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万物鑑定士、辺境で経済を制す  作者: 春野ケイ


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第28話「巡察使を迎える」

一月はあっという間だった。


クラーラは帳簿を隅々まで見直し、質問されそうな項目には根拠となる書類を添えて整理し直した。ゲルトは加工場の記録を、フリーダとトビアスは在庫の数を、それぞれ何度も確認していた。ロルフとダニエルも、水路の修理記録をまとめるのを手伝ってくれた。屋敷全体が、どこか張り詰めた空気に包まれていた。


俺自身も、暇を見つけては帳簿の各項目に目を通し、鑑定で裏付けを取り直した。数字自体は嘘をついていないと分かっていても、それを他人に説明できる形にしておくのは、また別の作業だった。前世の監査対応を思い出しながら、資料の並べ方まで気を配った。


「準備は、これで全部か」


父の問いに、クラーラが頷く。


「収支の内訳、契約書の写し、水利協定の書面……一通り揃えました」


「よくやった」


短い労いに、クラーラは少し照れくさそうに頭を下げた。


そして、その日はやってきた。


朝から屋敷の空気は普段以上に静かで、みな自分の持ち場で最後の確認をしていた。俺は父の隣に立ち、来客用の椅子や書類の配置を何度も見直した。


馬車が屋敷の門をくぐる音に、俺は思わず背筋を伸ばした。降りてきたのは、思っていたよりずっと若い男だった。父より一回り以上若く、隙のない身のこなしで、こちらを一瞥する視線には値踏みするような色がある。


「レオン・フォン・ダレンベルクです。此度は、辺境諸領の運営状況を確認する任にて参りました」


丁寧な物言いだったが、そこに温かみはなかった。父が挨拶を返し、屋敷の中に案内する間も、レオンの視線は建物の造りや庭の手入れ具合まで、値踏みするように動いていた。俺は父の後ろに控えながら、なんとなく視線を彼に向けた。


――視界に薄く情報が重なる。以前より、見え方が細かい。


〈対象:レオン・フォン・ダレンベルク/立ち居振る舞い:徹底した合理主義、無駄を嫌う思考傾向/対人姿勢:成果のみで人を判断、感情的な配慮は薄い/現時点の心証:エーレンフェスト領への評価は未確定、数字次第で態度が変わる可能性大〉


思った通りではあったが、実際に見ると少し緊張した。噂通り、この人は人ではなく数字を見る。


客間に通されると、レオンは早速書類に目を通し始めた。無駄のない所作で、次々とページをめくっていく。


「干し肉の卸し先が二系統、水利協定、香草を使った新商品……短期間にしては、随分と手広くやられていますね」


言葉には皮肉めいた響きがあった。父が答えようとする前に、クラーラが一歩前に出た。


「一つ一つは、必要に迫られて動いた結果です。無理に手を広げたわけではありません」


「必要に迫られて、ですか。それにしては、判断が速すぎる」


レオンの視線がクラーラに向く。その目には、値踏みするような色が濃くなっていた。クラーラは怯まず、視線を逸らさずに答えた。


「判断が速いのは、遅れた分だけ損が積み重なる暮らしをしてきたからです。悠長に構えられる余裕は、うちにはありませんでした」


はっきりとした物言いに、俺は少し驚いた。以前の彼女なら、こんな場でここまで踏み込んだ言い方はしなかったはずだ。


俺は内心、この空気をどうにかしなければと思いながら、書類の中の一枚に視線を落とした。


――さっきよりも情報量が多い。細かな支出項目まで浮かび上がる。


〈対象:干し肉加工設備投資記録/支出額:適正範囲内(近隣領地の同種投資と比較して過大でない)/投資判断の根拠:段階的な人員拡充と設備転用、無理な借入を伴わない〉


「レオン様、その加工設備の投資、無理な借入は一切していません。もともとあった旧馬具倉庫を転用しただけです。書類の三枚目に、転用前後の比較が載っています」


俺が口を挟むと、レオンは一瞬、意外そうな顔をした。子供が口を出すとは思っていなかったのだろう。それでも、彼は黙って書類をめくり、しばらく数字を追った。


「……確かに。過大な投資ではないな」


短い呟きだったが、値踏みの色は少しだけ和らいだ気がした。父が横で小さく息をついたのが分かった。


「他にも、確認したい項目がいくつか」


レオンはそう言って、次のページをめくり始めた。まだ、警戒を解いたわけではない。それでも、最初の一撃は防げた。


部屋の隅で控えていたヴェルナーが、俺と目が合うと、わずかに頷いた。何も言わなかったが、その仕草だけで十分だった。長い一日になりそうだった。


(次回「数字の向こう側」へ続く)


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