第25話「香りの行方」
香草を使った干し肉の試作がうまくいってから、次に詰めるべきは量の話だった。
「村がどのくらい余らせられるか、まず数字を出しておきたくて」
俺がそう言うと、クラーラは帳簿の隅に空白のページを開いた。
「今の生産量から逆算すればいいですか」
「うん。今の契約分に、香草入りの分を上乗せするとして、どのくらい要るか」
壺に入っていた香草の量と、ゲルトが半量で試した配合の比率を思い出しながら、頭の中で数字を組み立てる。干し肉の量産を始めた頃は、数字を追うだけで精一杯だったのに、今はこうして先の見通しまで計算できるようになっている自分に、少しだけ驚く。
――視界の端に、薄く数字が重なる。
〈必要香草量:月産換算で壺約6杯分/村側の自家消費分を差し引いた余剰見込み:壺約4杯分相当(推定)/不足分:仕入れ増量交渉が必要〉
思っていたより差があった。今のままの量では、契約分の半分程度にしか行き渡らない。
「足りないかも。村の分を削るわけにはいかないし」
「じゃあ、栽培量を増やしてもらう、という話になりますね」
クラーラの言葉に、俺は頷いた。ただの仕入れ交渉ではなく、村側にとっても新しい仕事が増える話にする必要がある。
「クラーラ、今回、村との話、行ってきてくれない?」
「私が、ですか」
クラーラは目を丸くした。これまで、隣領との交渉はいつもノアかヴェルナーが担ってきた。彼女の役目は、いつも数字を整える側だった。
「数字の話が中心だし、クラーラの方が向いてる。ヴェルナーに一緒に行ってもらうから」
「……分かりました。やってみます」
少し緊張した声だったが、はっきりとした返事だった。
その足で、父に伝えに行った。
「香草の増量交渉、クラーラに任せようと思います」
父は書類から目を上げ、少しの間、俺を見た。
「お前が行かないのか」
「数字周りの話なので、クラーラの方が細かく詰められると思って」
「……好きにしろ」
短い返事だったが、反対はされなかった。以前なら、外との交渉に見習いの少女を出すこと自体、渋られていたかもしれない。今はそこまで気にする様子もない。
数日後、クラーラはヴェルナーと共に境界の村へ向かった。俺は屋敷で帰りを待つ側に回った。前世なら、部下に仕事を任せて結果を待つだけの時間が、こんなにも落ち着かないものだとは忘れていた。
帳簿を見返しても、ゲルトの作業場を覗いても、頭のどこかで境界の村のことを考えている。ハンナに「今日はやけに窓の外ばかり見てますね、普通は逆なのに」とからかわれる始末だった。
夕方、二人が戻ってきた。クラーラの表情は疲れていたが、悪くない顔をしていた。
「グスタフさんに話したら、最初は渋られました。栽培を増やすのは、手間がかかるからって」
「それで?」
「『それなら、増やす分の手間賃を先にお支払いします、収穫の時期にまとめて働いてもらう形で』って言ったら、グスタフさん、しばらく黙り込んで……最後には、それなら村の若い衆にも声をかけられる、って」
前払いという言葉に、俺は少し驚いた。以前、マルクへの前払いでイェンスを雇った時の経緯を、クラーラは覚えていたのだろう。同じやり方を自分の判断で応用してみせたことになる。
「それ、俺が考えてもそこまでは思いつかなかったかも」
「ノア様の真似です。前にうちがやったことを、そのまま向こうに当てはめただけで」
謙遜のようで、そこには確かな自信も滲んでいた。
隣で聞いていたヴェルナーが、珍しく口を挟んだ。
「クラーラ様は、途中で数字が合わないと分かった時も、その場で計算し直して条件を出し直していました。私は口を挟む間もなく」
「ヴェルナーさんは大袈裟です。ただ、慌てただけで」
そう言いながらも、クラーラの声には隠しきれない達成感があった。
「では、正式な話は、また父上に」
「うん、頼んだ」
クラーラは一礼して、書き付けを片手に父の部屋へ向かった。その後ろ姿を見ながら、俺はふと、彼女がもう「見習い」の域を超えつつあることに気づいた。数字を整えるだけの役目から、自分で交渉をまとめる側に。
前世の職場でも、任せた仕事が思っていた以上の形で返ってくる瞬間があった。あの時感じていたのと似た手応えを、今、こんな小さな屋敷の廊下で味わうことになるとは思っていなかった。
香りの行方は、思ったより遠くまで届きそうだった。
(次回「値札のない働き」へ続く)




