第54話「グレイフェンベルク家」
翌日の昼休み、俺はリュカに、それとなくグレイフェンベルク家のことを尋ねてみた。食堂の隅で、二人きりの席だった。
「ああ、あそこか。羽振りが良さそうに見えて、実は結構危ういって噂だぞ」
「危ない、って?」
「詳しくは知らないけどさ、父親の代で、投資に手を出して失敗したとか何とか。表向きは今も名家面してるけど、内情は火の車らしい」
リュカは声を潜めながらも、どこか面白がるような口調で続けた。
「昔からの知り合いに聞いた話だから、どこまで本当かは知らないけどな。ただ、ああいう見栄っ張りな連中って、大体そういう裏があるもんだ」
リュカの情報は、噂話の域を出なかったが、妙に説得力があった。放課後、俺はエリーゼにも同じ話を振ってみた。
「私も、似たような話は耳にしたことがあります」
エリーゼは、声を落として続けた。
「グレイフェンベルク家は、数年前から社交界での付き合いに、かなり無理をしているという噂です。見栄を張らないと、家格を疑われる。それが、余計に苦しくしているとも」
「見栄を張るのに、お金がかかるのは、うちの父も昔よく言ってました」
「エーレンフェスト家も、そうだったんですか」
「今は落ち着きましたけど、俺が物心つく前は、結構危なかったみたいです」
エリーゼは、少し意外そうな顔をした。俺の家の事情を、詳しく話したのは初めてだったかもしれない。
「ギルベルトさんは、跡取りなんですか」
「ええ。しかも、下に弟妹が何人かいると聞いています。彼一人が、家の期待を一身に背負っている状態かもしれません」
その言葉に、俺は少し考え込んだ。数日前の廊下でのやり取りを思い出す。あの苛立ちの奥にあったものが、少しだけ輪郭を帯びてきた気がした。
放課後、出店の飾りつけの続きをしていると、廊下の向こうにギルベルトの姿が見えた。取り巻きもおらず、一人で歩いている。心なしか、いつもより肩が落ちているように見えた。
俺は、思わずその横顔に目を落とした。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:ギルベルトの心理状態/表面上の態度:余裕・優越感/内面の推定:強い焦燥感、失敗を許されないという重圧/背景の推測:実家の経済的困窮を知られることへの強い恐れ〉
見た目の余裕とは裏腹に、内側では、随分と追い詰められているらしい。俺は前世で、似たような顔をした人間を何人か見た覚えがあった。体面を保つために、無理を重ねる人間の顔だ。数字の上では見えなくても、その重さは、本人の表情に確かに出る。
「どうかしましたか、ノア様」
エリーゼが、俺の視線の先を追って言った。
「いや……なんとなく、見えてきた気がして」
「見えてきた、とは」
「あの人が、あんなに意地を張る理由」
エリーゼは、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「同情はしますけど、だからといって、何をしてもいいわけではありません」
「それは、そうですね」
「ただ……もし、何か困っていることがあるなら、力になれることもあるかもしれません」
その言葉に、俺は少し驚いた。散々嫌味を言われてきた相手にも、彼女はまだ手を差し伸べる余地を残しているらしい。
「エリーゼさんは、優しいですね」
「そんなことは。ただ、家の事情に苦しむ気持ちは、私にも分かるので」
その一言に、俺は何も言えなくなった。彼女もまた、家という重さを背負って生きている一人だった。
「エリーゼさんなら、どうしますか。もし、ギルベルトさんが本当に困っているとしたら」
「分かりません。少なくとも、今のやり方――誰かを押しのけてでも見栄を保とうとするやり方は、いずれ立ち行かなくなると思います」
「うちの父も、似たようなことを言ってました。値段で殴り合っても、体力のある方が勝つだけだって」
「似ていますね、その考え方」
エリーゼは、少しだけ口元を緩めた。
夕暮れの廊下を歩きながら、俺は今日知ったことを頭の中で整理した。見栄と焦りの奥にある、家族への責任。それは、辺境で見てきた父の姿と、どこか重なるものがあった。
すぐに何かができるわけではない。それでも、ギルベルトという人間の輪郭が、少しだけはっきりしてきた気がした。明日からの学院祭準備、そしてその先に待つものを思うと、まだ何かが起きる予感が拭えなかった。
(次回「歩み寄り」へ続く)




