第六話
ナロットは頭の中が怒りでいっぱいであった。
数日前に届いた王家からの招待状を思い切り握り潰してしまいたい衝動に駆られるがグッと我慢する。さすがに王家主催の婚約パーティーに参加しないわけにはいかない。
更にその招待状がなければ王城へは入れないのだ。少しでも皺が入っていれば不敬と捉えられてはかなわない。
「なぁに? そんなに元カノが婚約することが気に入らないの?」
「……そういうわけではない」
セリーヌの目が鋭くなる。その仕草にナロットの体が強張った。
「何よその口の利き方。あんたまだ自分の立ち位置が理解できてないわけ? あんたは侯爵家のお飾りな事を自覚しなさい。裏でこそこそと……。よくも舐めた真似してくれたわね」
王城へ向かう侯爵家の馬車の中、ナロットはいつものように婚約者のセリーヌに詰められていた。だが今日は特に虫の居所が悪いらしい。
セリーヌは尖ったヒールの先を容赦なくナロットの足の上に置くと力を籠めていった。
「……っ」
「あんたが私に隠れてあの女とイイコトしてたのは調査済みよ。ふふふ、でも楽しみ♡あんたがあの気取った生意気な平民女と不貞をしてくれたおかげであの女を王族の前で八つ裂きにできるんだから」
ナロットを痛めつけることに満足したのか、セリーヌはナロットの足の上からヒールを上げた。ナロットは痛みで呻きそうになったが我慢する。
「そうやって最初から黙ってればいいのよ。でも、喜びなさい。あんたとは今日でお別れかもねぇ。上手くいけば私が第二王子様の婚約者に変わるかもしれないのだから」
セリーヌの意地の悪い高笑いが馬車にこだまする。そして王都の中心にあるこの国の象徴へと消えていった。
◇
セリーヌはナロットと腕を組んで立派なダンスホールへと足を進める。もし自分の思惑が上手くいけば、憎き女を見世物にできるだけでなく王族の婚約者の座は自分のものになるのかもしれないと口の片端を上げていた。
だが辺りを見渡して何かがおかしいと違和感を持つ。
「……どういうこと? 公爵家と王族しかいないじゃない」
この場には王家と繋がりが深い三つの公爵家と王族しかいなかった。
この国の第二王子とはいえ、平民の女と婚約するのだ。下位貴族だけでなく、商会と仲の良い裕福な者達が招待されていないことにどうしようもなく違和感を覚える。
そしてそれは一緒に招待されていたセリーヌの両親も一緒だったようで不安そうに自分達よりも高位の者達を見渡していた。
高位貴族達はそんなセリーヌ達の不安を更に煽るように侯爵家を自然に取り囲んでいき、談笑しながらセリーヌ達をダンスホールの中心へと追い立てる。
「な、なによ、何なのよ……!」
焦りを隠せない侯爵家に明確に嘲笑を向け始めた貴族達に顔から血の気が引いていった。
「皆様、大変お待たせいたしました」
その時、仲睦まじそうにエルンの腕に手を添えたエリアーデがダンスホールに入場し、王と王妃のいる一段高い場所へと落ち着いた。
二人は王家を象徴する白い服に身を包んでいる。まるでこれから結婚式を挙げるような幸せそうな雰囲気が漂っていて目が焼かれそうになった。
「本日は第二王子エルン殿下と私エリアーデの婚約パーティーにご参加いただき誠に感謝いたします」
二人が揃って頭を下げると会場から温かい拍手が送られた。王と王妃も嬉しそうに拍手を送っている。
ナロットはその美しい光景を悲しそうに見つめていたが、その隣ではプライドも高く気の強いセリーヌがこれは何の茶番なのかと頭に血を上らせていた。
「恐れながら申し上げます! その方は、エリアーデ様はエルン殿下に相応しくないと存じ上げますわ!」
セリーヌの激昂に近い叫びに貴族たちが色めき立った。
どこか嬉々とし、何かに期待をしている貴族達の視線にセリーヌは勝ったと内心ガッツポーズする。王もセリーヌに視線を移すと冷静に問う。
「セリーヌ・テール侯爵令嬢、今日は無礼講故そなたの非礼を許そう。何なりと申してみよ」
王の言葉にセリーヌは大袈裟に前へ躍り出る。
「はい陛下! この者は私の婚約者ナロットと不貞行為を繰り返しておりました! 私は……何度も彼が私のもとへ戻ってくることを待っていましたが、終ぞそれは叶いませんでした」
涙ながらに訴えるセリーヌにナロットの顔が青くなっていく。
「私はとうとう不安になってしまい、悪いとは思いながらも彼に密偵をつけたのです! すると、彼は……うっ! 彼はエリアーデ様と宿に入っていったとの報告を受けたのですぅ……!!」
泣き崩れるセリーヌに貴族達は大袈裟に悲しむ様、口々に可哀想にと囁き合った。
セリーヌは確実な勝利を確信すると両手で覆っていた顔を見えないように口角をこれでもかと上げた。そして一瞬で元の悲痛そうな顔を作ると勢いよく上げた。
「さらにエリアーデ様は一人宿を出たすぐあとに平民の男と抱き合い、すぐさま仲睦まじく夜の街へと消えていったとも報告を受けています!」
セリーヌの爆弾級の発言に貴族達はこれまた大袈裟にざわついた。
「エルン殿下に失礼ながら再度申し上げます! その方は殿下に相応しくありません! どうかお考え直しを……!」
セリーヌの最後の叫びに辺りが痛いくらい静まり返った。今この場では悲しみを耐えるように小さな呻き声を上げるセリーヌの声と娘を心配する侯爵家夫婦の鼻をすする音だけである。
「ふふっ」
「ふ、ははっ……!」
「あはは……っ!」
そこかしこから小さな笑い声が漏れ聞こえてきたかと思ったら、突如耐えられないとばかりに貴族達から大きな笑い声がダンスホール中に響き渡った。
「な、なに!?」
涙が引っ込んでしまうとセリーヌは周囲を忙しなく見渡し、ナロットも侯爵家も何事かと怯えた。だが、絶え間ない笑いにとうとうセリーヌは本性を露わにした。
「だから、何だっていうのよ!!」
馬鹿にされていると気づいたセリーヌは激昂するが、何かにハッとすると正面を睨みつける。
その視線の先でエリアーデがエルンにもたれかかって笑っていた。その姿にこれ以上ないくらい頭に血が上ったセリーヌは絶叫した。
「嘘じゃないわ!! ナロットの愛人がその女だってことは調べがついてる!!」
一人の貴婦人がクスクスと笑いながら目尻に溜まった涙を拭う。
「エリアーデ嬢は商家の女主人でとてもやり手よ? 大方そちらの令息が勘違いされただけなのでしょう」
その聞き捨てならない発言に今度はナロットの頬がカッと熱くなった。存外プライドが高いナロットは抵抗する。
「違う! 愛人でもいいから側に置いてくれとエリアーデが言ったのだ!」
ナロットの否定にまた辺りがしんと静まり返った。セリーヌはナロットを心の中で珍しく褒め称えながら追撃を開始する。
「ナロット……! やっぱり、そうなんじゃない! ひどいわ……!」
セリーヌがまたも大袈裟に泣きながら両親に縋りつく。その姿にナロットはやってしまったと己の軽率な行動を悔いた。だが今まで黙っていたエルンが口を開く。
「僕はその時しっかりと聞いていた。君の方からエリアーデを愛人にしてやると言っていたことを」
「なっ……!」
「王族である僕の言う事が信じられないと言うのか?」
「い、いえ……ですが! そのあと、愛人でもいいから側に置いてくれとエリアーデが縋ってきたのは事実だ!」
己の自尊心を守るために不貞を認めるナロットに貴族達の冷たい視線が突き刺さる。さすがに居たたまれなくなったナロットの体は縮こまった。その情けない姿にエリアーデがクスっと笑う。
「あら、でもナロットはこうも言ってたじゃない。お嬢ちゃんとの婚約は爵位を上げるためにも仕方がなかったんだって。本当はこぉんな気の強い小娘は嫌だったみたいよ」
「何ですって!?」
またも激昂するセリーヌにナロットは体を強張らせるが、ナロットの心はもう限界だった。
「俺はエリアーデが好きだったんだ! お前みたいな乱暴な女と一緒になりたいわけないだろ!」
「ふざけんな!!」
怒りのままにナロットに手を上げようとしたセリーヌを両親が慌てて諫める。
さすがにこのような公の場で、しかも高位貴族に王族もいる前で娘の暴挙は見せられない。しかし、侯爵は娘を援護するためにナロットを鋭く睨んだあと、エリアーデを同じく睨みつけた。
「ナロットとあんたが不貞をしていたことは証人もいる揺るがない事実だ。そんな卑しい平民の女と我らが王族に嫁がせるなど以ての外。陛下、その様なふしだらな女を王族の仲間入りさせるというのであれば我らテール侯爵家は考えなければなりません」
侯爵の堂々たる上奏に国王の凛々しい眉がピクリと動いた。エリアーデは小さく笑うと衛兵に合図を送る。
「証人って、この子のことかしら?」
衛兵に連れられて一人の男がダンスホールに姿を現した。




