第56話「学院祭、開幕」
学院祭当日、校庭は朝から人でごった返していた。色とりどりの旗や看板が立ち並び、あちこちから呼び込みの声が響いている。辺境の市とも王都の商店街とも違う、独特の浮き立つような空気があった。
「準備、最終確認します」
エリーゼの声に、俺とリュカ、それに手伝いに来てくれたケインが頷いた。焼き菓子の陳列を整え、値札を並べ、試食用の小皿を用意する。数日前まで硬かったエリーゼの表情には、今はもう緊張よりも高揚が勝っていた。
「体調、大丈夫か? ケイン」
「はい、おかげさまで。今日は俺も、頑張らせてください」
ケインの顔色は、あの頃とは見違えるほど良くなっていた。特待生食事の一件から数ヶ月、当たり前のように過ごせる日々のありがたさを、俺は改めて感じた。
開場の合図と共に、屋台に人が押し寄せてきた。
「いらっしゃいませ、豆と干し肉の携行食風味の焼き菓子です」
エリーゼの声が、思いのほかよく通った。辺境の携行食からヒントを得て試作した菓子は、素朴な塩気と甘みの組み合わせが、意外にも好評だった。
「これ、美味い! もう一個くれ」
「ありがとうございます」
俺は会計を担当しながら、売れ行きを頭の中で追っていた。開始から一時間もしないうちに、想定していた午前中の販売数を、既に超えている。
「これ、ちょっとまずいかもしれない」
俺は思わず、陳列棚に残った菓子の数を見つめた。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:現在の在庫量と客足の推移/このままの客足が続いた場合の予測:昼過ぎには完売、午後の後半は品切れの可能性が高い/在庫の追加調達:菓子材料店に相談すれば、当日中の追加仕入れも不可能ではない〉
「エリーゼさん、このペースだと、昼過ぎには売り切れます」
「本当ですか?」
「もし追加で作れるなら、材料の追加を頼んだ方がいいかもしれません」
エリーゼは一瞬考えてから、きっぱりと頷いた。
「分かりました。厨房の調理場、まだ空いてる時間があるはずです。リュカさん、材料店までの伝令、お願いできますか」
「おう、任せろ」
リュカが飛び出していく。その動きの早さに、俺は少し驚いた。いつも軽い調子の彼が、こういう時はきちんと頼りになる。
昼前、追加の材料が届き、空いた調理場を借りて急遽の追加生産が始まった。ゲルトほどの手際はなくとも、ケインを含めた数人で手分けすれば、なんとか形になった。粉まみれになりながら生地をこねるケインの姿は、あの青白い顔をしていた頃とは、まるで別人のようだった。
「まさか、こんなに売れるとは思いませんでした」
エリーゼが、額の汗を拭いながら笑った。
「良い意味で、予想が外れましたね」
「ノア様の見立てのおかげです。早めに気づいてもらえなかったら、途中で品切れて、お客様をがっかりさせるところでした」
昼過ぎ、遠くの屋台の列に、ギルベルトの姿が見えた。彼のクラスの出店も、それなりに客を集めているようだった。値段を下げて客を呼び込もうとしていた最初の頃とは違い、今は素直に品を売っているように見える。目が合うと、彼は小さく頷いただけで、それ以上は何も言わずに視線を逸らした。以前ほどの敵意は、そこにはなかった。
夕方近く、追加分も含めて、菓子はほぼ完売した。売上を数えながら、エリーゼが小さく息をついた。
「これだけあれば、来年の出店の元手にも、十分なりそうです」
「うん。良い学院祭になった」
俺はそう答えながら、辺境で見上げた収穫の日の空を、ふと思い出していた。数字が積み上がっていく感覚は、場所が変わっても同じだった。誰かの手が加わり、誰かの工夫が積み重なって、一つの結果になる。
「お疲れさん、三人とも」
リュカが、片付けを終えた道具を抱えながら声をかけてきた。
「リュカさんも、お疲れ様でした。伝令、本当に助かりました」
「こういう時に走り回るのは、得意分野だからな」
ケインも、疲れた様子ながら満足げな顔で片付けを手伝っていた。
「今日は、本当にありがとうございました」
「こっちこそ、手伝ってくれて助かった」
夕暮れの校庭には、まだ祭りの余韻が漂っている。しかし、この一日が、まだ終わりではないことを、俺はどこかで感じていた。
(次回「予期せぬ来客」へ続く)




