48話「また転生」
帝国軍撤退の余韻が、まだ街全体にじっとりと残っていた。
焦げた土の匂い、乾いた血の匂い、魔法の残り香。それらが風に薄まりながらも、完全には消えず喉の奥をざらつかせる。それでも笑顔があった。
泣き笑いの市民、肩を叩き合う冒険者、放心しながら空を眺める兵士。
「……終わったんだな」
俺が思わず呟いた声は、誰に聞かせるでもなく空に溶けた。ジャンヌは戦闘の緊張が抜けたのか、震える声で言った。
「本当に、お疲れさまでした、ご主人様……」
ヴィヴィアナは座り込んで風に銀髪を揺らし、目を閉じたまま疲労の息を吐く。
アテナは大見得を切ったポーズのまま、まだ市民の歓声を受けていた。
まったくいつも通りだったが、街はそれすら誇らしく受け止めていた。勝利の空気は確かにあった。
でも、その空気が突然、割れた。バチン! と音と言うより、空間を殴られた衝撃のような感覚だった。
視界が白く閃光を吸い込み、戦場の真ん中に柱状の光が立ち上がる。人々の歓声が止まる。誰もが武器に手を伸ばす。俺も反射的に剣の柄へ手を伸ばした。
だが、その瞬間アテナの顔が変わった。いつもの高慢なドヤ顔でも、気取りの笑みでもない。静かで、真剣で、覚悟を宿した顔。
「……来たのね」
アテナは光の柱にゆっくり歩み寄り、俺のほうを振り返らずに言った。
「シンジ。あなたを迎えに来たのよ」
心臓が跳ねた。迎え? 戦いが終わった今、誰が? どこから?
俺の頭が混乱で回らないうちに、アテナは続けた。
「魔王を倒さなくても、それに準ずる功績を上げた場合、天界は、異界からの転生者を還すことがあるわ」
言っている意味はわかる。でも理解が追いつかない。ただ、光の柱の奥で確かに何かがこちらを待っている。
遠くからカリスが走ってきて叫んだ。
「みんな下がれ! 新たな敵かもしれん!」
だがアテナは首を横に振る。
「違うわ。これは敵じゃない。呼び戻し。帰還の門よ」
ガリベンが困惑した顔で口を開く。
「アテナ様、それはどういう……?」
アテナは答えず、代わりに俺の名を呼んだ。
「シンジ。あなた、ちゃんと話しなさい。本当のことを」
光に照らされた横顔は、まるで神殿の彫像のように凛としていた。その瞳は逃げ道を与えず、でも優しかった。
俺は気づいた。今がその時なんだと。ずっと言い出せなかったこと。言ったところで何も変わらないと思ってたこと。でも今は違う。
俺は仲間の方を振り返って、口を開いた。喉が乾き、声が震えた。
「皆には黙っていたけど、俺はこの世界の人間じゃないんだ」
夕日が沈む直前の赤い光が、広場の瓦礫や血の跡を照らし、その真ん中で俺の声だけが、詰まったみたいに響いた。
「俺、本当は……日本っていう国から来たんだ。転生してこの世界に来た。記憶もちゃんとあって、家族も、学生生活も……全部。だからいつかは帰らなきゃいけなかったんだ」
言ってしまった。言葉にした瞬間、胸の奥にしまってた重さが崩れ落ちたような感覚がした。
イザークが、真っ先に口を開いた。
「……やはり、そうでしたか」
驚きじゃない。納得の声だった。
「シンジ殿の洞察力、思考、価値観……どれもこの世界の人間の枠には収まっていませんでした。あなたは本当に異界の勇者だったのですね。」
その言葉が真っすぐすぎて、胸が苦しくなる。ガリベンは静かに息をつき、眼鏡を押し上げた。
「……ずっと思っていました。あなたはときどき、まるで外の視点で世界を見ていると。でも、それで街は救われた。ありがとう、シンジ」
感謝なんて向けられると思ってなかった。むしろ責められる覚悟すらしていたのに。
「何だよ、今日でお別れなのか。シンジに借りてた金、明日には返そうと思ってたのによ」
だらしない男ワルツの相変わらずの軽口だった。でも今はそれがうれしかった。
ヴィヴィアナは、笑うわけでも泣くわけでもなく、肩をすくめた。
「転生だろうが異界だろうが関係ないじゃない。私たちと一緒に修羅場くぐった、それが全部よ。ギャンブルは途中経過じゃなくて結果で評価するものだもの」
たぶん彼女なりの最大級の肯定なんだろう。だからこそ刺さった。
そして、ジャンヌだけが、動けなかった。
膝をついたまま、目を見開いて、息もできないみたいに固まってる。名前を呼ぶと、唇が震えながら声を絞り出した。
「ご主人様……私は……決して忘れません。ご主人様の背中を追いながら戦った日々を……奥様とお嬢様に仕え、笑い合い、怒り合った毎日を……全部、私の宝物です。」
涙がまた頬を伝う。でも、その顔は泣き顔じゃなかった。
「どうか……どうか、ご主人様が幸せでありますように。私は、ご主人様のお幸せを……この世界のどこにいても、ずっと祈っております。」
俺の肺がしびれるくらい熱くなった。呼吸が乱れる。声が出ない。だから、言葉の代わりにジャンヌの頭をゆっくり撫でた。
その瞬間、ジャンヌは崩れ落ちそうなほど泣きながら、それでも笑った。
「……行ってらっしゃいませ、ご主人様」
涙の中で、その笑顔は凄かった。強くて、誇らしくて、綺麗だった。
ジャンヌの表情が、泣いてるのに笑っていた。胸の奥が熱くなって、息が詰まった。光の柱が、再び強く輝き始める。転移の時間が近い。アテナが小さく呟く。
「……時間よ」
俺はゆっくり立ち上がり、皆を見た。
イザークは誇らしげに。ガリベンは涙をこらえて笑って。ワルツは豪快に笑い。ヴィヴィアナは照れくさそうに肩をすくめて。ジャンヌは泣きながら、それでも立ち上がって見送ろうとしている。
俺の喉は詰まりきっていて、声が擦れた。それでも張り上げた。
「元の世界に戻っても俺、ちゃんと生きるからさ! だから皆も絶対幸せになってくれよな!」
全員が笑った。涙と笑顔が混ざった、最高にずるい顔で。
ああ、終わるんだ。この仲間たちとの日々が。寂しくて、痛くて、それでも誇らしい日々が。
そして俺とアテナは、光の門の中心へと踏み出した。本当なら、ここで物語は美しく終わるはずだった。世界の境界が震えて、俺とアテナは転移の光に包まれる。はずだった。
「……?」
耳に妙な音が混ざった。キィィィィィ……キュルルルルルルルル……ドドドドド。
いや、この音知ってるぞ。ネジが外れたみたいに脳が一気に覚醒する。
エンジンの回転音。タイヤの摩擦音。アクセル全開の、あの音。
光の奥から黒い影が形を成す。天使の羽でも、白馬でも、神の使いでもない。
四つの車輪。巨大な金属の車体。フロントガラス。そうトラックだった。
俺は反射で叫んだ。
「ちょっと待て待て待て! 何だよあれ! 何でトラックがここに居るんだよ!?」
市民もエルフも全員ポカン。アテナだけが全てを把握しているかのように俺に言う。
「何でって。あんたを迎えに来たんでしょ。まさか、天使とかが来ると思ったの?」
ちくしょう! どこまでふざけた異世界なんだ、ここは! だが、そんなことを言っている暇はなかった。
車体のライトがこちらに向かって光り、アクセルが踏み抜かれたような咆哮が聞こえる。来る。間違いない。俺は本能レベルで叫んだ。
「みんな俺から離れろおおおおおお!」
ヴィヴィアナがジャンヌに駆け寄り、一緒に避難した。だが運命で定められたかのようにアテナだけは逃げ遅れた。光が暴風みたいに渦を巻いて、フロントの光に照らされたアテナの顔が一瞬だけ見える。
「は!? なにこれ!? やだちょっと! 待って、まだ心の準備が!?」
世界がひっくり返るほどの衝撃。視界が光に引き裂かれる。俺とアテナは完全にまとめて跳ねられた。地面も空も全部逆さまになって、白いノイズと轟音のなか、俺たちは異世界から転移した。




