第一話
その日エリアーデ・ロッテの思考を一瞬止めさせたのはある一報であった。
侯爵令嬢のセリーヌ・テールと伯爵令息のナロット・ブレナンが婚約した。
あら、ナロットは私の恋人じゃなかったかしら?
いくら考えても答えは同じ。ナロットは確かに最近まで仲睦まじく一緒に過ごしていたエリアーデの正真正銘の恋人であった。
「エリアーデ様、大丈夫ですか?」
「えぇ、問題ないわ」
そう、何も問題はない。心配そうにこの大商会の女主人を気にかける優しい従業員にいつものようににこやかに返した。
伊達に若くして大商会の女主人を張っているわけではない。不測の事態への対処には慣れている。それになんとなくこうなるような気は薄っすらとしていた。
というのもここ最近の恋人の様子はおかしかったからだ。どこか浮足立っているのか的外れな返答は多く、視線もどこか定まらないこともしょっちゅうであった。
わかりやすすぎでしょう。
まぁ、甘やかされて育った伯爵家の次男お坊ちゃんをそれはそれで可愛いと思っていたエリアーデにも悪い所はあった。しっかり者のエリアーデは若くしてこのタルト商会を継いだ秀才である。
両親は商会に残るよりも世界を飛び回る方が性に合っているようでエリアーデにすべてを一任し世界を股にかけ、強者達を相手取り日々交渉や商売に勤しんでいる。
エリアーデにとってそんな両親は誇りそのものであった。時々帰って来た時の珍妙なお土産も実に楽しみにしていたりもする。
そのためなのか、なんでも一人でこなせるエリアーデは甘えたな可愛い男が好みであった。しかし、それもここまでかと僅かに肩を落とす。決まってしまったものは仕方がない。
恋愛も商売も引き際が肝心だ。ここはナロットのためを思って潔く身を引こうではないか。
……そう思っていたのに、なんだこの女は。
「大商会と言っても大した物はなさそうね。うっ、味の薄いお茶だこと……」
特注のソファーに腰を掛け、派手な黄色いドレスに身を包んだ頭の悪そうな女が店内中を見渡しながらボソッと嫌味を呟く。
お前が飲んでいる紅茶の茶葉は10㎏の葉の中でも数グラムしか取れないと言われている最高級品だ。
「本日はどのような品物をお探しでしょうか?」
悪態をグッと吞み込んでたれ目を細めながら笑顔でセリーヌ・テールと対峙する。セリーヌは上から下までエリアーデに不躾な視線を流すと勝ち誇った様に鼻で笑った。
「宝石でもお願いしようかと思ったのだけれども……あなたが身に着けてる貧相で粗末な物を見たら買う気が失せたわ。代わりに今流行りの物でももってきてちょうだい」
おいおいおい。この宝石は慎ましやかでさりげなくをコンセプトに作られている王族お抱えの最高の職人が手掛けた一点物だぞ。
「かしこまりました。すぐにいくつかご用意させていただきます」
侯爵令嬢のくせになんと見る目のない客だと、貼り付けた笑顔の下で呆れかえった。
いや、客ではないか。あの女はナロットの元恋人である自分を見下し牽制したいだけなのだろう。侯爵家らしく堂々としていればいいものを。何とも面倒な相手と元恋人は結婚するのだなと同情した。
「お待たせ致しました。こちらが今流行りの物となっております」
貴族の間でも話題となっている北の大地から取り寄せた白をモチーフとしたシンプルなドレスと毛皮、そして最も人気となっている東の大国、ジャカ国から取り寄せた見た目も美しく手触りも最高と大好評の絹を令嬢の前にいくつか差し出す。
セリーヌは白いドレスと毛皮を一瞥したあとすぐさま興味深そうに絹を手に取った。そしてまた勝ち誇った様に鼻で一笑し、サラっと絹を机の上に落とした。
「どれも大したことないのね。がっかりだわ」
「ご期待に沿えず申し訳ございません」
深々と頭を下げるとセリーヌはもういいわと言い残し、ご機嫌で店を出て行った。
何人もの従者を引き連れて馬車に乗り込み去って行く迷惑な人物に心の中でため息を吐きながら見送る。店の中では一流の従業員達が他の客に先程の不快なやり取りを見せることなく上手く接客していた。
その姿を誇らしく思う。
「噂そのものって感じの子だったね」
「まぁ、いらっしゃいませエルン殿下。商品はお決まりになられましたか?」
「君とのお茶の時間を設けてほしいな」
「かしこまりました。すぐに準備させますので今しばらくお待ちください」
「他人行儀だなぁ。僕と君の仲なのに」
それはそれ、これはこれ。と、心の中で返しつつも決して無碍にはできない、いやしたくない相手との時間をより良いものとするために客室にお茶の用意を従業員に任せる。
その間にこの国の第二王子であるエルンを最上級の客室へと案内した。どこかいつもより嬉しそうに客室に置かれたオーダーメイドの大きなソファーに腰を下ろすエルンにエリアーデは態度を軟化させる。
「それで? 今日はどういったご用件でいらしたの?」
「それはもちろん! 君が恋人と別れたっていうから告白しに来たんだ」
意気揚々と答える端正な顔立ちをした可愛い王子様にエリアーデは小さく笑った。
「相変わらず変わったお人ですね。まぁ遊びというのであれば喜んでいくらでもお付き合いしてさしあげますわ」
からかうように妖艶に微笑んで見せる。エルンは整った眉を中心に寄せると真剣な顔をした。
「僕はいつだって本気だ。エリアーデ、君の側にいたい。愛してるんだ。もう他の奴とのことなんて聞きたくない」
思ってもいなかった本気の告白にエリアーデは面食らってしまった。そして内心狂喜乱舞してしまいそうになる程荒れ狂いそうになる心を何とか落ち着かせエルンをお決まりのセリフで遠ざける。
「私と一緒になるということは身分を捨てるということはおわかりでしょう? エルン様には……」
「君と一緒になれるのなら身分なんていらない。王子という身分が足枷となるのなら喜んで捨てる。僕はずっとそう言ってるのに……!」
熱い眼差しを向けるエルンに、こんなにも立派な青年に成長したのかと感慨深いものを感じた。
第二王子エルンはこの国の正妃が生んだ二番目の子である。そんなエルンとの出会いは幼い頃、王太子の生誕祭に招かれた時であった。
元来気の弱いエルンは王と王妃である父と母から離れることができず、人の営みを母の後ろに隠れて見ている事しか出来ないような子であった。
そんなエルンを不敬にも茶会の中心に引きずり出したのがエリアーデである。
母の後ろに隠れてスカートを握り締めおどおどとしている可愛らしい男の子にエリアーデは子どもながらにしっかりと母性を感じてしまったのだ。
冒険好きで無鉄砲な両親の血も災いしたのだろう。身分という絶対的な枠組みを軽々と超え、王子であるエルンを強引に誘い出し、共に王家でしか味わえないお茶やお菓子を心ゆくまで堪能した。
始めは戸惑っていたエルンもエリアーデの面倒見の良さに心を許していき、最終的には王妃である母よりもエリアーデにくっついて回っていた。
今思い返せば何とも恐ろしい事をしていたものだが、なぜかお咎めは一切なかった。それどころか、王家がエリアーデにエルンを任せる事が増えたのだ。
当時は特に何も思うことはなかったのだが、歳を重ねるにつれ疑問が湧くことは当然で。両親に訳を聞くとこのタルト商会と王家の真の繋がりを教えられ驚いたことは記憶に新しい。
エリアーデは逞しく育ったエルンに変わらない愛おしさは隠して一心にエルンを見つめ返した。エルンは真剣な顔に赤みを帯びさせていき、とうとう恥ずかしそうに俯いてしまった。
「……そんなに見つめられると穴が開きそうだ」
「ふふ、まだまだですね。エルン様」
幼い頃と違って人との関りを円滑に行えるようになったことも誇らしいが、まだどこか幼さが残る彼をこの厳しい世界に連れて行くことはできないと気を引き締める。
「私は、エルン様にはもっと相応しい女性がいると思っていますわ。王族という身分を捨ててまでこちら側に来ることはありません」
我儘な弟を諫めるように優しく微笑んだ。本当は誰よりもエルンの事を想っているという気持ちだけは決して見せない。
「覚悟の上なのに……。君はいつもそうやって僕を遠ざける」
ずるい。そう呟くエルンにエリアーデはまた誤魔化すように小さく笑った。お茶を続けようと促そうとした時だ。控えめなノック音のあと、気まずそうに従業員がその顔を覗かせる。
「お嬢様、大変です。ナロット伯爵令息様がお見えになられまして……」
「……はぁ」
思わず特大なため息が口から漏れ出た。




