第二話
「本日はどのようなご用件でしょう、ブレナン伯爵令息様」
「そんな他人行儀な。いつものようにナロットでいい」
いいわけがないだろう。
本日二度目の他人行儀という単語にここまで気持ちの落差があろうとは思わなかった。
憮然とした態度で出された紅茶に口をつける元恋人に当然表情には出さないが腹を立てる。我儘な甘えたが可愛いと思えていたのは恋人という関係だったからだ。何の関係もなくなったこの男には価値すらもない。
「そういう訳にはいきません。あなた様の御婚約者に示しが尽きませんので」
私とお前は他人だと遠回しに強調する。さすがに嫌味に気づいたナロットはまだ成長の余地のある可愛らしい顔を気まずそうに顰めた。
「それは……。だがこちらにも都合がある! 商家のお前には貴族のことなどわからないだろう!?」
後ろのクローゼットから物音が僅かに漏れた。中には話の内容を聞かせてくれと引き下がらなかったエルンが聞き耳を立てているのだが、やはり狭かっただろうか。
ナロットは自分の都合の悪さを怒って誤魔化す癖があるためか、自分の事で精一杯の様でその物音に気づくことはない。エリアーデは平然とした態度を取り続けた。
「そうですね。私には御貴族様のことに口出しをするなどできません。ですので、どうぞ私のことなど忘れてお幸せな結婚をしてください」
そして早く帰れとにこりと微笑んだ。
「なっ……!」
ナロットは信じられないと怒りから顔を赤くさせていたが、信じられないのはこっちであるという言葉を呑み込むために紅茶を口にした。
恋人としての可愛げがすべて消えていく。思い出の中だけでも美しいままであってほしかったのに、この男の幼稚さはエリアーデの想像以上であった。じつにもったいない。
ナロットは顔を俯かせ全身を小刻みに震わせていたが、ふと小さく口角を上げた。
「エリアーデ、俺は優しいからな。寂しい思いをさせないためにお前に良い話を持ってきたんだ」
「良い話?」
額に汗を滲ませながらも笑っているナロットを訝しむようにエリアーデの整った眉が僅かに歪んだ。
「そうだ! 確かに貴族として貴族同士の関係は国にとって大事なことだから今更変えることはできない。だが安心しろ、だからと言って俺はお前を捨てたわけじゃない。これからはお前を愛人として俺の側に置いてやる!」
自信あり気にふんぞり返るナロットと同時にまた後ろのクローゼットから先程よりも大きな物音がした。その音にナロットは一瞬訝しんだがエリアーデは完全に虚を突かれそれどころではなかった。
「愛、人……? この、私が……愛人ですって……?」
「そうだ! 安心しただろう」
尚も自信満々にふんぞり返るこのどうしようもない馬鹿な男にエリアーデの全身が怒りから震えあがる。付き合っている頃はこの幼稚で傲慢な所もまだ成長途中の可愛げで許された。
だが噂で婚約を知り、別れを切り出すどころか愛人になれと言い放ちに来るとはいくら優秀な大商会の女主人といえど想像すらできなかった。
誇り高きタルト商会の当主である私にあろうことか愛人にですって?
エリアーデは音も立てずゆっくりと長い長いため息を吐きだすと体を緩ませ顔を上げた。そして目に涙を浮かべ、にこりと一番美しい笑顔をナロットに見せた。その表情にナロットの心臓が大きく跳ねる。
「嬉しいわナロット。私のこと、ちゃんと考えてくれていたのね。ナロットの側にこれからもいさせてくれるのなら喜んで愛人になるわ」
「そ、そうか……! い、いや! エリアーデがそこまで言うのなら仕方がない。これからは愛人として側に置いてやる」
どこか安堵の表情を見せたあと、取り繕う様に再度ふんぞり返るナロットに微笑みを向け続ける。
少しの間、上機嫌にお茶の時間を楽しんだナロットはまた会いに来てやると言い放ち帰っていった。その姿を微笑んだまま見えなくなるまで見送るとエリアーデはすぐさまエルンの待つ客室へと戻る。
「上等じゃないあの馬鹿男!! この私を愛人にですって!? 絶っっっ対に許さない!! あの馬鹿女共々地獄を見せてやらないと私の気が済まないわ!! 今に見てなさい!! タルト商会を敵に回したこと末代まで後悔させてやるんだから!! あんた達が誰に喧嘩を売ったのか骨の髄まで思い知らせてやるわ!!!」
ソファーの上に置かれた硬めのクッションを渾身の力で何度も殴りつけながら怒りを込めて叫び散らかした。
クローゼットから出ていたエルンはさすがエリアーデと誇らしげに見守っている。いつも冷静で容赦のない彼女が何の打算もなく愛人を受け入れるとは当然思っていなかっただけに嬉しい気持ちになった。
そして人前では決して見せないこのような激情姿をためらいもなく自分の前では見せることに信頼を感じて胸が一杯になる。
「エリアーデ、僕に手伝えることがあるのなら何でも言ってくれ」
ピタリと動きを止めて一瞬迷いを見せるエリアーデにクスリと笑う。
「勿論これは王家のためでもあるよ。なにせタルト商会を侮辱されることは直接的ではないにしても王家にとっても許されない事なのだからね。使えるものは何でも使う、でしょ?」
「……エルン様。ふふ、私としたことが、見苦しいものをお見せしてしまいましたわね。失礼いたしました。ですが、あなた様も強かな頼もしい方に成長されているのですね。とても喜ばしい限りですわ」
エリアーデはゆっくりと立ち上がり姿勢を正す。そして美しく手入れされた長髪を整えるように右手でかきあげた。
「ではお言葉に甘えて、エルン様のお力も借りつつ血で血を洗う復讐劇を披露してまいりましょうではありませんか」
「さすが僕の愛したエリアーデだ。とても楽しみだよ」
愚かな男とついでに女も己の活用できるすべてを使って必ず地獄を見せてやる。
こうしてエリアーデの華麗なる復讐劇が幕を開けた。




