宴の後の金欠
まだ陽が斜めから差す時間。エルフェンウッドの冒険者ギルドは、昨夜の宴の酔気をそのまま抱え込んでいた。
木製の梁に残る酒の匂い、テーブルの間に広がる古い麦酒の酸味。鼻に刺さるような香りと、朝のパン屋から流れてくる小麦の甘い香ばしさが、ぎこちなく同居している。
受付カウンターの前に立つ俺たちは、まるで処刑場に立たされた人間みたいに固まっていた。
テーブルの上には、パーティー口座の台帳。その数字が、現実とは思えないほど無慈悲だった。
「……ゼロ」
アテナが読み上げるよりも早く、俺の目は数字の冷たさを理解していた。受付嬢は申し訳なさそうでもなく、淡々と告げる。
「パーティー口座の残高は、昨日のアテナ様おごり大宴会により、すべて使用されました」
使用、という言葉の柔らかさとは裏腹に、口座は完全に凪のように平ら。一切の波も、兆しもない。
「奥様……!」
隣でジャンヌが両手を口元に当て目を潤ませている。
「市民があんなに喜んでたじゃない? あれは価値ある投資というものよ」
アテナは堂々と胸を張り、女神らしい輝きを……いや、図太さだけを放っている。
「まあ、いいじゃない。破産もまた人生経験よ」
ヴィヴィアナは、軽く伸びをしながら言った。彼女の銀髪が朝の光を受けて揺れ、酒の残り香が微かに漂う。
「皆さん」
やわらかい声が背後から降ってくる。振り返ると、ガリベンが両手に巻物を抱えたまま、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「財政難は、どこの国でも頻繁に起こりますから……あまり落ち込まないでください。僕の故郷も、年度末になると必ず『予算が足りない』と役人同士で揉めていましたよ」
「慰めになってないからな!?」
いや、慰めというより、これはもはや歴史の教訓だ。どうあがいても、金がない。
手持ちの財布の軽さが、現実の重さよりも先に俺の背中へ伸し掛かってくる。
「……よし。クエスト探すぞ」
ため息をひとつ押し込め、俺は仲間たちを掲示板へ促した。
掲示板へ近づいた瞬間、俺は思わず眉をひそめた。なぜならそこはほぼ、エルフの里になっていたからだ。長耳、長髪、細身、淡い香草の香り。
エルフが数十人まとまって掲示板を囲んでおり、ギルドの木造空間が『即席のエルフ専用コワーキングスペース』みたいになっている。
「なんだ……この密度?」
「いくら何でも多すぎね、これ全部エルフでしょ」
ヴィヴィアナが呆れ声を漏らす。
「戦後復興にあたって、エルフたちが新たな働き方を模索しているのです」
ガリベンは淡々と解説する。
「最近、副業冒険者という働き方が書かれた指南書が流行っていまして……特に若いエルフが興味を持っているようで」
「何だよ、その流行!」
そのとき、背後から豪快な声が飛んだ。
「よお、シンジ!」
振りかえると、同期の冒険者ワルツが両手を広げながら怒りの炎を周囲に撒き散らしていた。彼の背中の剣が床を擦りそうなほど乱暴に揺れている。
「見ろよこの状況!! エルフどもが大挙して冒険者登録しやがって、めぼしいクエストが一つも残ってねえんだよ!」
「いや……確かにこれはひどいな」
「おまけに! あそこ見ろ! Aランクパーティーまでこんな田舎町のクエスト取りに来やがるってんだ! もう商売あがったりだ!」
ワルツが顎で指した方向。ギルド奥の登録窓口には、Aランクのエルフ冒険者パーティーとして名高い【新緑の剣】の姿があった。身にまとう鎧は淡い緑の光を放ち、背中に揺れる弓は芸術品のように美しい。そんなエルフの精鋭が、新規登録の列に並んでいる。
いやおかしいだろ。どうしてAランクパーティーがこんな辺境の街にわざわざやってくるんだ。他の街でいくらでも稼げるだろうに。俺が疑問に思っているとガリベンが答えた。
「市民権ですよ。エルフェンウッドは世界でも稀なエルフに門戸を開いている都市です。噂を聞きつけたエルフ達がこの街で一旗上げようとしているんです。その中には高度なスキルを持った者もいます」
そこまで言って、ガリベンはワルツの方に向き直った。
「それにワルツさん。クエスト報酬というのは結局の所、市場原理によって決まります。具体的には需要と供給の変化によって――」
ガリベンが丁寧に経済講義をしようとした瞬間、
「難しい話すんなああああ!!」
ギルド中にこだまする絶叫が飛んだ。
掲示板に残っている依頼は、どれも微妙なものばかりだった。
【草むしり】 【近所の猫探し】【落し物を探して(依頼主:酔っぱらい)】
一体この街の労働市場はどうなっているんだ。
「ねぇシンジ、これなんてどう?」
ヴィヴィアナが興味津々に紙を差し出してきた。
【クラーケン卵採取:銀貨100枚 ※失敗時、臓器差し押さえ】
「臓器って書くなよ臓器って!!」
「でも成功したら人生逆転よ?」
「逆転狙いのクエスト選ぶ奴は大体死ぬんだよ!」
俺が怒鳴ると、ヴィヴィアナは少し不満そうに頬を膨らませる。ギャンブラー気質が全身からにじみ出ている。
「ご主人様……こちらの討伐依頼など、いかがでしょう?」
ジャンヌが、おそるおそる別の紙を差し出した。
【リザードマン討伐】か。報酬は並、依頼地はここから遠い。だがいま残っている依頼の中では比較的まともだ。
「……これだな」
「私はもっと刺激的なのがよかったんだけど……まぁいいわ」
ヴィヴィアナは肩をすくめた。依頼書には細かい生態が記されている。
・リザードマンは朝方は四足形態で日光浴をしているため動きが鈍い。
・昼以降は体温調節のため二足形態で移動をする。
・二足形態では、両手に毒槍と盾を装備し攻撃力が跳ね上がる。
「……つまり、朝一しかチャンスがないってことか」
「その通りですね」
ジャンヌは目を閉じ、静かに頷く。
「二足形態のリザードマンは、上級冒険者でも苦戦するほどの強敵です。過去の記録によれば……早朝以外で挑むのは死と同義と」
「なるほど、それじゃあ、早朝に倒すしかねえな。そのためにも、前日の夜に現地近くで野営だ」
「夜の洞窟! いい響きね! 早速出発よ!」
アテナが楽しそうに笑う。パーティーの方針は決まった。




