第16話「境界のむこう」
夜が明けきる前に、俺とヴェルナーだけで屋敷を出た。人数が多いと隣領側に目立つ、というのがヴェルナーの判断だった。クラーラには「留守を頼む」とだけ伝えてある。
馬を降りてからは歩きだった。俺の足だと、ヴェルナーの半分くらいの歩幅で追いかける形になる。何度か置いていかれかけて、そのたびに彼は何も言わずに少し速度を落とした。
「もう少しです」
低い声で言われて、俺は黙って頷いた。息が上がっていることを、あまり悟られたくない。
境界沿いの土手を越えたところで、目当ての休耕地が見えた。草が伸び放題で、遠目には放棄地としか見えない。人の気配はない。
「見に行きますか」
「いや、ここからでいい」
近づきすぎるのは危ない。俺はその場にしゃがみ込んで、土地に意識を向けた。
土そのものは悪くない。北区画とよく似た性質だ。ただ、思っていたより単純な話じゃなかった。区画の半分は水はけが悪く、残り半分は隣領側の水源に頼らないと使い物にならない。片方だけならまだしも、両方となると自領だけでは完結しない。
「どうです」
「思ったより、面倒な土地だ」
正直に言うと、ヴェルナーは短く「そうですか」とだけ返した。
そのとき、遠くの木立の向こうに人影が動いた。
「伏せて」
言われるより早く、ヴェルナーの手が俺の肩を押さえていた。二人で草の中に身を沈める。見回りらしい二人組が、こちらに気づかず境界沿いを通り過ぎていくのを、息を殺して見送った。
「隣領の見回りです。この時間に出るとは思いませんでした」
「よく気づいたな」
「音でだいたい分かります。慣れです」
淡々とした言い方だったが、そこに少しだけ引っかかった。
「慣れって、護衛の仕事でか」
「いえ。昔、家の中でも似たようなことをしていたので」
それ以上は続かなかった。家柄の問題で不遇だった、というのは前に聞いていた。詳しくは知らない。聞いていいものかも分からない。
「悪い、変なこと聞いた」
「別に。坊ちゃんに隠すようなことでもありません」
それだけ言うと、ヴェルナーは立ち上がって周囲を確認し、戻る合図を出した。
帰り道、俺はずっと考えていた。土地は使える。でも水源の問題は、隣領との話し合いなしには片付かない。せっかく見つけた種が、また別の壁の前で止まっている。
屋敷に戻ると、俺はその足で父の執務室に向かった。
「見てきました。土地自体は使えそうです。ただ、水源の半分が隣領側に依存しています」
父はしばらく黙っていた。
「隣領との話し合い、ということか」
「はい」
「……すぐに動ける話じゃない。少し時間をくれ」
以前なら、それだけ言われれば引き下がるしかなかった。今は、その「時間をくれ」の中に、切り捨てるのとは違う響きがあるのが分かる。
執務室を出ると、廊下はもう暗かった。今日は歩きすぎて、足がやけに重い。
(次回「水を分けてもらう話」へ続く)




