第4話「帳簿係の少女と、隠された借金の正体」
翌日、昼過ぎになってクラーラを捕まえた。
「昨日の話だけど、時間ある?」
「はい、あの、いつでも」
返事の速さに、少し気圧された。よほど気になっていたんだろう。
場所は選んだ。書庫の隅、普段誰も寄りつかない棚の裏。帳簿を広げるにはちょうどよかった。
「いきなり全部教えるっていうのは無理だから、まずは一緒に帳簿を見てみようか。おかしいと思ってたところ、どこ?」
クラーラは持ってきた帳簿を開いて、指で一箇所をなぞった。
「ここです。隣領商会への支払いの欄なんですけど……去年から急に、この項目だけ増えてて。名目は『農業支援金』ってなってるんですが」
「支援金、ね」
俺はその欄に目を向けた。数字自体は帳簿に書いてある通りだが、そこに紐づく実態を鑑定にかけてみる。
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【鑑定】
対象:エーレンフェスト家 対隣国商会支払い(「農業支援金」名目)
実際の用途:農業関連支出は全体の三割程度。残りは別件の私的な立替・返礼にあてられている
発生時期:一年半前、隣領との関係修復を目的とした個人的な支出から派生
```
「……三割だけか」
「え?」
「あ、いや。……この項目、農業に使われてるのって、たぶん三割くらいだと思う」
クラーラは目を丸くした。
「なんでそんなことが分かるんですか」
誤魔化そうとして、うまい言葉が出てこなかった。仕方なく、半分だけ本当のことを言うことにする。
「……勘、みたいなもの。昔から、数字見てると、なんとなく変なところに気づくんだ」
我ながら苦しい説明だったが、クラーラはそれ以上追及してこなかった。ただ、じっとこちらを見る目には、明らかに「それだけじゃないでしょう」という色があった。
それより先に進めることにした。
「この支出、たぶん父上の個人的な事情が絡んでる。農業支援っていうのは建前で」
「個人的な、というと」
「詳しいことは分からないけど……一年半前くらいに、隣領と何かあったんじゃないかな。関係を直すための、体面のための出費、みたいな」
言いながら、俺は少し複雑な気分になっていた。父を無能だと切り捨てるのは簡単だ。だが、こういう「建前の出費」は、前世でも中小企業のオーナーがよくやっていたことだった。取引先との関係、面子、義理。数字だけでは割り切れない事情が、いつも帳簿の裏側に隠れている。
父は馬鹿じゃない。ただ、立場上、無理をたくさん重ねてきただけなんだろう。
「……ノア様は、本当に六歳児なんですか」
クラーラがぽつりと言った。冗談めかした口調だったが、目は真剣だった。
「なんで?」
「独学って言うには、見えすぎてます。私、三年間この帳簿とずっと格闘してきましたけど、そんな風に一発で言い当てたこと、一度もありません」
図星を突かれて、俺は少し黙った。この子は、思っていたより鋭い。
「……いつか、ちゃんと話す。今はまだ、うまく説明できないだけ」
「分かりました。……無理には聞きません」
クラーラはそう言うと、それ以上は踏み込んでこなかった。代わりに、少し違う話を始める。
「うちも、似たようなものだったんです。実家のグリム家」
「商家だったんだよね」
「はい。父が、取引先との義理を優先しすぎて、採算の合わない仕事をずっと抱え込んでました。周りは『いい人だ』って言うんですけど……気づいたら、店は畳むしかなくなってて」
クラーラの声は淡々としていたが、その奥に、簡単には消えない苦さがあるのが分かった。
「だから私、数字だけはちゃんと見れる人間になりたいと思って。帳簿の勉強、独学で続けてました」
「……それ、この家にとってはかなり貴重な話だと思う」
「そんな、大げさです」
「大げさじゃないよ。数字が読める人間が、この家にはほとんどいない」
クラーラは少し照れたように目を伏せたが、まんざらでもなさそうだった。
俺は帳簿を見返しながら、頭の中を整理する。倉庫の資産、外部との交渉、そして今度は負債の中身。バラバラに見えていたものが、少しずつ一枚の絵になりつつあった。
織物を売るだけでは、たぶん足りない。父が抱えている負債の本当の構造――どこまでが必要な借金で、どこからが体面のための出費なのか――それをきちんと切り分けないと、この家の再建計画は最初から歪んだ土台の上に建つことになる。
一人でやるには、明らかに手が足りない仕事だった。
「クラーラ」
「はい」
「一緒に、この家の帳簿、立て直してみないか」
クラーラは少しの間、こちらを見つめていた。それから、ゆっくりと頷いた。
「……はい。よろしくお願いします、ノア様」
こうして、俺の最初の"仲間"が決まった。
剣も魔法もない六歳児と、独学で帳簿を覚えた没落商家の娘。傍から見れば、心もとない組み合わせだろう。
だが前世でも、会社を立て直すときに必要だったのは、たいてい派手な戦力じゃなかった。数字を正確に読める人間が、ひとりいるかどうか。それだけで、状況は大きく変わる。
(第5話「織物を売るには、まず"信用"が要る」へ続く)




