第62話「据え置かれた予算」
生徒会室で見た数字が、頭から離れないまま数日が過ぎた。授業の合間にも、ふとあの帳簿の数字が浮かんでくる。放課後、俺はエリーゼに、それとなく相談を持ちかけた。
「生徒会の予算配分に、少し引っかかる点があって」
「珍しいですね、ノア様がそんな顔をするなんて」
エリーゼは手元の教科書を閉じ、こちらに向き直った。俺は、差し障りのない範囲で事情を話した。中央貴族出身者の多いクラブへの配分が、活動実績に対して厚いこと。それに手を付けるのが、政治的に難しいらしいこと。
エリーゼの表情が、わずかに引き締まった。
「そのクラブ、名前は分かりますか」
「馬術部、と聞きました」
「……ああ、やっぱり」
エリーゼは、小さくため息をついた。
「馬術部の部長は、確か中央の伯爵家の方だったはずです。うちのような、立場の弱い家からすると、正面から異を唱えるのは、勇気がいる相手ですね」
「エリーゼさんの家も、そうなんですか」
「シュタイン家は、家格こそそれなりですが、後ろ盾となる実力に乏しいんです。だからこそ、こういう場面では、目立たないようにするのが処世術になっています」
「エリーゼさんも、そういう場面、経験あるんですか」
「何度も。声を上げたい場面でも、飲み込んできたことが、正直たくさんあります」
その言い方には、諦めというより、静かな悔しさが滲んでいた。
その言葉に、俺は少し考え込んだ。政治的な力関係が絡む問題は、鑑定だけでは押し通せない。辺境にいた頃、ヘルマン商会や商業組合とやり合った日々を思い出す。あの時も、数字だけでなく、周りの協力があってこそ道が開けた。
「もし、事実だけを積み上げて示せたら、どうでしょう」
「事実、というと」
「馬術部の実際の活動日数、参加人数、施設利用時間。感情論じゃなくて、数字で見せる形にできれば」
エリーゼは、しばらく考えてから頷いた。
「それなら、少なくとも表立って反論はしにくくなりますね」
翌日から、俺は生徒会の権限で、各クラブの活動記録を取り寄せた。届いた書類は、思ったより分厚かった。放課後の空いた時間を使い、一枚ずつ目を通していく。馬術部の記録に目を通すと、想像していた以上のことが見えてきた。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:馬術部の活動実績(直近一年)/活動日数:他クラブの平均を大きく下回る/参加人数:名簿上は多いが、実際の出席率は五割未満/配分予算に対する一人当たりの実質活動費:他クラブの約三倍〉
数字は、想像以上にはっきりとしていた。単なる慣例の据え置きではなく、実態との乖離が、かなり大きい。
「これなら、誰が見ても分かる差ですね」
エリーゼが、資料を覗き込みながら言った。
「あとは、これをどう出すか、です。正面からぶつけると、角が立つと思います」
「相手を追い詰めるんじゃなくて、見直しの機会として提案する形にする、とか」
「それなら、生徒会長のヴィンフリート様に、まず相談してみるのはどうでしょう」
俺は頷いた。数字は揃った。あとは、それをどう届けるかだった。
窓の外、夕暮れの校庭で、馬術部の生徒たちが談笑しながら歩いていくのが見えた。彼らにも、それぞれの言い分があるのだろう。それでも、今の配分が正しくないことは、数字が示している。
「相手を悪者にするつもりは、俺にはないです。ただ、公平にしたいだけで」
「その言い方、忘れないでくださいね。角が立つと、味方になるはずの人まで、敵に回ってしまいますから」
エリーゼの忠告に、俺は素直に頷いた。数字の正しさだけでは、人は動かない。それも、この一年で学んだことの一つだった。
「明日、ヴィンフリート様に話してみます」
「はい。私も、できる限り力になります」
エリーゼの言葉に、俺は少し心強さを感じた。数字だけでなく、人の後押しがあることの意味を、また一つ知った気がした。
(次回「馬術部の言い分」へ続く)




