第46話「新しい風」
王都に着いたのは、屋敷を発ってから半月ほど経った日の午後だった。
馬車の窓から見えた景色は、辺境の畑や森とはまるで違っていた。石畳の大通り、行き交う人の数、軒を連ねる店の看板。俺は思わず身を乗り出して、その全部を目に焼き付けようとしていた。
道中、御者から聞いた話では、王都の物価は辺境の三倍近いという。同じ麦一袋でも、運ぶ手間と需要の集中が、これほどまでに値を押し上げるものかと、妙なところで感心してしまった。
学院の門をくぐると、白い石造りの校舎がいくつも並んでいるのが見えた。辺境の屋敷が、まるごと中庭に収まってしまいそうな規模だった。
「エーレンフェスト家の、ノア様ですね。学院へようこそ。こちらの寮でお過ごしいただきます」
出迎えの職員は、事務的だが丁寧な口調でそう告げた。特待生用の寮は、一般の寮とは棟が分かれているらしい。案内されながら見た廊下は、辺境の屋敷よりもよほど手入れが行き届いていたが、どこか他人行儀な静けさもあった。案内され、寮の一室へと通される。荷物を置いて一息ついたところで、扉が勢いよく開いた。
「お、来たな! お前が噂の新入生か」
現れたのは、人懐こそうな顔をした少年だった。制服のボタンを一つ外し、いかにも気楽な様子で部屋に入ってくる。
「リュカ・ベルンシュタイン。お前の隣の部屋だ。よろしくな」
「ノア・フォン・エーレンフェストです。よろしくお願いします」
「堅いなあ。辺境から来たって聞いたけど、本当に辺境伯家の子か? もっと荒っぽい奴かと思ってた」
からからと笑うリュカに、俺は少し気が抜けた。前世で言うところの、裏表のなさそうな人懐っこさだった。
「腹減ってないか? 食堂、案内してやるよ」
案内された食堂は、思ったよりも広く、長机がいくつも並んでいた。夕食時にはまだ早かったが、既に何人かの生徒が席についている。
「特待生用の食事は、あっちの列な。一般の生徒とは、ちょっと違うメニューになってる」
「違う、というと」
「量とか品数が、少し控えめなんだよ。学院側の説明だと、特待生の分は別枠の予算で賄ってるから、とかなんとか」
「別枠、か」
「気にすんなよ。俺なんかより、よっぽど良い成績で入ってきたんだろ。堂々としてりゃいい」
リュカは何でもないことのように言ったが、俺はその一言に、思わず視線を落とした。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:特待生食事枠の予算配分/一般生徒との差:品数・量ともに約三割減/根拠となる資料:学院の会計方針には明記されているが、実際の食材調達コストとの整合性はやや不透明〉
三割という数字が、妙に引っかかった。単なる節約という理由にしては、少し極端な差だ。しかも、実際にかかっている食材費との整合性がはっきりしないというのも、引っかかりを強くしていた。「別枠だから」という一言で片付けられた話ほど、後で中身を見ると怪しいことが多い。
「気になるのか、そういうの」
リュカが、こちらの顔を覗き込んでいた。
「いや……ちょっとだけ」
「変わってるな、お前。ま、そういうの、嫌いじゃないぜ」
リュカはそう言って笑うと、俺の肩を軽く叩いた。
夕食を終えて部屋に戻る途中、廊下の奥に、一人の少女とすれ違った。背筋の伸びた歩き方、整った所作。すれ違いざま、少女はちらりとこちらを見て、それだけで通り過ぎていった。値踏みするような、けれど無関心でもない、不思議な視線だった。
俺は思わず振り返ったが、少女はもう廊下の角を曲がった後だった。
「あれ、シュタイン家のエリーゼ様だよ。中央でも指折りの名門」
リュカが小声で教えてくれた。
「近づかない方がいい、って言う奴もいるけどな。俺は、そういうのはよく分からん」
「どうして、近づかない方がいいんだ」
「家柄が違いすぎるって話だよ。シュタイン家に目をつけられたら、面倒事に巻き込まれるとか何とか。まあ、噂は噂だ」
リュカはそう言って肩をすくめると、じゃあまた明日、と言い残して自分の部屋へ戻っていった。
一人になった部屋で、俺は荷物を片付けながら、改めてこの学院のことを考えた。辺境とは違う、格式と噂と数字が入り混じった場所。もっと大きな組織の内側に足を踏み入れたような、そんな感覚が近いかもしれない。
窓の外に広がる王都の夜景を眺めながら、俺は今日一日の出来事を頭の中で整理した。特待生への予算の差、意味ありげな視線、人懐こい隣人。辺境とはまるで違う土地で、新しい数字が、また静かに動き始めていた。
(次回「特待生の食卓」へ続く)




