34話大団円(グランドフィナーレ)
神界での『神様ぶん殴り(物理からの特大ハグ)作戦』から、数ヶ月の月日が流れた。
世界を滅ぼそうとした創世の光は温かな光の雪となって大陸中に降り注ぎ、枯渇しかけていた世界の魔力を優しく満たした。
空を覆っていた絶望の魔法陣は消え去り、今日という日も、慈愛の魔王国には雲一つない青空が広がっている。
「はぁぁぁぁ……。極楽、極楽じゃ……。神聖魔力が、湯の温もりと共に解けていくようじゃ……」
魔王国が誇る超巨大公衆大浴場、その一番広い露天風呂。
頭にほかほかのタオルを乗せ、ぷかぷかと湯船に浮いている銀髪の幼い少女が、とろけたような顔で呟いた。
その頭の上ではスライム・エンペラーのリムが「ピュイ♪」と心地よさそうに揺れ、背後ではかつて天界軍の部隊長だった天使が、甲斐甲斐しく少女の背中を流している。
「神様……少しお背中が凝っておりますね。リムちゃん、もう少しマッサージの圧を強めにお願いできますか?」
「ピュイッ!」
「ああっ……そこじゃ、そこが最高に効くのじゃ。……何万年も玉座に縛り付けられておったからな、肩こりが酷くてかなわん」
そう。この銀髪の幼女こそが、かつて世界を管理し、人類を間引くシステムとして君臨していた『創造主(神)』その人である。
レイの【慈愛の創世】によってシステムから解放され、心を取り戻した彼女は、神の座をあっさりと放り投げた。そして現在は『エル』という名をもらい、魔王国の大浴場と大食堂を入り浸る「ただのぐうたらな居候幼女」へと見事なジョブチェンジを果たしていたのだ。
「風呂上がりの『ふるーつ牛乳』なる飲み物は、まだあるか?」
「はいっ! 冷え冷えのものをたっぷりご用意しております!」
「うむ、良きかな良きかな。下界は本当に天国じゃな!」
かつて冷酷に世界をリセットしようとした面影は微塵もない。
彼女は今、何万年分もの『楽しい日常』を、魔物や天使たちと共に全力で満喫していた。
***
一方、魔王国の執務室では、世界最高峰の首脳会議……もとい、レイに対する『最後の説得』が行われていた。
「——ですから、零様! 神様が隠居されてしまった今、この世界の魔力バランスと理を束ねる『新世界の神』の座には、貴方様が就くべきなのです!」
「我ら天使一同、零様が神の座に就かれるのであれば、永遠の忠誠を誓います!」
身を乗り出して熱弁するルカ教皇と、それに深く同調して平伏する天使の代表たち。
彼らの言うことも一理ある。システムが崩壊した今、世界には明確な管理者が不在だ。規格外の力と慈愛を持つレイこそが、新たな神に相応しいと彼らは本気で信じていた。
「いや、だから何度も言ってるだろ。絶対に嫌だ」
だが、執務用の大きなデスクに肘をついたレイは、即答で、しかも心底嫌そうな顔で首を横に振った。
「俺は神様なんて窮屈な役回りはお断りだ。それに、エル(神様)が一人で背負ってた魔力管理の仕事は、これからは魔術師ギルドと天使たち、それにうちの魔物たちで協力して分散管理するって決めたじゃないか」
「そ、それはそうですが……しかし、世界の頂点たる絶対者が不在というのは、民の不安を煽るのではと……!」
「いいや、それでいいんだよ」
レイは立ち上がり、窓の外——活気に満ち溢れた魔王国の街並みを見下ろした。
「一人の神様が全部を決める世界は、もう終わりにしよう。これからは、人間も、獣人も、エルフも、魔物も、天使も……みんなで話し合って、手を取り合って、少しずつ『正解』を作っていく世界にするんだ」
レイの揺るぎない言葉に、ルカも天使たちもハッと息を呑む。
その後ろで、エレオノーラ大公が扇子で口元を隠しながら、ふふっと楽しげに笑った。
「相変わらず、欲がないというか、スケールが大きすぎるというか。……でも、それが貴方らしいわね、零」
「ガハハハッ! 違いない! 神様になれって言われて『面倒くさい』で蹴り飛ばす奴は、歴史上こいつくらいのもんだろうぜ!」
ザルガも豪快に腹を抱えて笑い飛ばす。
「俺は、この街の『魔王』で十分さ。みんなが笑って暮らせる、この騒がしい実家の主でいられれば、それ以上偉くなる必要なんてどこにもない」
レイがそう締めくくると、ルカや天使たちもようやく諦めがついたのか、深く、そして嬉しそうに一礼した。
神のいない、皆で創る新しい世界。
それは、彼らが本当に望んでいた、真の平和の形だった。
***
その日の夜。
魔王国の超巨大食堂は、建国以来、いや、この世界の歴史上類を見ないほどの凄まじい熱気と喧騒に包まれていた。
「おいコラ! そこは俺たちが焼いてた巨大ボアの肉だぞ!」
「細けぇことは気にするな! ほれ、ドワーフの作ったエールだ、飲んで忘れろ!」
「ピュイピュイッ!(お肉! お肉!)」
見渡す限りの大宴会。
数千の巨大なテーブルには、ホブゴブリンやミノタウロスたちが腕によりをかけた神話級の絶品料理が山のように並べられている。
かつては敵同士だった教国の元・異端審問官たちが、オークと肩を組んで大声で歌を歌っている。
銀竜騎士団の精鋭たちが、獣人連合の戦士たちと腕相撲をして大笑いしている。
天使たちはエレオノーラ大公が持ち込んだ最高級のワインにすっかり酔っ払い、堕天使シルフィアに絡んで苦笑いされている。
そして、元・神様であるエルは、オーガ・ロードのゴルの太い腕に肩車されながら、両手に持った巨大な骨付き肉を幸せそうに頬張っていた。
「……信じられない光景だろ?」
レイは、食堂の特等席——一番大きなテーブルの真ん中で、手元の木製のジョッキを見つめながら呟いた。
「ええ。数ヶ月前まで、彼らが殺し合おうとしていたなんて、誰が信じるでしょうね」
隣に座るエレオノーラが、優しく微笑みながらワイングラスを傾ける。
「俺、あの真っ暗な第200階層で目を覚ました時……本当に、一人ぼっちで、ただ怖かったんだ。一生ここから出られないんじゃないか、誰とも話せないんじゃないかって」
レイの脳裏に、転移したばかりの孤独な記憶が蘇る。
震えながら剣を握り、スライムのリムに恐る恐る手を伸ばしたあの日。
「……でも、今は違う」
レイが言葉を切ると、背後からズシン、という心地よい重みと、温かい体温がのしかかってきた。
「ワォンッ!」
「ガァァッ!」
シャドウ・フェンリルのコハクがレイの背中にすり寄り、双頭の炎狼ガルムがレイの膝に巨大な頭を乗せて甘えた声を出した。さらに、頭の上にはいつの間にかリムが飛び乗って、定位置をキープしている。
「みんながいたから、ここまで来られた。……俺はもう、絶対に孤独じゃない」
レイは立ち上がった。
それに気づいたゴルが「グルァァァッ!」と一際大きな声で咆哮を上げると、数千人がひしめく巨大食堂が、水を打ったように静まり返った。
人間、獣人、エルフ、魔物、天使、そして神様。
世界中のありとあらゆる種族の視線が、彼らを繋いだ『慈愛の王』へと集まる。
「みんな! 今日は集まってくれてありがとう!」
レイは、モフモフの家族たちに埋もれながら、木製のジョッキを天高く掲げた。
その顔には、世界中のどんな宝石よりも輝く、最高に幸せな笑顔が咲いていた。
「俺は神様にはならないけど……お前ら全員、俺の『家族』だ! これからも、この最高に騒がしくて温かい国で、一緒にバカ騒ぎしていこうぜ!!」
レイの力強い宣言に、食堂にいる全員の顔に極上の笑顔が広がる。
誰もが自分のグラスを、ジョッキを、あるいは木の実を高く掲げた。
「新しい、俺たちの世界に——!!」
「「「乾杯!!!!!」」」
天の天井を突き破るほどの、凄まじい歓声とグラスのぶつかる音。
理不尽な神のシステムは消え去り、血塗られた歴史は完全に終わった。
かつて迷宮の最下層で一人震えていた少年は、その『規格外の優しさ』で、文字通り世界中のすべてを救い、愛し、最高の家族にしてしまったのである。
誰も血を流さず、誰も涙を流さない。
これは、最強で優しき魔王と、彼を愛したバケモノたちが創り上げた、永遠に続く最高に騒がしい『平和』の物語。
(了)




