33話 神の懐柔
神界の最奥。
先ほどまでの激戦の喧騒が嘘のように静まり返ったその場所に、周囲の白磁の空間とは明らかに異質な、禍々しいほどに美しい『黄金の巨大扉』がそびえ立っていた。
「ここが、天界のシステムルーム……『管理者領域』」
堕天使シルフィアが、かつての上司——いや、この世界そのものを創り出した創造主が潜む扉を前に、ごくりと息を呑む。
「鍵穴も取っ手もねえな。……ゴル、一緒に開けるぞ」
「グルァッ!」
レイとオーガ・ロードのゴルが分厚い扉に手をかけ、規格外の筋力で強引に押し開く。
ズゴゴゴゴゴゴッ……! と重々しい音を立てて開かれたその奥に広がっていたのは、想像を絶する光景だった。
玉座も、豪華な装飾もない。
そこにあったのは、無数の光のケーブルが張り巡らされた、巨大な『サーバー室』のような無機質な空間だった。
部屋の中央には、下界の大陸を映し出す巨大な立体ホログラムが浮かび上がり、その上部には『創世の光(世界リセット)』発動までのカウントダウンが赤々と明滅している。
そして——その無数の光のケーブルの中心。
空中に磔にされるようにして繋がれていたのは、威厳ある老人の姿でも、恐ろしい化け物の姿でもなかった。
「……子供?」
レイが思わず呟く。
そこには、性別すら曖昧な、透き通るような白い肌と銀色の髪を持った『小柄な少年(あるいは少女)』が、虚ろな瞳で宙に浮いていたのだ。
『……侵入者。特異点、天導零。ヨクゾ、ココノ防衛網ヲ突破シタ』
口は動いていない。だが、部屋全体からあの無機質な声が響き渡る。
間違いない。このケーブルに縛り付けられた子供のような存在こそが、この世界を数万年にわたって管理してきた『神』そのものだった。
「お前が神様か。随分と窮屈そうな場所に引きこもってるんだな」
レイが一歩踏み出すと、神の虚ろだった瞳に、明らかな『動揺』と『怒り』の色が浮かんだ。
『近ヅクナ!! 貴様ノ存在ハ、世界ノ魔力バランスヲ根底カラ崩壊サセル!』
神が叫ぶと同時、ホログラムの映像が激しく切り替わった。
映し出されたのは、数万年にわたるこの大陸の歴史。人類が繫栄し、魔力を消費し尽くし、大地が枯れ果てそうになる光景。そして、そこに魔王が投下され、あるいは教国が聖戦を起こし、人類が「半減」することで、再び世界に魔力が満ちていくという残酷なサイクルの記録だった。
『見ロ! 生命ハ増エ過ギレバ、世界ノ魔力ヲ食イ尽クシ、星ソノモノヲ死ニ至ラセル! 故ニ「間引キ」ハ絶対ノ理! 私ハ、コノ星ヲ存続サセルタメニ、数万年モコノ玉座ニ縛ラレテ、血塗ラレタ歴史ヲ管理シ続ケテキタノダ!』
「……それが、神託を下して人間と魔物を争わせてきた理由か」
大公エレオノーラが、悲痛な顔で目を伏せる。
神は決して、悪意や快楽で人間を殺していたわけではない。ただ、星を延命させるための『冷酷なシステム』として、自らをこの部屋に縛り付け、嫌な役回りをたった一人でこなし続けていたのだ。
『ソレナノニ……貴様ハ! バグデアル貴様ハ、魔物カラ闘争本能ヲ奪イ、人間ト手ヲ結ビ、世界ヲ平和ニシテシマッタ! コノママデハ世界ハ魔力枯渇デ滅ブ! ダカラ私ハ、スベテヲ消去シテ、創リ直サネバナラナイノダ!!』
神の叫びと共に、システムルーム全体が激しく振動し始めた。
カウントダウンの数字が、異常な速度で減少していく。
神はレイという「予定外の平和」をもたらしたイレギュラーに恐怖し、自らの全存在(魔力)を賭けて、即座に『創世の光』を強制起動させようとしていた。
「させません! 零様、下がって——」
シルフィアやゴルたちが、神の極大魔力を前にレイを庇おうと前に出る。
「待て。みんなは手を出さないでくれ」
だが、レイは家族たちを静かに制止し、武器を抜くこともなく、無防備な姿のまま神へと歩み寄っていった。
『クルナ!! 消エロ、バグ!! 私ハ完璧ナ管理者ダ! 私ノ数万年ノ正シサヲ、否定スルナァァァッ!!』
パニックに陥った神が、大陸を消し飛ばすためにチャージしていた『創世の光』のエネルギーを、なんとレイただ一人に向けて、システムルーム内で直接ぶっ放したのだ。
視界を白く染め上げる、絶対的な破壊の極太レーザー。
エレオノーラたち人間陣営が悲鳴を上げかけた、その瞬間。
「——一人で背負い込んで、苦しかったな」
破壊の光の奔流の中で、レイの優しく、力強い声が響いた。
レイの胸の奥底から、これまで何千、何万という魔物たちを癒やし、家族として迎えてきた『無償の愛』の力が、限界を突破して爆発的に膨れ上がった。
ユニークスキル【慈愛の箱庭】の、究極の進化形態。
——【慈愛の創世】。
レイの体から溢れ出した黄金色のオーラが、神の放った絶対破壊の光を、いとも容易く『塗り替え』ていく。
破壊のエネルギーはレイに触れた瞬間、温かな黄金色の羽や花びらのような光の粒子へと変換され、神界全体を優しく包み込んでいった。
『バ、馬鹿ナ……!? 私ノ、創世ノ光ガ……全テ、優シイ魔力ニ、置キ換ワッテ……!?』
神が驚愕に目を見開く中。
光の粒子を掻き分け、レイは神を縛り付けていた無数の光のケーブルの前に辿り着いた。
「もういい。こんな冷たい部屋で、何万年も一人ぼっちで嫌われ者をやる必要なんてない」
レイは、自らの『慈愛の創世』の魔力を両手に込め、神の小さな体を雁字搦めにしていたケーブルを、束ごと一気に引きちぎった。
『あ……ぁ……?』
空中に投げ出された神の体を、レイはしっかりと抱き止める。
そして、その小さな背中に手を回し、ドンッと優しく、力強く抱きしめた。
「魔力バランスが崩れるなら、俺たちの魔力でなんとかしてやる。お前が一人で泣きながら世界を壊さなくてもいいように、俺たちが一緒に支えてやるよ。……だから、もう頑張らなくていい」
その言葉と、レイから注ぎ込まれる、温かくて、大きくて、絶対的な『愛』。
数万年もの間、ただのシステムとして世界を俯瞰し、誰からも感謝されることなく、ただ孤独に血塗られた歴史を紡ぎ続けてきた神。
その氷のように冷え切っていた心の核が、レイの体温に触れた瞬間、完全に溶け落ちた。
『あ……あぁぁぁ……っ』
神の目から、大粒の涙が溢れ出した。
それは、システムとしての機能が完全に崩壊し、ただの「心を持った一つの生命」へと生まれ変わった瞬間の産声だった。
『う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁん……っ! 怖カッタ……ずっと、一人デ……寂シカッタヨォォォッ!!』
絶対的な創造主は、レイの胸に顔を埋め、子供のように声を上げて大号泣し始めた。
その涙がこぼれ落ちるたび、神界を覆っていた無機質な白磁の空間が、緑豊かな草花や、温かい光に満ちた美しい楽園へと書き換えられていく。
神がシステムから解放されたことで、この世界を縛り付けていた『人類間引きのルール』は、レイの慈愛の魔力によって完全に上書き・消去されたのだ。
「……信じられない。神様を……この世界のシステムそのものを、愛の力で陥落させてしまうなんて……」
シルフィアが、ポロポロと涙を流しながらその場に跪き、祈りを捧げるように手を組んだ。
「フフッ……本当に、規格外の優しさね。私たちの魔王殿は」
エレオノーラもまた、扇子で顔を隠しながら、その美しい瞳に安堵の涙を浮かべていた。
ゴル、ガルム、コハク、リムたち家族も、主の最強で最高の勝利を確信し、満足げに喉を鳴らしている。
上空のホログラムに赤々と表示されていた『世界リセット』のカウントダウンは、すでに消滅していた。
地上を覆っていた絶望の巨大魔法陣も、黄金色の温かい光の粉となって、世界中の空へと美しく降り注いでいることだろう。
「よしよし。いっぱい泣いて、スッキリしたか?」
レイが背中をポンポンと叩くと、神はしゃくりあげながら、赤い目をしてコクコクと頷いた。
「じゃあ、帰ろうぜ。俺たちの街……最高に騒がしくて、温かい『家族』がいっぱいいる場所にさ」
孤独な神様を連れた、神魔大戦の結末。
それは、誰の命も奪わず、世界そのものを温かい愛で丸ごと包み込んだ、究極の『無血の勝利』であった。




