第三話
まずは何においても情報を得ることが大事である。
「なんですって? テール侯爵家が絹と胡椒を売ってるっていうの?」
寝耳に水とはこの事であろうか。
「はい、なんでも二週間と三日前から新しい事業の一環として、ここ最近参戦してきた東の国トーリャとの貿易を開始したのですが、その事業が始まったのはブレナン伯爵令息との婚約が決まった直後からのようです」
黒服に身を包んだエリアーデの可愛い諜報部隊長が口の片端を上げた。
「ふふ、さすがねジェイちゃん。じゃあ侯爵家の経済状況もついでに教えてくれる?」
「はいエリアーデ様。事業を始めたころから急激な右肩上がりとなっております」
エリアーデはジェイと呼んだ男から資料一式を受け取ると一言お礼を告げ下がらせる。一通り目を通すとなるほどと頷いた。
「おかしいわねぇ、これって」
にやりとエリアーデも口の片端を上げ満足そうに呟いた。
「何が可笑しいんだい?」
出された最高級の茶葉で作られた紅茶やお菓子を食べながらエルンが首を僅かに傾げる。その可愛らしい姿にエリアーデの胸が小さく高鳴った。
「テール侯爵家が海を持たない領地なのはご存じでしょう?」
「あぁ、確かに……。なるほど、伯爵家と縁を結んだのは貿易する海が欲しかったからか」
まだ治世や教養を学んでいる最中のエルンは、王には知らされていることも第二王子である自分には知らされていない事に少しだけ落ち込んだ。
自分が兄の様に王太子であれば知らされていたかもしれないが、そうなるとこうして自由にエリアーデに会いに行くことは叶わなかっただろう。
エリアーデの役に立つ情報をもたらすことができないという悲しみはあるが、一緒にいられるのならこのままでもいいかと無理矢理紅茶を飲み込んだ。
エルンの心情を知らぬままエリアーデは続ける。
「この新参者のトーリャ国ですが、何度かうちに貿易してほしいと話を持ち掛けてきた相手なんです」
「え? それは、命知らずな……。タルト商会はトーリャよりも遥かに大国のジャカ国が貿易相手だし、何よりジャカ国はうちの国と同盟を結んでるのに」
タルト商会がジャカ国に輸出している同じ商品を新参者がうちにも輸出してほしいと持ち掛けるどころか、ジャカ国から輸入している物と同じ絹と胡椒を売りたいなど烏滸がましいにも程がある。
「さらにはあまり質が良いとは言えなかったので一切の取引を拒否しましたの」
呆れたようにため息を吐く。
「そうなると確かにおかしいね。いくら需要がある商品だと言ってもそんな質の悪い物をなぜテール侯爵家は取引相手に選んだんだ?」
「ふふ、しかも経済状況は急激に右肩上がり。何やら面白いことをしているみたいですわ」
悪い笑みを浮かべるエリアーデにエルンは頬を染めた。どうやらエリアーデの中でセリーヌはついでではなくなったようだ。この容赦のない強いエリアーデがエルンには甘いという事実が密かにエルンを悦に浸らせる。
「私に喧嘩を売ったばかりに少し先だった没落が早まってしまったようね、お嬢ちゃん」
エリアーデは資料を机の上に投げ捨てると次の一手を打とうと思案した時であった。
「お嬢様、一大事にございます!」
一人の若い女性従業員がノックもなしに部屋へ飛び込んでくる。
「こらルーシー! エルン第二王子殿下もいらっしゃるのだぞ、ノックくらいせんか。我が孫が大変失礼致しました」
その後ろから老齢ながらも姿勢は良く、見目も清潔な老人が優雅な足運びで同じく部屋へと入り、二人へ恭しく一礼した。
「だっておじいちゃん!」
「ここでは支配人と呼べと言ってるだろう」
茶髪のボブヘアーが可愛らしいまだ幼さの残る顔つきの少女を支配人もといヘンリーが厳しく注意する。エリアーデは二人のやり取りを微笑ましく見守りながらも口を開いた。
「ルーシーちゃん、一大事ってどうしたの?」
「はっ! そうでした! 大変です、テール侯爵令嬢のセリーヌ様がタルト商会は詐欺だと触れ回ってるんです!」
「あら、そう。放っておきなさい」
「はい! 注意して……えぇ!? 放っておくのですか!?」
「やかましいぞルーシー」
エルンもエリアーデの発言に僅かに驚いていたものの特に口を挟むことはない。ルーシーは肝心の女主人と支配人である祖父が全くと言っていい程どこ吹く風であることに不安そうな顔をする。
「よ、よろしいのですか!? あのような……」
暴挙を許してもと口籠るルーシーにエリアーデは余裕な笑みを浮かべる。その女主人の色気にルーシーは同性ながらも見惚れて静かになった。
「来ると思ってたわ。大商会とは言え本来なら取るに足らない平民の私を牽制しに来るくらいだもの。まぁ、あれは絹を確認しに来たついででしょうけどね」
「絹、ですか……?」
セリーヌはトーリャ国とジャカ国の絹製品を確認し、あまり脅威ではないと確信したのだろう。そうなると次は客を奪うために詐欺を吹聴しているに過ぎないがその他の貴族の目は飾りではない。
「見る目が全くないのにね」
小バカにするように鼻で笑った。エリアーデはもうこの話題について話すことはないとばかりに立ち上がると、控えめな衣装を用意するようにルーシーに指示を出す。
「え、どこかにお出かけされるのですか?」
この非常時にと不安そうに眉を下げる姿はまるで捨てられそうな子犬の様だ。
「主人が用意しろと言っているのだ。口答えせずに早くせんか」
ヘンリーの厳しい注意に目を潤ませながらすごすごと衣装室へとルーシーは消えていった。ヘンリーはその情けない姿を見送ると改めて二人へ頭を下げる。
「申し訳ございません。少々甘やかしすぎてしまったようです」
「私はルーシーちゃんのあの明るい性格と屈託のない笑顔とっても好きよ。あの子にはあのままでいてほしいわ」
流し目で愁いを帯びた表情を見せるエリアーデにヘンリーはそうですねと一言呟いた。
タルト商会の厳しさと重責を十分に理解しているエルンは一層エリアーデをしっかりと支えようと心に決める。だがこれからエリアーデがするであろうことを思い出して顔を顰める。
「なんだかあれ程楽しみにしていた復讐劇が急につまらなくなってきたよ」
ぶすっと頬を膨らませる子どもの様な態度を見せるエルンにエリアーデの胸がまた小さく高鳴った。
「まぁ、エルン様。大事な事ですよ? しっかりとその目で私とナロットの不貞行為を目に焼き付けてくださいね」
「変な言い方はやめてくれ。スパイ活動でいいだろ。……好きな女性がそんなに本気じゃなかったとはいえ、元恋人とデートしに行く姿を見せられるんだぞ……」
そんなに本気じゃなかったという言葉を強調する強がりを見せるのに段々と落ち込み声が小さくなっていくエルンにエリアーデは堪らなくなった。
尚も落ち込むエルンの両頬を優しく両手で添え、口端に小さなリップ音を立てるとすぐに離れた。
「!? エ、エリ……!!」
唇が触れた個所を手で押さえながら顔を真っ赤にさせるエルンにイタズラが成功したと笑うと、戻ってきたルーシーに身を任せた。




