第60話「二年目の始まり」
夏の名残がまだ残る王都に戻ると、学院の空気は既に新しい年度の緊張感に包まれていた。石畳の中庭には、新入生らしき初々しい顔ぶれが、緊張した様子で列を作っている。一年前の自分も、あんな顔をしていたのだろうかと、俺は少しおかしくなった。
「よお、久しぶり」
寮の廊下で、リュカが軽く手を挙げた。
「里帰り、どうだった?」
「良かったよ。皆、元気そうで」
「お前の方こそ、なんか雰囲気変わったな」
リュカにそう言われて、俺は少し首を傾げた。自分ではよく分からないが、周りにはそう見えるものらしい。
「ケインは?」
「もう部屋にいるはずだぞ。相変わらず、真面目に予習してる」
その言葉通り、部屋を覗くと、ケインが机に向かって教科書を広げていた。血色の良い顔で、集中して文字を追う姿は、一年前とは別人のようだった。
新学期最初の授業で、俺は久しぶりに鑑定を使う機会があった。授業で扱われた架空の商取引の事例を検討する課題だったが、目を通した瞬間、いつも以上に細部まで数字が見えてくる感覚があった。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:課題の商取引事例/従来との違い:数値の背景にある因果関係、複数の要因が絡む場合の影響度合いまで、より鮮明に把握可能/推定される変化:鑑定スキルがLv.2からLv.3へ成長した可能性が高い〉
夏の帰省で、父の書斎の帳簿を鑑定した時にも、どこか手応えが違う気はしていた。それが、ここに来てはっきりと形になったらしい。前世で言う「解像度が上がった」という感覚に近い。以前なら見えなかった数字の繋がりが、今は自然と目に入ってくる。成長には節目がある、という当たり前のことを、改めて実感した。
放課後、エリーゼと顔を合わせると、彼女は以前よりも落ち着いた表情をしていた。
「フェルディナント様との面会、無事に終わりました」
「どうでしたか」
「まだ、はっきりした結論は出ていません。ただ、少なくとも、一方的に決められる話ではなさそうです」
エリーゼの声には、以前のような諦めの色はなかった。あの学院祭での一件が、彼女の中で何かを変えたのかもしれない。
「あの時、ノア様に言われた言葉、ずっと覚えています。値踏みし返していい、という」
「そんなこと言いましたっけ」
「言いました。おかげで、少し勇気を持って臨めた気がします」
エリーゼは、そう言って小さく微笑んだ。以前のような硬さは、もうほとんど感じられなかった。
「それより、聞きましたか。今年は生徒会の会計が交代するそうです」
「会計、ですか」
「ええ。今の会計の方が、今年で任期を終えるとかで。後任を、推薦で決めるという話みたいです」
その言葉に、俺は何となく嫌な予感を覚えた。案の定、翌日の授業終わりに、担任の教師から声をかけられた。
「エーレンフェスト、学院祭の会計、評判が良かったようだな。生徒会の会計に、興味はないか」
「俺がですか」
「適任だと思うがね。無理にとは言わないが、考えておいてくれ」
その日の夕食の席で、リュカとケインにその話をすると、二人とも興味深そうな顔をした。
「生徒会かあ。お前、そういうの向いてそうだもんな」
「面倒事も多いと思いますけど……ノア様なら、大丈夫な気がします」
「二人とも、他人事だと思って気楽に言うな」
俺がそう返すと、リュカがにやりと笑った。
「まあ、やるなら手伝うぜ。俺、顔だけは広いし」
「ケインも、頑張ってください」
「俺は、まだ何も引き受けるとは言ってない」
そう言いながらも、心のどこかで、もう答えは決まりかけている気がした。
俺は、少し考え込んだ。学院祭の経験は、確かに大きな手応えだった。だが、生徒会となれば、扱う金額も関わる人間の数も、また違う規模になるはずだ。
窓の外、二年目の秋の気配が、静かに近づいてきていた。辺境から始まった数字との付き合いが、また少しずつ、大きな舞台へと広がっていくのを感じながら、俺は返事を考え始めた。生徒会という言葉の響きには、学院祭とはまた違う重みがある。断るという選択肢も、頭の隅にはあった。それでも、心のどこかは、もう次の一歩を踏み出したがっているようだった。
(次回「生徒会の一員」へ続く)




