第41話「根回し」
刈り入れの祝いから、五日ほど経った昼過ぎだった。屋敷の空気には、まだどこか実りの余韻が残っていた。
「ノア様、マルクさんが……ずいぶん急いだ様子で」
ハンナに呼ばれて玄関に出ると、マルクが息を切らして立っていた。旅装のまま、休む間もなく駆けつけてきたらしい。額には汗が浮いている。
「すみません、突然。急ぎでお伝えしたいことがありまして」
応接間に落ち着く間もなく、マルクは懐から一枚の書き付けを取り出した。手が、少し震えている。
「ダレン領の商業組合から、こんな通達が出たんです」
差し出された紙には、堅苦しい文言が並んでいた。他領から持ち込まれる食品――特に保存食の類は、今後、組合指定の検査を経なければ流通を認めない、という内容だった。
「検査、ですか」
「ええ。理由は『食の安全のため』とありますが……この検査、組合に長く籍を置く者しか、すぐには受けられない仕組みになっているんです」
クラーラが眉をひそめた。彼女も一緒に、書き付けを覗き込んでいる。
「うちみたいな新参の取引先は、後回しにされるということですか」
「その通りです。しかも、次の携行食の出荷が間に合わなくなるかもしれません」
マルクの声には、これまで聞いたことのない焦りがあった。彼にとっても、積み上げてきた商いの先行きに関わる話なのだろう。
俺は書き付けに目を落とした。文面は淡々としているが、その裏に何かが透けて見える気がした。
――景色に薄く数字が重なる。
このひと月ほどの間に急に持ち上がった話であること。組合の役職に名を連ねる商人の中に、ヘルマン商会と縁の深い者がいること。検査の順番を決める基準が、加盟年数という、いかにも古参に有利な形になっていること。数字と経緯を並べていくと、狙いは自ずと見えてくる。
「これ、たぶん狙われてる」
「やっぱり、そうですか」
マルクの声に、諦めに似た響きが混じった。
「うちを直接どうこうするんじゃなくて、組合の仕組みを使って、時間を稼ごうとしてる。今が一番、量を出したい時期だから」
「価格でも、噂でも、専属提案でも駄目だったから、今度は制度で来た、ということですね」
クラーラの言葉に、俺は頷くしかなかった。相手は思ったより、粘り強い。
父にも報告すると、書き付けを一読して、しばらく黙り込んだ。
「組合の決まりごとに、正面から異議を唱えるのは骨が折れる」
「はい」
「だが、決まりごとには、決まりごとで応じるのが筋だ。無理に押し通そうとすれば、向こうの思う壺になる」
父の言葉は、いつも通り簡潔だった。だが、そこには諦めの色はなかった。
「クラーラ、組合の規約を、隅から隅まで洗ってくれ。抜け道でなくていい、正面から通せる道を探すんだ」
「かしこまりました」
「マルク、お前は組合内で、うちの品を知っている者に、もう一度当たってくれ。今までの取引の実績が、何かの足しになるはずだ」
俺は、二人の背中を見送りながら、書き付けをもう一度見つめた。制度という盾を使われると、鑑定だけでは押し通せない。数字の裏を暴くことはできても、それを組合という組織の中でどう通すかは、また別の話だ。
「今回は、俺一人じゃ無理そうだ」
呟いた言葉に、自分でも少し驚いた。今までなら、どこかで自分の力だけで何とかしようとしていた気がする。
「一人でやる必要、ないですよ」
いつの間にか戻ってきていたクラーラが、書類の束を抱えたまま言った。
「これだけの人が、ノア様のために動いてくれるんですから」
その言葉に、俺は少し救われた気がした。マルクは組合内を、クラーラは規約を、それぞれ当たってくれている。ゴドウィンにも、遠くないうちに事情を知らせておいた方がいいだろう。一人で背負い込む必要はない。前はそれが分からずに、随分と遠回りをしたこともあった。
夕食の席で、父がぽつりと言った。
「向こうも、なりふり構わなくなってきたということだ。裏を返せば、それだけ焦っている証拠でもある」
「焦っている、ですか」
「まっとうな取引で敵わないから、制度に頼る。強者のやり方じゃない」
父の言葉に、俺は少しだけ気が楽になった。
その夜、俺が寝る前に部屋を覗くと、クラーラはまだ明かりの下で組合の写しとにらめっこをしていた。
「まだやってるのか」
「加盟年数の規定、よく読むと少し妙なところがあるんです。長年の実績って、必ずしも加盟した年数だけで測ってるわけじゃないみたいで……もう少し詳しく調べてみます」
疲れた顔をしながらも、目には力があった。俺はそれ以上、何も言わずに部屋を出た。彼女なりのやり方で、この壁に向き合おうとしている。
窓の外、夕暮れの残光はとうに消え、月明かりが畑を静かに照らしていた。刈り取られたばかりの土地の向こうに、まだ見えない相手の思惑が広がっている。今度の一手は、これまでとは違う戦い方が要りそうだった。
(次回「組合の壁」へ続く)




