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万物鑑定士、辺境で経済を制す  作者: 春野ケイ


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第49話「シュタイン家の令嬢」

厨房の一件から数日、教室で担任の教師がこんなことを言い出した。


「来月の学院祭に向けて、各クラスで出店の準備を進めてもらう。ついては、会計役を一人選びたい」


教室が一瞬静まり、それからざわめきが広がった。誰もが、面倒な役回りを避けたいのが本音らしい。視線が集まる中、隣の席の生徒がぼそりと言った。


「エーレンフェスト、お前だろ。特待生の食事の件、聞いたぞ」


どこから広まったのか、厨房主任の一件は、もう教室の中でも噂になっているらしい。断る間もなく、俺は会計役に推薦され、そのまま決まってしまった。周りの生徒たちの、どこかほっとしたような顔が、少しおかしかった。


「では、クラス代表のエリーゼと、一緒に進めてもらう」


教師の言葉に、教室の空気がわずかにざわついた。俺は思わず、教室の前方に座る少女に目をやった。廊下ですれ違ったあの視線の主だった。彼女は表情を変えず、ただ小さく頷いただけだった。


放課後、指定された空き教室に向かうと、エリーゼは既に席についていた。背筋を伸ばし、机の上に書類を几帳面に並べている。


「エーレンフェスト家の方、ですね」


「はい。よろしくお願いします」


「よろしく、はこちらの台詞です。ただ――正直に申し上げますと、あまり期待はしていません」


にべもない言葉に、俺は少し面食らった。


「辺境の会計事情と、王都の学院祭の会計は、勝手が違います。数字が読めても、こちらの相場観がなければ、無駄な出費を増やすだけかと」


「勉強させてもらいます」


俺が素直にそう答えると、エリーゼは意外そうに眉を上げた。反発されると思っていたのかもしれない。彼女はしばらくこちらを見定めるように黙っていたが、やがて視線を書類に戻した。


その日は、出店の内容と、見積もりの確認だけで終わった。焼き菓子を売る出店にするという方針は既に決まっており、材料の仕入れ先から届いた見積書が机に広げられている。


「毎年この業者さんに頼んでいて、特に問題はなかったんですけど」


エリーゼの口調には、これまでのやり方を疑われることへの、かすかな抵抗が滲んでいた。


「この見積もり、去年と同じ業者ですよね」


「ええ。毎年お願いしている、信頼できる業者です」


俺は見積書に目を落とした。数字の並びに、何か引っかかるものがあった。


――景色に薄く数字が重なる。


〈対象:焼き菓子材料の見積書/価格の妥当性:小麦粉・バターとも、王都市場の相場より約一割五分高い/理由の推測:長年の付き合いによる価格交渉の形骸化、他業者との比較検討がされていない可能性〉


「一割五分ほど、高いように見えます」


「……何ですって?」


エリーゼの声色が、初めて変わった。


「市場相場と比べると、ですけど。長年同じ業者さんに頼んでると、値段の見直しって、案外されないものなので」


「根拠は?」


「他の業者の値段を、一度確かめてみるのはどうでしょう。もし本当に高いなら、交渉の余地があると思います」


「憶測で、長年の取引先を疑うのは、いかがなものかと思いますが」


エリーゼの声には、まだ硬さが残っていた。それでも、見積書を見つめる目には、迷いのようなものが浮かんでいる。


「疑ってるわけじゃなくて、確かめてみたいだけです。もし相場通りなら、それはそれで安心材料になりますから」


その言い方が、少しは彼女の警戒を緩めたのかもしれない。エリーゼは、しばらく黙って見積書を見つめていた。


「……調べてみる価値は、あるかもしれません」


その一言は、先ほどまでの素っ気なさとは、わずかに違って聞こえた。


「明日、他の業者にも当たってみます。あなたも、来られますか」


「はい、もちろん」


エリーゼは小さく頷くと、見積書を丁寧に束ねた。窓の外はもう暗くなり始めていたが、彼女の横顔には、先刻とは違う色が浮かんでいるように見えた。


教室を出る間際、彼女がふと呟いた。


「辺境の会計事情は勝手が違う、なんて言いましたけど……数字の見方そのものは、案外変わらないものかもしれませんね」


その一言に、俺はどう答えていいか分からず、曖昧に頷くだけだった。廊下を歩きながら、明日からの相見積もりのことを考えると、少しだけ気が引き締まる思いがした。


(次回「相見積もり」へ続く)


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