看病
宿の扉を開けると、かすかにスープの香りが漂っていた。
「シンジ!! 遅い!! ずっと待ってたんだから!!」
アテナの声が廊下に反響した。声だけ聞けば元気そのもの——というか、元気すぎる。
俺は部屋へ急いだ。アテナは袖をまくり、ジャンヌの額に濡れ布を当てている。その動きは、驚くほど手慣れていた。ジャンヌはベッドの上で横たわっていた。目は薄く開き、呼吸は浅い。額にはまだ汗がにじんでいる。
ヴィヴィアナも同じだ。長い銀髪が汗で頬に張りつき、枕元には吐息の熱が漂っていた。耳はまだ腫れていたが、先ほどよりは少しだけ色が引いている。アテナが胸を張る。
「とりあえず、わたし特製のポーションで応急処置しておいたわ。苦手なんだけどね……こういうの……。でも、やればできる女なのよ私は!」
「ありがとな。助かる」
「えっ……た、助かるって……言った?」
アテナが本気で驚いた顔をした。
「お前、何だと思ってんだ……俺の性格を……」
「いや……滅多に褒めないから……今の録音しておけばよかった……」
「録音するな! それにちゃんと要所では褒めてるだろ!」
軽口を叩く余裕が少し戻り、俺はガリベンからもらった薬包を取り出した。細かな粉末状の薬。独特の薬草の香りがふわりと立ちのぼる。
「ジャンヌ、飲めるか……?」
スプーンに水を含ませ、薬を混ぜる。それをジャンヌの唇に近づけると、彼女はかすかに首を動かした。目を閉じたままでも、俺が何をしようとしているか理解したようだった。
「……ご主人……さま……申し訳ありません……」
「謝んなくていい。飲め。大丈夫だ」
ジャンヌは震える唇で薬を受け取り、ゆっくりと飲み込んだ。喉が上下に動くのを見て、胸をなでおろす。次にヴィヴィアナだ。
「……ねぇ……シンジ……」
半分寝ながら、かすれた声でつぶやく。
「……今日の……賭けは……わたしの……勝ち……?」
「そんな賭けしてねぇよ。早く飲め」
それでも、ヴィヴィアナは素直に薬を飲んだ。二人に薬を飲ませ終えると、アテナが何故か胸を張った。
「ねぇ見た? 私、全然平気。やっぱり美こそ強さなのよ、正義なのよ」
この女だけは相変わらずやかましい位に元気だった。俺は深いため息をつく。
(……本当にたくましいな、こいつ……)
呆れながらも、その元気すぎる姿にどこか救われている自分がいた。
数時間後。ジャンヌの顔色がようやく明るくなった。熱はまだあるが、呼吸は落ち着いている。ヴィヴィアナも同じで、額の汗が引き、まぶたがわずかに震えた。
「……シンジ……ありがとう……」
かすれた声でそう言われた瞬間、胸の奥に溜まっていた重たいものがさすがにふっと軽くなった。
だが同時に、窓の外から、遠くの呻き声や人の叫びが聞こえる。宿の外はまだ、混乱の渦の中にある。俺の胸の奥に、予感のような不安が沈殿していく。
それでも今だけは、仲間が生きているという事実が、ほんのわずかに心を温めていた。
俺は椅子に腰かけ、湯気の立たない茶を前に、ぼんやりと外を眺めていた。通りを歩く人影はまばらで、店の扉は閉ざされたままのものが多い。開いている店も、入口に布を垂らし、客の数を制限している様子が見て取れた。
ベッドに腰掛けたジャンヌは、少しだけ顔色が悪いものの、背筋はいつも通り伸びている。白い包帯が耳の付け根に巻かれているのが、やけに痛々しい。
「ご主人様、ご心配をおかけしました」
そう言って、きっちりと頭を下げる。その動きに、まだ微かなふらつきがあった。
「無理すんな。座ってろ」
「いえ。これくらいは……」
向かいの椅子では、ヴィヴィアナが毛布を肩に掛けたまま、湯気の立つカップを両手で包んでいる。銀髪は少し乱れているが、目の光はすでに戻っていた。
「体調はどうだ?」
「賭けに勝ったわ。死神はハズレを引いたようね」
相変わらず、言い回しが不穏だ。それでも、二人とも回復している。起き上がって、話ができる。それだけで、胸の奥に溜まっていた重石が、ほんの少しだけ軽くなった。
だが、安堵と一緒に、別のものも浮かび上がってくる。俺は、意識して声を落とした。
「なあ。これ、本当にただの流行り病なのか?」




