6話 新しい参謀と真実と現状の安心
6話 新しい参謀と真実と現状の安心
帝都のように変貌した第200階層の拠点から再び迷宮の探索を再開した俺たちは、連日、各部隊の連携強化とレベル上げに明け暮れていた。
破竹の勢いで階層を駆け上がり、たどり着いたのは第160階層のボス部屋。重厚な扉を押し開けた先で俺たちを待っていたのは、これまでの異形の魔物たちとは明らかに一線を画す存在だった。
「……天使?」
広大な石造りのドームの只中。そこにいたのは、純白のドレスを身に纏い、背中に『漆黒の翼』を生やした美しい少女だった。
だが、その手足には神聖な光を放つ鎖が絡みつき、彼女の自由を奪うように縛り付けている。彼女の瞳には深い絶望と、抗えない運命に対する諦念が宿っていた。
「……愚かなる迷宮の挑戦者よ。神に堕とされた私の身を、どうか速やかに滅ぼしてください」
鈴を転がすような、しかしひどく悲痛な声。
直後、彼女の意思とは無関係に漆黒の翼が羽ばたき、無数の黒い羽が鋭い刃となって俺たちへと降り注いだ。
「ッ! ガイ、ゴル! 前へ!」
「カシャァァン!」
「グルォッ!」
ガイの巨大な盾とゴルの肉厚な体が前線に立ち、俺たちを守るように羽の刃を弾き落とす。
攻撃の威力は凄まじいが、彼女自身は苦しげに顔を歪め、涙を流していた。彼女は望んで戦っているわけではない。神に『ボス』としての役割を強制され、無理やり操られているのだ。
「そんな悲しい顔で戦わなくていい……! もう、終わらせる!」
俺は床を蹴り、一瞬で彼女の懐へと飛び込んだ。
凄まじいステータスの暴力による超高速移動。彼女が反応するより早く、俺はその華奢な体を両腕で強く抱きしめた。
「え……?」
「もう大丈夫だ。痛かったな、辛かったな。……俺が、全部包み込んでやる」
俺の心からの願いに呼応し、ユニークスキル【慈愛の箱庭】が発動する。
温かく優しい金色の光が俺の手から溢れ出し、彼女を縛り付けていた神の鎖を粉々に打ち砕いた。そして、光は彼女の魂の奥底まで浸透し、絶望と恐怖を溶かしていく。
「あ、ああ……なんて、温かい……」
光が収まると、彼女は俺の胸の中で安堵の涙を流し、その場にへたり込んだ。漆黒の翼はそのままだったが、そこから放たれていた禍々しい気配は完全に消え去り、澄んだ魔力へと変わっていた。
「大丈夫か? 俺は天導零。君の名前は?」
「私は……かつて神に仕え、そして見捨てられた堕天使、シルフィアと申します。……まさか、このような形で『魔王様』にお会いできるとは」
シルフィアは恭しく膝をつき、俺を見上げてそう言った。
「っ……やっぱり、俺は『魔王』なのか……?」
言葉を解する、明らかに高位の存在からの指摘。
俺の心に、これまでずっと抱えていたどす黒い不安が再び蘇る。人間たちに討伐されるべき、絶対悪としての存在。
だが、シルフィアは俺の不安を察したのか、優しく微笑んで首を振った。
「はい、零様は間違いなく神がこの地に配置した魔王です。無限に広がる拠点、強力な配下を従えるシステム……すべては、あなたを恐怖と支配で魔物を統べる『残虐なる暴君』へと育て上げ、地上を蹂躙させるための神のレールでした」
「じゃあ、俺は結局、人間たちと殺し合う運命にあるってことじゃ……」
「いいえ。零様はご自身の力で、その運命のレールを完全に破壊なさいました」
シルフィアの言葉に、俺は目を見開いた。
「本来、魔王の力とは『絶対的な恐怖による支配』です。魔物たちは理性を奪われ、破壊衝動のままに進軍するはずでした。……しかし、零様の力は違います。あなたのスキル『慈愛の箱庭』は、神の呪縛すら上書きするほどの底なしの愛情。今、あなたの後ろにいる彼らを見てください」
シルフィアに促されて振り返ると、リムが首を傾げ、コハクやガルムが尻尾を振り、ゴルやガイ、タラたちが穏やかな気配でこちらを見守っていた。配下の魔物たちも、誰一人として殺気立っていない。
「彼らの中にあるのは、破壊衝動ではありません。あなたという絶対的な『家族(王)』を慕い、守りたいという純粋な愛と理性です。残虐性を持たない彼らなら、地上に出ても無闇に人を襲うことは決してありません。……つまり、人間たちと対話し、友好的な関係を築くことは十分に可能なのです」
「……っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。
本当は、ずっと怖かったのだ。
この大好きな家族たちを引き連れて地上に出た時、人間たちと血で血を洗う戦争をしなければならないのではないかと。優しいリムやコハクたちに、人間の血を吸わせなければならないのではないかと。
だが、俺の『慈愛』が神の計算を狂わせた。平和への道は、確かに残されているのだ。
「よかった……本当によかった……!」
「ピュイ……」
「ワォン」
へたり込んで安堵の涙を流す俺の頬を、リムがひんやりとした体で拭い、コハクが心配そうに舐めてくれる。
「ただし、喜んでばかりもいられません」
シルフィアが、少しだけ表情を引き締めて告げた。
「零様が階層のボスを倒し、転移陣を開放して上へ向かっているという『迷宮の異常事態』は、すでに地上の人間たちにも魔力波による神託として伝わっているはずです。人間たちは神の意図通り、『最凶の魔王が軍勢を率いて地上へ侵攻してきている』とパニックになっているでしょう」
「……あー、なるほど。向こうからしたら、下から得体の知れないバケモノの大軍が昇ってきてる状態だもんな」
「はい。ですから、地上に到達した際、私たちが無害であることを証明し、人間たちとの関係を改善するための『対策』を今のうちから練っておく必要があります。さもなければ、問答無用で討伐隊と衝突することになります」
「わかった。地上に出るまでの間に、人間とどうコンタクトを取るか、シルフィアも一緒に考えてくれ」
「はい、喜んで。我が慈愛の主よ」
シルフィアという、世界の真理を知り、人語を解する優秀な参謀(そして新たな家族)が加わったことで、俺の心はこれまでにないほど晴れやかだった。
その後、俺たちは第160階層のボス部屋を拠点として、周辺の未踏破エリアの制圧とさらなるレベル上げを行った。
シルフィアが加わった恩恵は凄まじかった。彼女は上空から戦況を俯瞰し、的確な指示と光・闇属性の強力な魔法支援を行ってくれる。俺が細かく指示を出さなくても、シルフィアの指揮のもと、ゴルの前衛部隊、ガルムの遊撃部隊、リムたちの魔法部隊が恐ろしいほどの連携を見せ、魔物の群れを次々と無力化していったのだ。
「よし、みんな! 今日の訓練と探索はここまで! 拠点に帰ろう!」
体感で半日ほど暴れ回った後、俺たちは第160階層の転移陣を起動した。
最悪のシナリオを回避できるという希望を胸に、俺たちは光に包まれる。
——そして、第200階層への帰還。
「オオォォォォォォォッ!!」
「我らが王の帰還である!!」
転移陣の光が収まった瞬間、俺たちを出迎えたのは、さらに倍以上に膨れ上がった配下の魔物たちの地響きのような大歓声と——。
「……なんかもう、山一個くり抜いて『帝国』作っちゃってないか、これ」
前回の『地下都市』からさらに途方もないスケールへと変貌を遂げた、巨大な城下町と荘厳な魔王城だった。
温泉施設に至っては、もはや「湖」と言っても過言ではない広さの露天風呂が完成している。
相変わらずの謎システムの過剰な接待に頭痛を覚えつつも、今の俺の足取りは驚くほど軽かった。
「……まぁいいか! シルフィア、お風呂の後は新入りの歓迎会だ! みんなで美味いもん食うぞ!」
「ふふっ、はい。楽しみにしております、零様」
人間と分かり合える可能性。
その希望の光を手に入れた俺の顔には、この迷宮に落ちてきてから一番の、心からの笑顔が浮かんでいた。




