31話 天界への逆侵攻
空を覆い尽くす巨大な魔法陣が、ジリジリと不気味な光を放ちながら「世界のリセット」までのカウントダウンを刻み始めた、その数時間後。
慈愛の魔王国の第1階層・中央広場にある『大転移陣』の前には、天界へ殴り込みをかける精鋭部隊——『神様ぶん殴り遠征軍』が集結していた。
「地上のことは任せてください、零殿、大公閣下。ザルガ代表と私で、各国の魔導士を総動員し、万が一に備えた多重結界を構築し続けます」
見送りに来た新生・教国のルカ教皇が、決意に満ちた表情で深く頭を下げる。
「ガハハッ! 何、心配すんな。第一陣で降ってきた天使のお嬢ちゃんたちも、今じゃすっかり魔王国に馴染んで、防衛結界の構築を手伝ってくれてるからな。……ただ、風呂の時間が減ったってブーブー文句言ってたが」
獣人代表のザルガが笑いながら親指を立てる。その背後では、湯上がりで肌をツヤツヤにさせた天使たちが、「早く神様を説得(物理)してきてくださいねー!」「帰ってきたらフルーツ牛乳奢ってください!」と、元上司に対するものとは思えない軽いノリで手を振っていた。
「……あの天使たち、たった数時間で完全に下界の空気に染まったな」
「零の慈愛の魔力と、この街の居心地の良さが合わされば当然よ。さて、私たちも行きましょうか」
呆れるレイの隣で、優雅に扇子を広げたエレオノーラ大公が微笑む。
今回の遠征メンバーは、レイ、エレオノーラ、参謀の堕天使シルフィア。幹部魔物であるゴル、ガルム、コハク、リム、タラたち。そして大公国最強の隠密『幻影の刃(ジン、カイル、リゼ)』と、レイの使者である『隠密三連星(ドッペル、ファント、シャドウ)』という、少数精鋭にして世界最強の布陣である。
「よし。転移陣、起動! 目的地——『奈落の迷宮・第200階層(最下層)』!」
レイの号令と共に転移陣が眩い光を放ち、一行の姿は一瞬にして地表から消え去った。
***
「……やっぱり、ここは落ち着くな」
視界が晴れた先。そこは、広大な石造りの空間に、フカフカの絨毯や手作りの家具が所狭しと並べられた、巨大でアットホームなリビングルームだった。
レイが異世界に転移させられ、最初に目を覚ました「始まりの部屋」。かつては絶望と恐怖のどん底だったこの最下層も、今では家族たちの匂いが染み付いた、世界で一番安心できる実家のような場所になっていた。
「懐かしんでる場合じゃありませんよ、零様。絨毯と家具を端に寄せてください。この部屋の『床そのもの』が、天界へのアンカーの基盤なのですから」
シルフィアの指示に従い、ゴルたちがひょいひょいと巨大なソファやテーブルを片付けていく。
すると、何もなくなった石の床に、うっすらとだが、幾何学模様の巨大な魔法陣が刻まれているのが見て取れた。
「これが、神が下界の魔力濃度を管理し、魔物を発生させるために打ち込んだ『直通パイプ』の蓋……。なるほど、理にかなっています。ダンジョンの最下層に魔力が溜まるのではなく、ここから魔力が供給されていたからこそ、下層に行くほど魔物が強くなっていたのですね」
エレオノーラが、床の文様を興味深そうに見つめながら分析する。
「天界の門が閉ざされた今、このアンカーは魔力の『排出』を停止し、完全にロックされています。……ですが、ここから天界に向けて、規格外の魔力を力任せに『逆流』させれば、次元の壁をこじ開けることが可能です」
「力任せの逆流……。要するに、神様の想定容量をぶっ壊すほどのパワーを叩き込めばいいんだな?」
レイはニヤリと笑うと、リムを頭に乗せたまま、床の魔法陣の中心へと歩み出た。
それに呼応するように、ゴル、ガルム、コハクたち神話級にバグ進化した魔物たちも、レイを囲むように円陣を組む。
「行くぞ、みんな。神様の引きこもり部屋のドアを、ノックしてやろうぜ!」
「「「オオォォォォォォォォォォッ!!!」」」
レイの【慈愛の箱庭】によって限界突破した、莫大で、そして圧倒的に『温かい』魔力が、幹部魔物たちの闘気と共に床の魔法陣へと一斉に叩き込まれた。
ズゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!
迷宮全体が悲鳴を上げるほどの激しい震動。神が設定した冷徹なシステムの蓋に、レイたちの情熱的で底なしの魔力が激突し、バキバキと論理回路を物理でへし折っていく。
『エラー。エラー。アンカー内部ニテ異常ナ魔力逆流ヲ検知。許容量ヲ3000%超過——次元隔壁、崩壊シマス』
無機質なシステム音声が鳴り響いた直後。
第200階層の天井が、まるでガラスが割れるようにパリンッと砕け散り、その奥に『上へと昇る、光の奔流のトンネル』がポッカリと口を開けた。
「道が繋がりました! 皆様、光の奔流へ飛び込んでください!」
シルフィアの叫びと同時に、レイたちは躊躇うことなくその光のトンネルへと身を投じた。
***
重力も方向感覚も失われるような次元の壁を突き抜け、光が収まった時。
レイたちの足は、硬く、冷たい『白磁の床』の上に降り立っていた。
「……ここが、神界……」
ジンが覆面越しに息を呑み、エレオノーラも鋭い視線で周囲を見渡した。
そこは、あまりにも異質な空間だった。
空はなく、ただ無限に広がる真っ白な光だけが頭上を覆っている。
地面は塵一つない純白の石畳。遠くには、黄金の歯車が幾重にも組み合わさって空中に浮遊し、規則正しい機械音だけをカチ、カチ、と無機質に響かせている。
風もない。匂いもない。草花の一本すら存在しない。
完璧なまでに幾何学的で、左右対称で……『死んでいる』と錯覚するほどに、冷たくて静かな世界。
「なんて寂しい場所なんだ……」
レイが思わず呟いた。
魔王国の、あの騒がしくて、温かくて、色々な種族の匂いが混ざり合った活気ある街とは正反対の、絶対的な孤独がそこにはあった。
「感慨に耽っている暇はありませんよ、零。……お出迎えのようです」
エレオノーラが扇子をスッと閉じ、前方を睨みつける。
『警告。警告。システムルーム内部ニ、重大ナ特異点ノ侵入ヲ確認。直チニ排除プロセスヲ開始シマス』
空間が歪み、純白の石畳から湧き出すように現れたのは、天使ではない。
背中に金属の翼を持ち、目も口もなく、ただ十字の光だけが明滅する顔を持った、身長十メートルを超える『自動防衛神像』の大群であった。
その数、数百、数千。一糸乱れぬ完璧な陣形で、レイたちを幾重にも包囲していく。
「天使のような生体ユニットではなく、純粋な殺戮プログラム……神界の自動防衛システムですね」
シルフィアが冷や汗を流しながら解説する。
「彼らには感情の欠片すら組み込まれていません。ゆえに、零様の【慈愛の箱庭】による対話や感情の呼び起こしは不可能です」
「なるほど、言葉の通じない完全な機械ってことか。しかも、あの巨体で迷いなく殺しに来ると」
ジンたち隠密部隊が、スッと武器を構えて気配を消す準備に入る。
だが、レイは全く焦っていなかった。
むしろ、悲しき創造主の部屋を塞ぐ「無機質な障壁」を見て、ニッと口角を上げた。
「感情がない機械なら、心置きなくぶっ壊せるな。……エレオノーラさん、ジンさん! 指揮とサポートは任せていいか?」
「ええ、もちろんよ。神の作った完璧な防衛陣形……その論理の穴を突いて、ズタズタに引き裂いてあげるわ」
エレオノーラが不敵な笑みを浮かべ、ジンたちも「裏をかくのは我々の十八番だ」と影に溶け込む。
「よし!」
レイは一歩前に出て、愛するバケモノたち——ゴル、ガルム、コハク、リム、タラたちを振り返った。
「暴れろ、お前ら!! この静かで寂しい神様の世界に、俺たち『家族』の騒がしさを叩き込んでやれ!!」
「「「ガァァァァァァァァァァァァッ!!!」」」
オーガ・ロードの咆哮が、純白の神界をビリビリと震わせる。
双頭の炎狼が極大の業火を口に蓄え、神出鬼没の影狼が虚空を蹴る。
完璧な秩序で構成された神の領域に、規格外のステータスを誇る慈愛の軍団が、絶対的な『混沌と暴力』をもって雪崩れ込んだ。
理不尽なシステムを根本から破壊する、神界蹂躙劇がいよいよ幕を開けたのだった。




