第42話「組合の壁」
翌朝、俺が食堂に降りると、クラーラは目の下にうっすらと隈を作りながらも、どこか興奮した様子で待っていた。テーブルの上には、写し取った規約が几帳面な字の書き込みでびっしり埋まっている。
「ノア様、見つけました」
差し出された規約の写しには、几帳面な字で印がいくつも付けられている。
「検査の順番は、基本的には加盟年数で決まるんですけど……ここ、『組合の古参会員が保証人として名を連ねた場合は、その限りではない』とあるんです」
「保証人」
「品質を長年見てきた者が請け合うなら、順番を待たなくていい、ということみたいです。たぶん、昔からある例外規定で、今回わざわざ表には出されなかったんだと思います」
なるほど、と俺は思った。表向きの規則で新参を締め出しつつ、その裏の抜け道は、あえて知らせないでおく。いかにも、狙って作られた仕組みだ。
「よく見つけたな。こんな細かい条文、普通は見落とす」
「一度読み始めたら、気になって眠れなくなっちゃって……」
クラーラが照れくさそうに笑った。目の下の隈が、彼女なりの粘り強さを物語っていた。
「でも、誰が保証人になってくれるんでしょう。組合の古参で、うちの品を知っている人なんて」
「ゴドウィンさんは、どうですか」
俺がそう言うと、クラーラが顔を上げた。
「ゴドウィンさん……そういえば、ダレン領での商いは長いですよね」
「品質不良の噂の時も、加工場を実際に見て回ってる。うちの品のことは、他の誰より知ってるはずだ」
その日のうちに、クラーラが早馬で知らせを出した。三日後、ゴドウィンが自ら屋敷を訪ねてきた。事情を聞くと、彼は珍しく即答した。
「もちろん、お引き受けします。むしろ、もっと早くお声がけいただいてもよかったんですよ」
「本当にいいんですか。もしうちの品に何かあったら、ゴドウィンさんの名前にも傷が付きます」
「そこは、私が一番よく分かってます。これまで、ずっと自分の目で見てきた品ですから」
ゴドウィンの目には、これまでの飄々とした軽さとは違う、腹の据わった色があった。俺はその横顔に、そっと目を落とした。
――景色に薄く数字が重なる。
〈対象:ゴドウィンの申し出の真意/打算の有無:低い(自身の商いを守る狙いはあるが、裏切りの兆候なし)/信頼度:これまでの取引実績・言動と一致、誠実な申し出と判断可能〉
打算がまったくないわけではない。それでも、その打算の中身は、こちらを陥れるようなものではなかった。前に感じた「様子見の相手」という距離感は、もうそこにはない。
「それに、正直に言えば、これは私の商いの問題でもあります。ヘルマン商会にいいようにされたら、次は私のところにも同じ手が回ってくるかもしれない。だったら、今、一緒に踏ん張っておいた方がいい」
俺はその言葉に、少しだけ驚いた。ゴドウィンが、こんなふうに自分の言葉で、はっきりと立場を示したのは初めてだった。
父にも報告すると、書き付けに目を通しながら頷いた。
「ゴドウィンの名なら、組合内でも軽くはあるまい」
「はい」
「保証を出してもらう以上、こちらも品質には一層気を配れ。恩を仇で返すことがあってはならん」
「分かってます」
その足で、クラーラが保証人の申請書を整え、ゴドウィンの署名を添えて組合へ提出することになった。マルクからも、組合内の知人を通じて、根回しを続けているとの報告が届いている。
「あとは、組合がどう判断するかですね」
「ヘルマン商会側も、黙って見てるとは思えない」
俺の言葉に、クラーラの表情が少し引き締まった。抜け道を見つけたからといって、まだ何も終わってはいない。むしろ、これからが本番かもしれなかった。
夜、俺は窓の外を見ながら、これまでの出来事を頭の中で振り返っていた。村との水路の縁、マルクとの取引、ゴドウィンとの再会――一つ一つは、その場限りの出来事のように見えていたものが、今になって一本の糸で繋がっている。誰か一人の力だけでは、こんな形で助けは集まらなかっただろう。
「一人でどうにかしようとしてたら、絶対に思いつかなかった手ですね」
クラーラが隣でぽつりと言った。
「うん。みんなの積み重ねのおかげだ」
「ゴドウィンさんも、マルクさんも、ノア様やお屋敷のことを、ちゃんと見てくれてるんだと思います」
その言葉に、俺は少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。申請が組合でどう扱われるか、まだ結果は分からない。それでも、ただ待つだけの状況からは、一歩抜け出せた気がした。
(次回「保証人」へ続く)




