リザードマン討伐
討伐地近くの洞窟へ到着する頃には、日の光は薄れはじめていた。
ジャンヌが手際よく焚き火を準備する。火打ち石が鳴り、やがて小枝に火が移ると、ぱちぱちと乾いた音が洞窟内に広がった。赤い火花が跳ね、岩壁に一瞬だけ不規則な影を描く。 その揺らめきが、洞窟をより一層落ち着かない場所にしていた。
「夕食をどうぞ」
ジャンヌの声はいつも通り落ち着いていて、洞窟の不穏さを中和する唯一の要素だった。
配られた料理は保存食中心で、固く、素朴で、腹を満たすためだけの食事だ。正直、味に期待するものではないが、今はそれで十分なはずだった。
「……量が足りないんだけど?」
アテナがフライパンをのぞき込みながら言う。
「保存食ですので……この後の早朝戦闘に備え、少し控えめにしたつもりです」
「私、もっと食べたいのよ!」
あ、ダメだ。この語尾は完全に我慢限界モードだ。アテナはふくれっつらをしながら立ち上がり、洞窟の奥へずんずん進む。
「奥様!? 危険ですわ!」
「大丈夫よ! ほら、あそこにコウモリがいるじゃない!」
いやいや。いるから何なんだよ。普通の人間はコウモリがいるからって食べようとしないだろ。次の瞬間、アテナの右手が閃いた。女神の加護? 違う。完全に捕食者の動きだった。ひらひらと飛んでいたコウモリが、まるで運命を諦めたかのように、彼女の手の中に収まる。
「やめろって! クエスト終わればいくらでも食べられるだろ! 今は我慢しろよ!」
俺の叫びは、洞窟の天井で虚しく反響するだけだった。アテナは焚き火の前に戻ると、コウモリを串に刺して火にかざす。毛が焦げると、嫌な匂いが充満した。
「ちょっと焼いたらいけるでしょ」
いけない。誰がどう見ても生焼けだ。なのにガブッといった。
俺の制止も虚しく、アテナは生焼けのコウモリだった肉を焚き火の上で軽くあぶり、豪快にかじる。
「信じられないわ。コウモリって病原菌の宝庫って言われてるのよ」
ヴィヴィアナの呆れた声が洞窟中に響く。ジャンヌは両手で口を押さえ、「奥様、メイドとして、これは……その……」と、倫理と忠誠心の板挟みで葛藤している。
俺たちは全員、完全に固まった。焚き火の音だけが、やけに元気だ。今この瞬間も、世界は平然と回っているらしい。
神聖さも、威厳も、全部まとめてコウモリと一緒に咀嚼され、飲み込まれていった。この女神、ただの野生動物だ。こうしてカオスな夜が更けていく。
まだ陽が完全に昇りきらない静謐な早朝。俺たちは眠気を押し殺しながら洞窟を出て、討伐地である湖畔へと足を踏み入れた。ひんやりした空気が肌にまとわりつき、呼吸するたびに肺の奥まで冷気が流れ込む。
こういう朝の空気は、本来なら清々しいはずだが。
「……なあ、ヴィヴィアナ。四本足のリザードマンって、こう……寝そべって日光浴してるんだよな?」
「ええ、早朝は動きが鈍く、倒しやすいはずよ」
「だよな……?」
なのに。
「……なんで二本足でジョギングしてんだあいつら!?」
湖畔の向こう、朝日の反射で金の筋が走る水面沿いを、リザードマンたちが シャカシャカと軽快な足音を立てて二本足でジョギング している。当然、毒槍と盾をフル装備だ。
ジャンヌは頭を抱え必死に考え込んでいたが、突然、頭をはっと上げた。
「ご主人様、わかりました! あのリザードマン達はきっと意識高い系リザードマンなんでよ! 朝から健康管理に余念がないんです!」
「モンスターにも意識高いって概念、あるのかよ!」
湖畔を長距離ランニングする爬虫類戦士の群れ。寝そべって日光浴じゃなくて朝活。健康志向かよ。というか今の時点で二本足って、もう倒せる気がしないんだが。
リザードマンたちは口々に奇妙な掛け声を上げながら走っている。
「シューッ……ハァッ……シューッ……ハァッ……」
どうやら呼吸法にもこだわっているらしい。
「うわ……なんかフォームも綺麗……」
アテナがぽつりと呟く。
「敵のフォーム褒めてる場合かよ!」
そのとき、ヴィヴィアナが前に出て、湖畔の光を反射させながら不敵に笑った。
「……いいわねえ。こういう計画が狂った瞬間って、魔術師として燃えるのよ」
「やめろ。その眼、絶対ろくでもない未来のやつだ」
「任せて。こういう混沌こそ、私の偏差魔法が輝くタイミングなのよ」
背中からは奇行をしそうな人間特有の静かな圧が漂っている。怖い。だが、止めてもどうせやる。それにもう作戦は完全に台無しになってしまった。
「……好きにしろ。ただし俺たちを巻き込むな。できるよな?」
「サイコロを振るのは神様よ。わたしじゃない」
「そこは嘘でも、出来るって言ってくれよ!?」
地獄の予感しかしなかった。リザードマンたちはこちらに気づいたようで、走るスピードを少し緩めた。その動き一つですら整っているのが腹立つ。
「来ます!」
ジャンヌが盾を構える。その金属の表面に映る朝日が、まるで決闘の幕開けを告げる合図みたいに感じられた。
「よし、戦闘開始だ!」
俺が合図すると、ジャンヌが前へ、アテナがその後ろに立ち、斧を構えている。俺もショートソードを抜いた。
ヴィヴィアナは後方へ下がり、指先に魔力をまとわせる。銀の髪が揺れ、薄い青白い光が周囲を照らす。
「ふふ……乱れる、乱れる……魔力偏差が最高に揺らいでる……」
「危険なときに喜ぶのやめろ!!」
そして、リザードマンの足が止まった。毒槍を構え、こちらを一直線に見据える黄色い瞳。湖畔の空気が、カチリ、と音を立てて固まった。
「行くわよ……偏差魔術」
ヴィヴィアナの指先から、青白い光が跳ねた。
「《アームブレイク》!」
魔力が渦巻き、湖畔の水面が波打つ。空気が焦げるような感覚が肌を刺す。次の瞬間、リザードマンの槍がパキッと砕けた。
「やったわ!!」「さすが、お嬢様!」
成功するとは思っていなかったが、魔法は確かに機能した。さすがはロードメイジだ。
「ふん、私に任せなさいって言ったでしょ?」
ヴィヴィアナが得意げに胸を張る。その瞬間、リザードマンの群れが一斉にこちらへ走り出した。湖畔が揺れる。砂埃が舞う。地面の振動が足裏を震わせる。
「行くぞ!!」
俺たちは一斉に叫び、リザードマンへと駆け出した。リザードマンの群れが一斉に駆け出した。朝靄を割り、湖畔の石が跳ね上がり、湿った草の匂いが激しく立ち上る。
その突風のような勢いが、皮膚の表面にこれは死ぬやつだと警告を与えてくる。
「来るぞ! ジャンヌ、前へ!」
「はい、ご主人様! 《ホスピタリティ・シールド》! 」
ジャンヌが盾を掲げ、最前線へ飛び込む。金属と鱗がぶつかる甲高い音が響き、火花が散った。
「アテナ、援護を頼む!」
「任せなさい! 私の加護で――ひゃっ! こっち来た!」
アテナは斧を構えるものの、強敵を前に安定の後退。毎度お馴染みのムーブだ。
そんな混乱の中、ヴィヴィアナの魔力が青白い波紋となって湖畔を照らす。
「次いくわよ……《アームブレイク》!」
また光が走り、敵の盾が弾け飛んだ。
「ナイスだ、ヴィヴィアナ! 今日は冴えてるじゃねえか!」
「ふふっ、調子が最高なのよ……!」
ヴィヴィアナの魔力が程よく揺れているのだろう。偏差魔術は、本来こういうときに輝く。
俺たちは次々に武器を失ったリザードマンを倒していく。湖畔に転がる槍の破片、湿った土に散る鱗。順調な手応えが、胸の奥に少しだけ希望を灯す。
「この調子ならいけるぞ!」
「もちろんよ! 今日はツイて――」
そのとき――ヴィヴィアナの魔力が、ぞわり、と異様に膨らんだ。空気が重く沈み、足元の草が揺れた。魔力偏差が、跳ね上がった。嫌な予感しかしない。
「……来る、来る……! ああ! 気持ちいい……!」
「おい待て、そのテンションはなんかやばいッ! 一旦落ち着け!」
「《アームブレイク》!、発動っ!」
青白い魔力の奔流が弾け、視界が一瞬白く染まった。肌が焼けるように熱く、世界の空気そのものがビリビリ震える。
そして次の瞬間、リザードマンの槍がまぶしく虹色に輝き、三股の槍へと変化した。
「いや強化されてるううううう!!」
「シンジ!? 槍が二倍くらい太くなってるわよ……!」
「あれは破壊じゃなくて強化魔術になっていますね……」
ジャンヌが震えた声で分析する。
「分析してないで逃げろ!」
リザードマンたちは歓喜の声をあげ、強化された槍を掲げて突進してくる。
「ギャアアアアアア!!」
「走りが……ランニングからスプリントに変わってます!? 速すぎます!!」
「死ぬ死ぬ死ぬ!!」
足元の土が抉れ、風圧が頬を切り裂く。さっきまでそこそこ強い敵だったはずの彼らが、一瞬で冒険者キラーへと進化してしまった。
「ヴィヴィアナァァァァァ! どうすんだ、これ!?」
俺は悲鳴に近い叫びをあげた。
「勝敗は兵家の常。負けることは恥じゃないわ」
「負けること前提で言うなよッ! 畜生、ジャンヌ、盾で時間を稼いでくれ!」
「は、はいっ!!」
ジャンヌが全身の力を込めて盾を構える。強化された槍が金属に激突し、甲高い悲鳴のような音が響く。火花が散り、地面が砕け、衝撃でジャンヌの足がずるりと後退した。
「奥様! もう一度補助魔法を!!」
「わ、わかったわ! ちょっと待って! この辺に神聖力が……あった!」
「神聖力ってそんな雑に探すもんじゃねぇだろ!」
アテナの補助魔法が放たれ、薄金色の光がジャンヌを包む。しかし、その光が出る直前まで本人は普通に逃げ腰だった。本当にこの女神は信用ならない。
「シンジ! 背中気をつけて!」
「うおっ!」
リザードマンが横から突進してきた。俺は地面を転がってかわし、そのままショートソードで奴の足を引っかける。鱗が硬く、感触が手のひらに重く残る。
「ぐっ……こいつら、こんな強くなったのかよ……!?」
さっきの楽勝ムードが嘘みたいに、湖畔の空気は、地獄そのものだった。
湿った土の匂いに、獣が撒き散らす生臭さと、ヴィヴィアナの魔力が焦げつかせた草の甘い煙の匂いが混ざっている。足下の泥はリザードマンの爪で削られ、細かい砂と草が散乱し、足を踏み込むたびにずるりと滑る。
リザードマンが強化槍を構えて突撃してくるたび、空気が震えた。鋭い槍先が風を切る音は、まるで死の笛みたいに高く、耳奥を嫌な刺激でざわつかせる。
あれを一度でもまともに食らえば、身体に穴が開いて死ぬ。そう確信できるほどの重量と速度だった。
「ぐぅっ……ご、ご主人様!!」
ジャンヌの叫びは、震えと焦りと責任感が全部混ざった声音だった。彼女が掲げる盾には何重もの傷が刻まれていた。強化された槍の衝撃が、一度当たるごとに金属が悲鳴をあげている。盾の裏を握るジャンヌの手首は、見ただけで痛々しく震えていた。
「ジャンヌ! ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 今、回復ポーションを……あっ、きゃあ! 来ないでってば!!」
アテナは叫びながら、背中から転がるように逃げ回る。その姿は“美の女神”とは名ばかりで、ただの“パニックを起こしている金髪の美人”だった。そして運命の瞬間は訪れる。
足場の悪い湿地にヒールが沈み、アテナの身体が前のめりに倒れ込んだ。倒れる瞬間の彼女の表情は、まるで人生の終わりを悟った人みたいに絶望的で、それでいてなぜか少しだけムッとした顔だった。
「奥様!!」
ジャンヌが叫ぶより速く、最前列のリザードマンが反応した。まるで獲物を見つけた肉食獣の反射だった。槍を投げ捨て、アテナの腕にガブリと嚙みついた。




