第6話「厨房の職人、初めて"商品"を作る」
マルクとの取引がひとつ成立した翌日、俺は厨房に顔を出してみることにした。
目的はゲルトだった。とはいえ、いきなり本題に入る気はなかった。前世でも、こういう話は雑談から入らないとろくなことにならない。
「ゲルトさん、こないだの干し肉、美味しかった。あれ、いつも食べてるけど、よく傷まないよね」
鍋をかき混ぜていた初老の男が、少し驚いた顔でこちらを振り向いた。
「……坊ちゃんが、わざわざそんなことを言いに?」
「本当に美味しかったから。あの香草の効かせ方、よその保存食とは違う気がする」
「まあ、それなりに工夫はしてますから」
ゲルトはそっけなく答えたが、口ぶりにわずかな照れが混じっていた。褒められ慣れていない人間特有の反応だった。
「昔から、そういう工夫してたの?」
「若い頃はもっと色々試してましたよ。香辛料の配合を変えたり、燻し方を工夫したり」
「今は?」
ゲルトは少し間を置いてから、鍋に視線を戻した。
「今はまあ、決まった量を、決まった通りに作るだけです。誰も味の違いなんて気にしませんし」
その言い方に、俺は何かを感じ取った。諦め、というほど強い言葉でもないが、惰性の匂いがした。前世で見てきた「腐りかけた現場」に似た空気だ。優秀な人間が、誰にも評価されないまま、少しずつやる気を手放していく。会社にとっては地味だが、致命的な損失だった。
「その干し肉、売り物にできると思うんだけど」
言った瞬間、ゲルトの手が止まった。
「……坊ちゃん、何をおっしゃってるんですか」
「隣領で似たようなの売ってるでしょ。あれより、ゲルトさんのやつの方が、たぶん質がいい」
「たぶん、って。坊ちゃんが食べ比べたことあるわけでもないでしょうに」
もっともな反論だった。俺は横にいたクラーラに目配せする。
「ゲルトさん、実は先日、うちの倉庫の織物を隣領の商人に売ったんです。マルクさんという方に」
クラーラが話を継いだ。ゲルトの表情が、少しだけ変わった。
「……あの、ずっと売れずに眠ってた織物をですか」
「はい。ノア様が目をつけて、実際に取引が成立しました」
「へえ……」
まだ半信半疑の顔だったが、完全に無視するような態度ではなくなっていた。この手応えは悪くない。
「一度でいいから、試しに仕込んでみてもらえない? 今より少し丁寧に」
ゲルトはしばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついた。
「……まあ、材料が無駄になるだけなら、やってみますか」
乗り気とは言えなかったが、断られなかっただけで十分だった。
翌日、ゲルトは本当に試作品を仕込んでくれた。いつもより時間をかけて燻したのが分かる仕上がりで、香草の香りも普段より強い。俺は皿に並んだ干し肉を前に、鑑定を発動させた。
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【鑑定】
対象:保存食(試作・ゲルト製)
品質評価:隣領流通品と比較して上位クラス
保存期間:通常品比で約1.4倍
市場適性:香辛料の使い方に独自性があり、差別化商品として通用する水準
```
数字ではなく、品質そのものの評価が出てきたのは初めてだった。改めて、このスキルの守備範囲の広さに驚かされる。
「……これ、本当にいい出来だと思う」
「坊ちゃんに味の良し悪しなんて」
「味だけじゃなくて、保存期間も普段のより長い。隣領で売ってるのと比べても、遜色ないくらい」
ゲルトは疑わしそうな顔をしていたが、それでも少しだけ、皿に視線を落とす時間が長くなった。長年ろくに評価されてこなかった仕事に、初めて数字という形で裏付けがついたのだ。悪い気はしないはずだった。
「……坊ちゃんがそこまで言うなら、まあ、もう少し試してみてもいいですけどね」
声のトーンは相変わらず控えめだったが、拒絶ではなくなっていた。小さな変化だ。だが、こういう小さな変化の積み重ねが、結局は一番効くのだと、前世の経験が教えてくれていた。
「ありがとう、ゲルトさん。……今度、これをマルクさんのところに持っていってもいい?」
「好きにしてください。売れなくても、材料費くらいは私が持ちますから」
まだ半分は保険をかけた言い方だった。それでいい。無理に期待させる必要はない。
クラーラが横で小さく笑っていた。
「一歩ずつですね」
「うん。一歩ずつでいい」
織物の次は、干し肉。ひとつひとつは小さな話だ。だが、この家に転がっている「気づかれていない価値」を、こうやってひとつずつ掘り起こしていけば、いつか全体の数字が変わってくるはずだった。
次はこれを持って、もう一度マルクのところへ行く番だった。
(第7話「新興商人マルクの、思わぬ本業」へ続く)




