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万物鑑定士、辺境で経済を制す  作者: 春野ケイ


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第45話「旅立ちの日」

それから、季節はいくつも巡った。


輪作の畑は三年目を終え、境界の休耕地は今や立派な畑として村の暮らしを支えている。豆と干し肉の携行食は、隣領の街道沿いでちょっとした評判の品になり、マルクの商いも以前より格段に大きくなった。ゴドウィンとの取引も安定し、ダレン領での顔役の一人として名を知られるようになっている。屋敷の財政は、もう誰の目にも明らかなほど健全になっていた。負債は完済され、蓄えにも余裕が出てきている。


ヘルマン商会とは、あれから大きな衝突もなく、時折ダレン領の商人組合の会合で顔を合わせる程度の間柄が続いている。あの日、ヘルマンが口にした「正々堂々と」という言葉は、今のところ守られているようだった。


フリーダとトビアスは、それぞれ加工の要となり、若い下働きを指導する立場になった。イェンスも、簿記の仕事にすっかり馴染んでいる。ロルフとダニエルは、水路の見回りを任される頃には、村の職人たちともすっかり顔馴染みになっていた。


ノアは、十二歳になっていた。


背丈はずいぶん伸び、声も少しずつ低くなってきている。それでも中身は、相変わらず前世の記憶を抱えたままだった。


ある晩、夕食の席で、俺はふと口にした。


「父上、俺、一度、この領地の外を見てみたいです」


父が箸を止め、こちらを見た。


「外、というと」


「王都とか、他の領地とか。ここでやってきたことが、他の場所でも通じるのか、確かめてみたい気持ちがあります」


自分でも、意外なくらい素直な言葉だった。前世の記憶を頼りに、この六年ほど、ずっとこの土地の中だけで戦ってきた。それが悪かったとは思わない。それでも、もっと広い世界の数字を、この目で見てみたいという気持ちが、いつからか胸の奥にあった。


父はしばらく黙っていたが、やがて、思いがけないことを言った。


「実は、私も同じことを考えていた」


「父上も、ですか」


「お前はもう、この領地の中では、学ぶことが少なくなってきている。狭い場所に閉じ込めておくのは、惜しい」


父はそう言うと、懐から一通の書状を取り出した。


「王都の学院から、推薦の打診が来ている。財政再建の実績が、王都でも噂になっているらしい」


俺は差し出された書状に目を落とした。


――景色に薄く数字が重なる。


〈対象:王立学院からの推薦打診/内容:実務・経済に強い生徒を求める特待枠/信頼度:王都財務監査局の記録との整合性あり、正規の打診〉


その瞬間、視界の端に、これまでとは違う感覚が走った。何かが、一段階変わったような手応え。鑑定という力そのものが、また少し深いところへ届くようになった気がした。


「行きたいです」


俺は迷わず答えた。


「よろしいのですか。三男とはいえ、跡継ぎ争いから完全に外れるわけではない」


「はい。それでも、外を見てみたい」


父は俺の顔をじっと見て、それから小さく頷いた。


「好きにしろ」


その一言に、いつもの素っ気なさと、それ以上の何かが混じっているのを感じた。


旅立ちまでの数日は、慌ただしく過ぎていった。


クラーラは、帳簿の引き継ぎを終えると、少しだけ寂しそうな顔をした。


「私、この屋敷のことは、しっかり守っておきますから」


「うん、頼んだ」


「それと……いつか、ちゃんと教えてくださいね。約束、忘れてませんから」


その言葉に、俺は曖昧に笑うことしかできなかった。


ヴェルナーは、旅立ちの朝、馬車の前で短く言った。


「道中、お気をつけて。坊ちゃんなら、大丈夫だとは思いますが」


「ヴェルナーも、屋敷のことを頼む」


「もちろんです。ただ……」


珍しく言葉を濁したヴェルナーが、少し間を置いてから続けた。


「坊ちゃんが戻られる頃には、私もいくつか、話せることが増えているかもしれません」


その言葉の意味を、俺は深くは聞かなかった。彼なりの、区切りの言葉なのだろうと思った。


マルクとゴドウィンからは、それぞれ餞別代わりの品と手紙が届いていた。マルクの手紙には「王都でも、いい商いに恵まれますように」と、いかにも彼らしい飾らない一文があった。ゴドウィンの手紙には「様子見の相手だった私を、ここまで連れてきてくれた恩は忘れません」と綴られていて、俺は思わず苦笑した。グスタフからも、村の名産を持たせるようにと言伝があったらしい。


馬車に乗り込む直前、母が俺の手を握った。


「体には、気をつけるのよ」


「はい、母上」


馬車が動き出す。窓の外に、見慣れた屋敷と畑が遠ざかっていく。六年前、熱にうなされながら目を覚ましたあの日から、随分と遠くまで来た。


前に進むたび、何かを積み重ねてきた。これから先も、きっとそうなる。


俺は、これから向かう場所に、静かに思いを馳せた。


(第一部・完)

(第二部「学園寮生活編」第46話へ続く)


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