果を待っていた。
「どうでした」
「思ったより、話が通じました。向こうにも、ちゃんと事情があったので」
「良かったです。誰かを追い詰める形にならなくて」
「エリーゼさんが、角の立たない伝え方を教えてくれたおかげです」
「そんな、大したことは」
エリーゼは、少し照れたように視線を逸らした。
「馬術部の言い分、聞いてみないと分からないものですね」
「うん。数字だけ見て決めつけてたら、大事なことを見落とすところだった」
エリーゼの言葉に、俺は頷いた。数字は嘘をつかないが、数字の裏にある事情を見誤れば、正しさが誰かを傷つけることもある。それを、また一つ学んだ気がした。
「次は、いよいよ実際の予算改革ですね」
「うん。固定費と活動費、他のクラブの分も、同じように整理していけたらと思う」
窓の外、夕暮れの校庭を、馬術部の生徒たちが馬を引いて歩いていくのが見えた。彼らの足取りは、来た時よりも幾分軽く見えた。
(次回「予算改革」へ続く)




