独立パレード
朝のエルフェンウッドは、いつもより湿った木の匂いが濃かった。夜のうちに降った小雨が石畳を洗い、そこへ人々が踏みしめる振動がじんわりと伝わってくる。隣の屋台からは焼き菓子の甘く香ばしい匂いが漂い、遠くの鍛冶場からは鉄を叩く軽快な音が混ざってくる。
どこを見ても笑顔だ。緊張に満ちた、あの独立戦争直後の陰鬱さは、もう跡形もない。
こうしてこの街を歩いていると、少し前に一度ここを離れたことが、妙に現実味を失って思える。
一応、俺は日本へ帰ることが出来たのだ。――縄文時代の日本へ。
家に帰るつもりが、待っていたのはコンビニでも大学でもなく、竪穴式住居と石槍を持ったご先祖様だった。どうにか異世界へ戻ってきて以来、俺の中では「日本へ帰る」という言葉の後ろに「※時代は保証されません」という注意書きが付いている。
そんな経験をしたせいだろうか。人間とエルフが同じ道を歩き、屋台でパンを買い、くだらないことで笑っている。それだけの光景が、以前より少しだけありがたく見えた。
そう。今日は、エルフェンウッドの独立を記念するパレードの日だ。
色鮮やかな布が大通りの頭上を覆い、陽光が縞の影となって行進する市民たちの顔を横切る。人間とエルフが肩を抱き、酒瓶を掲げて笑っていた。数年前、互いに睨み合い、時に暴力沙汰にまで発展していた連中が、今は同じリズムで足を踏み鳴らしている。
「……なあ。すげえよな、これ」
思わず口をついて出た俺の言葉に、隣を歩くヴィヴィアナが片目だけこちらへ向けた。銀髪が風に揺れて、ほのかに冷たい葡萄酒の香りが漂う。
「歴史的和解の祝祭だったかしら? まあ、人混みの魔力乱流がすごいから、私の魔法、今日撃ったら確実に暴発するわよ。楽しそうでしょ?」
「お嬢様、嬉しそうというより……危なそうですわ」
ジャンヌが慌ててヴィヴィアナの腕を掴む。メイド服のフリルを揺らしながら、周囲をキョロキョロ警戒している様子は、もはや護衛騎士のそれだった。
そのやりとりに微笑みながら、もう一人、静かな足音を響かせ近づいてきた人物がいた。
「シンジさん。今日のパレード、無事に始まって何よりですね」
穏やかな声だった。高く澄んだエルフの声。それが妙に耳に心地よい。振り向くと、知的な印象の青年ガリベンが小さく頷いていた。
彼の細い指が風に揺れる金髪を押さえ、胸元の巻物を落とさないように抱え込んでいる。
「お前、やっぱ来てたのか」
「ええ。アテナさんが立案した人間とエルフの共同戦線が、今日のこの光景へとつながった……そう思うと胸が熱くなります。オークの圧政に抵抗した皆さんの勇気が、こうして形になったのですから」
ガリベンの瞳は、本当に安堵しているように揺れていた。彼が、戦略を立て、仲介し、人間とエルフの諍いを何度も止めに奔走した日々を知っているだけに、俺は感慨ひとしおだった。
パレードの列はやがて中央広場へと流れ込んでいく。色とりどりの花びらが高く舞いあがり、太鼓の鼓動が胸へじんわり響く。群衆の声が高まる中、視界の先に特設ステージが姿を現した。
そして、そこには、
「ふふん、見てなさい。この威厳ある佇まい……! さぁ市民たちよ、もっと私を称えなさい!」
金色の王冠をかぶり、玉座のような椅子でふんぞり返る解放の女神アテナがいた。
女神のくせに満面のドヤ顔だ。聖なる光とか神秘性とか、そういうものは微塵も感じない。
「奥様が今日も……輝いていらっしゃいますわ」
「ジャンヌ、あれはな、輝いてるんじゃなくて、ただデカい声で喜んでるだけだ」
市民の歓声がさらに沸き起こり、アテナは満足げに鼻で笑った。
そのとき、広場中央に、巨大な白布で覆われた物体が運び込まれる。木材の軋む重い音と、砂埃の匂いが広がる。
「お、おい、なんだあれ?」
「お披露目の準備だそうですよ」
ガリベンが俺の隣で小声で言った。「どうも……人間からエルフへの友情の証だとか」
ステージ上の司会が喉を鳴らして咳払いし、声を張る。
「皆さま! 本日はエルフの同胞たちへの友情のしるしとして……デーモス神像を贈呈いたします!」
布が剥ぎ取られる瞬間、空気が一度だけ静止した。
そして広場に現れたのは、左手に盾を掲げた、実に荘厳なデーモス神像だった。淡い緑石で彫られた穏やかな表情。その足元には、人間とエルフの手をつなぐレリーフが刻まれている。
「……これは」
ガリベンが息を呑んだ。
「素人視点からしても、相当凝ってる像じゃないか?」
俺が言うと、ガリベンは静かに頷いた。
「ええ。これは……人間側の技術で、デーモス神を最大限敬意を持って表現しようとした努力の結晶です。文化が違うのに、ここまで精巧にとは。僕は、ただ……」
彼は胸に手を当てた。
「嬉しいのです。信仰が違うのに人間たちがここまでしてくれるとは」
だが、その感動の余韻を吹き飛ばすように、怒声が広場に響いた。
「異端だ! 神に対する冒涜だ!!」
人混みを割ってクラトス教の神父が進み出た。ケーガンだ。真っ赤な顔で杖を振り上げる。
「この街の中心に平和の神を祀るなど……戦いの女神クラトスの威光を損なう気か! こんな像、受け入れられるはずがない!」
市民のあちこちから反論が飛ぶ。
「バカ言うなよ! 一緒に戦った仲間なんだぞ!」
「宗教争いなんてやめろ! 今日は祝祭だ!」
神父はなおも怒鳴り散らしていたが、群衆の空気は完全に楽しい祭りモードに傾いていた。
ガリベンは静かに言った。
「……こうなることも、予想していました。ですが、だからこそ、この像が建つ意義は大きいのです。感情や信仰の違いを超えて、『共に戦った』という事実を、形に残す。それは、争いの芽を少しだけ摘むことができるから」
その落ち着いた言葉に、俺は思わず感心した。ガリベンは戦いに向いていない。魔法も剣も満足に使えない。それでもこの男は、誰よりもこの街の未来を守ろうとしている。そのとき、司会の声が再び高まった。
「皆さま! この独立は……解放の女神アテナ様の加護あってこそ!」
アテナが椅子から立ち上がり、誇らしげな顔で胸に手を当てる。
「まあ、当たり前よね。私のカリスマがみんなを導いたってこと!」
いや、こいつ戦いのときずっと後ろに隠れてただろ……言いかけて、やめた。どうせ聞く耳を持たない。それに今日はめでたい日だ
「女神アテナ様、万歳!」「万歳!!」
群衆が歓声に包まれる中、女神様と呼ばれ気を良くしたのか、アテナは両腕を広げた。
「皆! 今日は、私のおごりよ! 好きなだけ飲んで、食べて、楽しみなさい!!」
再び大歓声。
「ご主人様、この財源は一体どこから……?」
ジャンヌが妙に冷静に問うてくる。
「……たぶん、俺たちの報酬だな」
独立戦争で中心的な役割を果たした功績によって、俺たちの借金は帳消しになり、さらには商業組合から多額の報酬を受け取る手はずになっていた。だが、アテナはそれに手を付けようとしている。
「そんな……!」
ジャンヌの小さな悲鳴をかき消すように、屋台の鍋が煮え立つ音が響く。肉がじゅうっと焼ける香り、蜂蜜酒の濃厚な甘さ、街中が一気に収穫祭の熱気へ包まれていく。
「シンジさん! ヴィヴィアナさんが酔って魔法を発動しようとしてます!」
ガリベンの叫び声で振り向くと、ヴィヴィアナが頬を赤らめ、空へ向かって指をピッと突き出していた。
「この……この魔力の流れ……いい……今なら当たりそう……」
「よせ! 暴れるな!! お前の場合洒落にならねえんだよ!」
俺とジャンヌが全力で止めに走り、ガリベンが小声で「あ、危ないので僕は距離を取りますね」と後ろへ下がる。
笑い声、音楽、酒の匂い、踊り、歌。広場は熱気と幸福で満ちていた。この平和が、この喧騒が、この街の未来が。どうか、永遠に続いてくれ。そう願わずにはいられなかった。




