大浴場
リザードマン討伐が終わった時点で、俺たちはもう「人としての清潔感」を完全に失っていた。剣で切り裂いた肉の生臭さ。地面を転げ回ったせいで擦り込まれた泥。
そこにヴィヴィアナの魔法がかすったせいで、焦げた鉄と薬品を混ぜたような魔力臭まで上乗せされている。控えめに言って、最悪だ。
「……ありえない」
アテナが、心底不快そうな声を出した。腰まで届く金髪は血と泥でくすみ、金糸で縁取られた白いドレスはもはや雑巾に近い色合いだ。金色の意匠だけが、かろうじて「元は高級品だった」ことを主張している。
「戦ったんだから仕方ないだろ。風呂できれいにすればいい。俺がおごってやるから機嫌直せよ?」
「仕方なくないわよ。私は本来、清らかで輝かしい存在なのよ?」
俺がなんとかしてアテナを宥めていると、ジャンヌが一歩前に出た。
「皆様、大浴場へ着きましたよ」
見上げると、白い蒸気のようなものが空へと立ち上っているのが見えた。エルフェンウッド最大の浴場〈テルマエ・エルフェン〉。
白い大理石で組まれた建物は、まるで神域のように堂々としている。丸天井のドームからは淡い光が差し込み、入口からすでに温かい蒸気が漏れていた。湯気に混じって、石灰とハーブの匂いがする。教科書で見た古代ローマの浴場と、ファンタジー世界特有の魔導設備が、全部ごちゃ混ぜになっている感じだ。
「すげえ……」
思わず声が漏れる。アテナも石柱を撫でながら目を輝かせる。
「見てシンジ、この建築! ただの浴場じゃないわ。こんなの、絶対神殿よ! ほら天井のステンドグラス! わたしに相応しい高級感だわ!!」
アテナは完全にテンションを取り戻しつつあった。女というものは風呂の前ではどんな状態でも元気になるらしい。ヴィヴィアナは入口の側で足を止め、ぼんやりと上を見上げた。
「天井、高いわね……ここで爆発したらどうなるんだろ……」
「お前の基準はいつもそれだな……」
ジャンヌは場内の案内板を読んで、真面目に頷いている。
「ご主人様、この浴場……混浴なのですね」
「混浴!?」とアテナが勢いよく振り返る。
「ええ。この浴場の建築に携わったエルフの文化では混浴が主流らしいから」
ヴィヴィアナが案内板を指差す。
「えっ!? じゃあシンジと一緒に入るの!?」
アテナの声が石壁に反響した。
「お、落ち着け。湯気もあるし、服の代わりに腰布とか湯浴み着とか着るだろ……」
「いやあぁぁぁ!! 見ないでよ!! 私を!!」
「まだ見てねぇよ!?」
脱衣所はすでに異種族ターミナルみたいな様相を呈していた。人間の商人やエルフの親子連れ、南方から来たらしい褐色肌の冒険者。
風呂を通して文化交流するってのは、妙に理にかなっていた。裸になれば、種族差も地位も消える。いや、隣の男はやたら筋肉がすごかったけど。
俺は腰布に着替え、大浴場の扉を開けた。湯気がふわりと広がり、立ち上る蒸気が天井のステンドグラスの光を淡く反射している。床下を走る配管には、淡く光る魔導文字が刻まれていて、湯温や水圧を自動制御しているらしい。
「はぁぁ……」
湯に足をつけた瞬間、その温かさが疲れをふっと溶かした。あの騒がしい女たちが来る前にこの湯を堪能させてもらおう。
「気に入ってもらえましたか」
声をかけられて振り向くと、そこにいたのはガリベンだった。メガネを外し、濡れた金髪を後ろに流している。さながら水もしたたる色男だ。相変わらず穏やかな表情だが、どこか疲れも見える。
「正直、ここまでの風呂を体験できるとは思わなかったよ」
「それは光栄です。設計した技師たちも、きっと喜びますよ」
「知り合いなのか?」
俺たちは並んで湯船に浸かる。少し熱めの湯が、戦闘でこわばった筋肉に染み込んでくる。
「ええ。実は、僕の同郷のエルフが設計に関わっているんですよ。水循環魔法は南方のエルフの技術、石工は西方の一族。エルフ移民による技術の結晶と言っていいでしょう」
「移民って……そんなに増えてたのか?」
ガリベンは頷く。
「はい。エルフェンウッドは技能さえあれば誰でも歓迎される街として知られています。独立を果たした後、各地から技術者が流れ込みました。この浴場は、その象徴なんです」
「まさか浴場までエルフの技術が使われてるなんてな」
俺はそう言って、湯気の向こうを見つめた。父親らしきエルフの男が子供の体を洗っている。
「シンジさん……今日見たものをどう思いました?」
「今日? 何がだ?」
「この浴場の人々ですよ。エルフ、南方の民、人間……みんな同じ空間にいて、同じ湯を使って、それでも、争いはなかった」
「まあ、平和っちゃ平和な光景だよな」
「ええ。でもそれは奇跡ではなく、努力なんです」
ガリベンはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「多文化共生は、放っておけば自然と崩れます。価値観の差が摩擦を生み、宗教が衝突を呼び、力の差が支配を生み……その繰り返しです」
「……俺たちも、そうやって争ってきたな」
人間の立場で考えれば、急に文化の違う集団が街に流れ込んできたら、不安にもなる。
「だからこそ、僕は思うんです。歩み寄りとは、互いが譲ることでも、意見を合わせることでもなく……違いを理解するために努力を続けることだと」
ガリベンは、蒸気の消えかかった天井を静かに見上げた。
「幸いにしてエルフェンウッドは、それができている街です。まだ途中ですが、きっと良い方向へ進むでしょう」
その言葉には、理想というより、確信に近い熱があった。俺はただ頷いた。
「……そうだな。街は変わってる。俺たちが、あの時戦った頃とは違う街になってるんだ」
「いまいち実感してないようですが、シンジさん。あなたたちがこの街に与えた影響はとても大きいんですよ」
「そうだったのか……」
俺は、湯に肩まで沈みながらしみじみと言った。自分たちのやったことの影響の大きさを、今さら思い知る。湯に浸かり、肩の力が抜いていると、ぱしゃり、と音が聞こえた。何気なく顔を上げた俺は一瞬、呼吸を忘れた。白い湯気の向こうから、三人の美女が現れたからだ。全員、湯浴み着姿だった。




