18話 初めての大公と魔王の直接会談
18話 初めての大公と魔王の直接会談
第130階層『常闇の森』から使者たちとジンたち『幻影の刃』を地上へと送り出した後、俺たちは一旦、第200階層の拠点——もはや「魔王の帝都」と呼ぶべき大城塞へと帰還し、久しぶりの休息を満喫していた。
大浴場で汗を流したあと、広大な中庭の柔らかな魔力草の上に寝転がり、日向ぼっこ(地下なので疑似太陽の魔術光だが)をするのは至福の時間だった。
俺の頭の上ではスライム・エンペラーのリムがぷるぷると心地よさそうに揺れ、右腕にはシャドウ・フェンリルのコハクが、左腕には炎狼ガルムがもふもふの体をすり寄せてきている。彼らの温かい体温に包まれながら、俺はウトウトとまどろみの淵を漂っていた。
「——零様。お寛ぎのところ申し訳ありません」
ふわりと舞い降りた参謀のシルフィアが、恭しく一礼して声をかけてきた。
「ん……どうした、シルフィア。何か問題でも起きたか?」
「いえ。ただいま、第130階層の転移陣より、見知った顔が一名、そして見知らぬ人間が二名、こちらへ向かってきているとの報告が防衛部隊から入りました」
「見知った顔……?」
「はい。先日地上へ向かったはずの『幻影の刃』の軽業師、リゼ殿です」
「リゼさんが!? なんで戻ってきたんだ? まさか使者たちに何か……!」
俺はガバッと跳ね起き、コハクとガルムも警戒するように耳をピンと立てた。
「ご安心を。彼女たちに焦った様子はなく、むしろ案内を乞うように待機しております。とりあえず、本城の執務室へとお通ししてよろしいでしょうか?」
「ああ、頼む。俺もすぐに行く」
急いで身支度を整え、俺は本城の奥にある豪奢な執務室へと向かった。
分厚いマホガニーの扉を開けると、ふかふかのソファには見慣れた黒装束のリゼと、そして濃紺の隠密装束を纏った二人の青年が緊張した面持ちで座っていた。彼らは俺の姿を見るなり、弾かれたように立ち上がり、深々と頭を下げる。
「零殿! 突然戻ってきてしまって申し訳ない!」
「リゼさん。無事でよかった。彼らは……?」
「ヴェスペル大公国、隠密部隊『夜帷の梟』副長、ネロと申します。こちらは部下のシオン。……この度は、大公閣下からの特命を帯び、慈愛の王の陣営へと馳せ参じました」
理知的な顔立ちの青年、ネロが恭しく名乗った。
彼ら二人は表面上こそ冷静を装っているが、案内されてきたこの第200階層の狂ったスケールの帝都や、道中すれ違った神話級の魔物たち(ゴルやタラなど)の姿に、内心では完全に度肝を抜かれているのが丸わかりだった。
「大公閣下からの特命……とりあえず座ってくれ。シルフィア、お茶を」
「かしこまりました」
シルフィアが優雅な手つきで紅茶を淹れる。俺もソファに腰を下ろし、事の経緯を尋ねた。
「本来なら、ネロたち『夜帷の梟』は、使者殿を連れたジンたちを護衛するためのバックアップとして派遣された部隊だったの。でもね……」
リゼが苦笑しながら、道中での出来事を語り始めた。
途中で合流したこと。そして、コウモリの大群の奇襲に対し、俺の育てたドッペル、ファント、シャドウの三体が、完全な『無音』と『無痕跡』の神業で一瞬にして殲滅してしまったこと。
「ジンも言ってたわ。『彼らの技量は、我々幻影の刃にも引けを取らない。いや、魔物特有の能力が合わさっている分、暗殺や隠密においては我々以上だ』って。だから、過剰な護衛は不要だと判断されたの」
「なるほど……あいつら、俺がいないところでもしっかりやってるんだな」
自分の家族が褒められたようで、俺は思わず鼻高々になってしまった。頭の上のリムも「ピュイ♪」と誇らしげに胸を張っている。
「そういう経緯で、ジンと残りの梟のメンバーが使者殿を地上へ案内することになり……私は、ネロたちを零殿の元へ案内する道案内として同行したってわけ」
「案内はありがたいが、ネロさんたちはどうして俺のところへ?」
俺の問いに、ネロは姿勢を正し、懐から星空のように煌めく二つの水晶玉を取り出した。
「大公閣下は、零殿の陣営が地下で孤立し、地上のリアルタイムな情勢が掴めないことを深く憂慮しておられました。ゆえに、私とシオンを専属の軍事参謀としてこちらに常駐させ、この極秘魔導具『双星の交信珠』を用いて、閣下と零殿が同時に盤面を共有できる体制を構築せよとの命を受けております」
「……えっ。それって、つまり……」
「はい。これより、エレオノーラ大公閣下との『初の直接会談』を行っていただきます」
ネロが片方の水晶玉をテーブルの中央に置き、魔力を流し込む。
すると、水晶玉から青白い光が立ち上り、空中に鮮明な映像——ヴェスペル大公国の豪奢な執務室と、そこに座る一人の美しい女性の姿を映し出した。
燃えるような赤い瞳と、長い銀髪。威厳と知性を兼ね備えた、息を呑むような美貌。
『——繋がったようね。初めまして、慈愛の魔王殿。私はヴェスペル大公国を治める、エレオノーラよ』
「あ……初めまして。天導 零です。その……魔王って呼ばれてますけど、ただの巻き込まれた人間です」
俺が少し緊張しながら頭を下げると、画面の向こうのエレオノーラ大公は、ふふっと柔らかく、慈しむような笑みを浮かべた。
『ジンからの報告で聞いているわ。貴方は迷宮の底で、傷ついた魔物たちを救い、家族として愛してきたと。……貴方のような心優しい少年が、冷たい迷宮でどれほどの孤独と恐怖と戦ってきたか。想像するに余りあるわ』
「大公閣下……」
『顔を上げなさい、零。貴方はもう一人じゃない。地上の人間の悪意は、私がすべて引き受けるわ』
その言葉には、一国の元首としての強烈な覚悟と、包み込むような母性が満ちていた。
通信越しとはいえ、彼女の真っ直ぐな瞳を見た瞬間、俺は「この人は絶対に信じられる」と魂の底から確信した。
「ありがとうございます。大公閣下が民草を救うために動いてくれていること、ジンさんたちから聞きました。俺も、閣下と、閣下の国の民を守るために全力を尽くします」
『頼もしいわね。では、さっそく今後の動きについて打ち合わせをしましょう』
エレオノーラの表情が、柔らかなものから冷徹な統治者のそれへと切り替わる。ネロが素早く、迷宮と地上の地形をホログラムで展開した。
『ルカ司教からの最新のリークによれば、ここ二、三日、教国の動きに変化があったわ。貴方たちが第130階層で進軍を停止したことで、教皇は「魔王が何かを企んでいるのではないか」と極度の焦燥と疑心暗鬼に陥っているの』
「焦っている……だから、入り口の封鎖網をさらに強固にしたと?」
『ええ。今、迷宮の入り口は針の穴を通すような警戒態勢よ。いくらジンたちと貴方の使者が優秀でも、このピリピリした状況で地上に抜け出すのはリスクが高いわ』
大公は少し思案するように目を細めた。
『ジンたちが迷宮の入り口——第1階層付近に到達するまで、あと数日はかかるはず。問題なく抜けられるとは思うけれど……教皇の焦りを、さらに利用できないかしら?』
その言葉を聞いて、俺の脳裏に一つのアイデアが閃いた。
「大公閣下。教皇が焦っているなら、俺たちはあえて『さらに進軍を遅らせる』というのはどうでしょう?」
『……遅らせる?』
「はい。教皇は、俺たちが地上に出た瞬間を狙って『焦土作戦』をやるつもりですよね? つまり、俺たちが地上に出ない限り、あの莫大な数の聖騎士団は、入り口に張り付いたまま兵糧と資金を消費し続けることになります」
俺の提案に、同席していたシルフィアとネロがハッと目を見開いた。
「なるほど……! ピリピリとした極度の緊張状態を長期間維持させれば、教国軍の士気は確実に低下し、疲労から監視網に必ず『綻び』が生じます!」
ネロが興奮気味に身を乗り出す。
『ええ、その通りよ零! 素晴らしい盤外戦術だわ!』
エレオノーラもパァッと表情を輝かせた。
『狂信者たちは「魔王がすぐに来る」と信じているからこそ陣を維持できている。そこへ、待てど暮らせど魔王は来ない。見えない敵への恐怖と疲労で、教国軍は自壊し始めるわ。……ジンたちには、第10階層あたりで一旦待機するよう伝令を出すわ。そして、教国の包囲網が疲労で完全に緩んだその瞬間を見計らって……!』
「使者たちを地上へ出し、同時に俺たち本軍も一気に転移陣を使って地上へ駆け上がる! 完全に裏をかくんだ!」
俺と大公の思考が、寸分の狂いもなく完全にリンクした。
武力による衝突ではなく、心理戦と情報戦で敵を無力化する。血を流さないための、これ以上ない完璧な作戦だった。
『決まりね。零、貴方たちは地下で、教皇の胃に穴が空くくらいゆっくりと、のんびりと進軍してちょうだい』
「任せてください。俺たち、まだまだ地下の温泉巡りや大宴会をする余裕はたっぷりありますから」
『ふふっ、頼もしいこと。ネロ、シオン、貴方たちは零の陣営でしっかりと英気を養いなさい。通信は常時接続しておくわ』
「ハッ! 承知いたしました!」
大公との初の通信会談は、極めて有意義で、互いの信頼を絶対のものにする時間となった。
教国の狂ったシナリオを、俺と大公国のタッグで完全に書き換えていく。
「よし! ネロさん、シオンさん! 大公閣下のお墨付きも出たことだし、教皇が泣きっ面になるまで、ここでのんびり過ごそうぜ! まずは大浴場を案内するよ!」
「だ、大浴場ですか!? いや、しかし任務中——」
「いいからいいから! リゼさんも一緒に行こう!」
緊張が解け、いつもの調子を取り戻した俺は、困惑する人間の参謀たちと、嬉しそうに飛び跳ねるもふもふの家族たちを引き連れて、巨大な温泉施設へと向かった。
地上で冷や汗を流して待つ狂信者たちをよそに、慈愛の魔王陣営は、反撃の狼煙を上げるその瞬間まで、最高に優雅で平和な遅延戦術を満喫し始めるのだった。




