第12話「初めての遠出と、道端の招かれざる客」
出発の朝は、思ったよりあっさりしていた。
荷馬車に干し肉の入った木箱と、残りの織物を積み込む。御者は屋敷で長く働いている老齢の使用人で、隣領までの道はもう何十回も通っているらしい。
「気をつけて行け」
見送りに出てきた父は、それだけ言うと、あとは何も付け加えなかった。素っ気ないと言えば素っ気ないが、以前の父なら、そもそも見送りにすら顔を出さなかっただろう。短い一言の中に、それなりの変化が滲んでいる気がした。
「行ってきます」
俺とクラーラ、そしてヴェルナーを乗せた馬車が、屋敷の門を出た。
道中は、しばらく穏やかだった。両脇に広がる畑や、点々と続く民家を眺めながら、クラーラが荷の数量を帳面で確認している。ヴェルナーは御者台のすぐ後ろに座り、周囲に目を配っていた。何も言わなくても、視線の動きだけで警戒しているのが分かった。
馬車に揺られながら、俺は何気なく窓の外の土地を鑑定してみた。
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【鑑定】
対象:街道沿いの休耕地(隣領との境界付近)
現状:長期間放置された痕跡あり。土壌の状態はエーレンフェスト領の北区画と類似
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うちの畑と似たような問題を抱えている土地が、ここにもあるらしい。深くは考えず、頭の隅にだけ留めておくことにした。今はまだ、目の前の取引が先だ。
その考えを破ったのは、前方から響いてきた声だった。
「そこの馬車、止まりな」
街道の脇から、粗末な身なりの男が三人、姿を現した。得物は持っているが、統率された動きではない。通りがかりの馬車を脅して、金目のものを巻き上げようという、その場しのぎの輩だった。
御者の手が強張るのが分かった。俺自身も、心臓が縮み上がるのを感じた。剣術も魔力もない体では、こういう場面では文字通り何もできない。
だがヴェルナーは違った。
彼はゆっくりと御者台から降りると、男たちの前に立った。何かを言うでもなく、ただ静かに剣の柄に手をかける。それだけの動作だったが、男たちの間に、明らかな動揺が走った。
「……おい、あれ」
「まずいって、あの構え」
剣を抜くまでもなかった。ヴェルナーが一歩踏み出しただけで、男たちは顔を見合わせ、じりじりと後退していく。
「今日のところは、見逃してやる」
捨て台詞を残して、三人はそのまま道の脇の茂みへと駆け去っていった。あっけない幕切れだった。
「……ヴェルナーさん、平気ですか」
クラーラが恐る恐る声をかける。
「問題ありません。あの程度なら、剣を抜くまでもなかったので」
淡々とした返事だったが、その落ち着きが、何よりも頼もしく見えた。
馬車が再び動き出してから、クラーラがぽつりと言った。
「こういう時、ヴェルナーさんがいてくれると、全然違いますね」
「うん。……本当に、そう思う」
これまで、俺は数字や交渉ばかりに気を取られていた。倉庫の資産、帳簿の穴、量産の壁。どれも大事な課題だったが、今回のような場面では、そのどれも役に立たなかった。剣の腕という、俺には持ち得ない種類の力が、状況をあっさりと収めてしまう。
人材というのは、数字の外側でも、こうして効いてくるものなんだと、改めて実感させられた。
その後は特に何事もなく、日が傾き始める頃、俺たちはマルクの店に到着した。
「よくいらっしゃいました。……随分と、頼もしい方をお連れですね」
マルクはヴェルナーの姿を見て、少し驚いた顔をした。
「護衛です。これから、こういう形で行き来することが増えると思うので」
「なるほど。それは心強い」
持ち込んだ干し肉と織物を確認したあと、マルクは改めて切り出した。
「では、正式に契約の話を進めましょうか。定期的な卸しの量と時期、それに価格について」
クラーラが帳面を広げ、細かい条件をひとつずつ詰めていく。俺は横で聞きながら、時々鑑定を挟んで、提示された条件が妥当かどうかを確かめた。数字に大きな不備はなく、話は思いのほかすんなりとまとまった。
「これで、正式に継続の取引ということで」
「ありがとうございます」
握手を交わし、契約が成立した。単発の取引を積み重ねてきたこれまでとは、明らかに違う重みのある一歩だった。
帰りの馬車の中、クラーラが帳面を閉じながら息をついた。
「ようやく、形になってきましたね」
「うん。……でも、これで終わりじゃない」
量産の体制は、まだ整いきっていない。厨房の作業台ひとつ増えただけで、この先の需要に応えきれるとは思えなかった。それに、さっき目にした街道沿いの休耕地のことも、頭の隅に引っかかったままだった。
詰んでいたはずの財政は、少しずつ動き始めている。だが、この先にはまだ、越えなければならない壁がいくつも並んでいるはずだった。
(第13話「量産の壁と、増えすぎた注文」へ続く)




