第5話「織物を売るには、まず"信用"が要る」
負債の中身がだいたい見えてきたところで、俺とクラーラは次の一手を話し合うことにした。
「とりあえず、倉庫の織物を売ろう。あれだけで、返済の足しにはなるはずだから」
「賛成です。……でも、どこに売るんですか?」
そう聞かれて、俺は言葉に詰まった。
考えてみれば当然の話だった。売る相手のあてなんて、俺にはひとつもない。ゴドウィンに頼めば、また買い叩かれるだけだ。かといって、他の商人に飛び込みで「うちの織物を買ってください」と言ったところで、まともに取り合ってもらえるはずがない。
「……正直、そこまで考えてなかった」
「でしょうね」
クラーラの声が、思ったより厳しかった。
「ノア様、失礼を承知で言いますけど、そもそも商人からしたら、うちみたいな家との取引って、かなりリスクが高いんです」
「リスク?」
「はい。品物の質を誰が保証するのか、次も同じ量を用意できるのか、そもそも約束通り納品できるのか――そういうのって、全部『信用』の話なんです。うちには、その信用がまだありません」
言われてみればその通りだった。前世でも同じことがあった。どんなにいい商品を持っていても、取引実績のない小さな会社は、大手の担当者に会うことすら難しい。良いものを持っているのと、それを買ってもらえることの間には、思っている以上に大きな溝がある。
「じゃあ、どうすればいいと思う?」
「まずは、小さく始めることです。いきなり大口の話を持ちかけるんじゃなくて、見本を先に見せて、少量から取引を始める。それで問題なければ、次は量を増やしてもらう。時間はかかりますけど、これが一番確実です」
クラーラは商家の娘らしく、この手の話には迷いがなかった。俺が数字を見る側なら、こっちは商売の作法を知っている側だ。噛み合わせれば、悪くない組み合わせになりそうだった。
「あと、正式に売るなら、父上の許可が要ります」
「……それが一番の難関なんだよな」
父にもう一度話を持っていくのは、正直気が重かった。一度「子供の戯言」として流された話だ。同じやり方でぶつかっても、また同じ結果になる。
だから今回は、方向を変えることにした。「経営方針」を語るのではなく、「倉庫の整理をしたい」という、ずっと地味な頼み方にする。
「父上、倉庫、埃だらけで物が傷んでるところもあって……少し整理したいんです。使ってない古い織物とか、売れるものは売ってしまってもいいですか」
父は少し驚いた顔をしたが、今回は前ほど取り合わないということはなかった。倉庫の整理、というくらいの話なら、忙しい父でも判断できる範囲だったんだろう。
「……好きにしなさい。ただし、変な相手に売って恥をかくような真似だけはするな」
「はい、気をつけます」
小さな許可だった。だが、これで最低限の建前は整った。
次にクラーラが動いた。彼女の実家の伝手をたどって、まだ大きな取引先を持たない、隣領の小さな織物商を紹介してもらったのだ。名前はマルクという、まだ若い商人だった。ゴドウィンのような貫禄はなく、どこか俺たちと似たような、駆け出しの雰囲気があった。
持って行ったのは、倉庫にあった南方産の織物のうち、状態のいいものを二枚だけ。まずは見本として見てもらうことにした。
「これは……ずいぶんいい品ですね」
マルクは布を広げて、しばらく黙って見ていた。それから、慎重な口調で聞いてきた。
「失礼ですが、これと同じものが、まだ何枚かあるんですか」
「十五枚ほど」
「量産できるものではないですよね、これは」
「はい。もう作られていないので、今あるものが全部です」
俺が答えると、マルクは少し考えてから頷いた。
「では、今回はこの二枚を、こちらの値で買わせてください。もし満足いただければ、次は残りの分も相談させてもらえますか」
提示された額は、ゴドウィンが持ちかけてきそうな値段より、ずっとまともなものだった。ぼったくられるわけでも、こちらが足元を見られるわけでもない、ただの適正な取引という感じがした。
「お願いします」
クラーラが横で頷くのを見て、俺は取引に応じることにした。
銀貨が数枚、手の中に落ちてくる。金額そのものは、屋敷の借金からすればごくわずかなものだった。だが、これは初めて、俺たちが自分の手で正当な値段をつけて、何かを売った瞬間だった。
「……あっけないですね、成立すると」
「うん。でも、これでいいんだと思う」
帰り道、クラーラがぽつりと言った。
「次は、量を増やしてもらえるように、こっちも準備しておかないといけませんね」
「そうだな。……あと、これ、織物だけじゃなくていい気がしてきた」
「え?」
「厨房のゲルトが作ってる保存食、あれも似たようなやり方で売れるんじゃないかって」
クラーラは少し驚いた顔をしてから、面白そうに笑った。
「ノア様、目のつけどころ、本当に六歳児じゃないですよね」
「……それは、また今度話す」
俺はそう言って誤魔化したが、頭の中はすでに次のことでいっぱいだった。
小さな取引がひとつ成立しただけだ。金額も、大局から見ればまだ誤差の範囲でしかない。
それでも、これは間違いなく最初の一歩だった。
(第6話「厨房の職人、初めて"商品"を作る」へ続く)




