47話「ワン!!」
ペリーの顔色が一瞬で真っ青になった。
「……うそでしょ! なんで……なんで来たのよ!」
アテナが呟く。
「え、まさか、オーク軍の援軍?」
カリスが即座に首を振る。
「違う……兵の装備が違う。あの紋章は帝国軍の正規軍だ」
俺の喉がひゅっと鳴る。戦場に、再び沈黙が落ちた。
騎馬隊の先頭から、壮年の男が降り立つ。白髪と黒髪が混じる短髪。無駄のない甲冑、威圧ではなく静かな威厳。目だけで部隊を統率するような男。ペリーは引きつった声で叫んだ。
「テュリウス将軍!? どうしてこちらに!」
その名を聞いた周囲の兵士たちが一斉に背筋を伸ばす。帝国における軍神とさえ噂される人物だ。将軍はゆっくりと歩み出て、冷たい視線をペリーへ向ける。
「……軍団旗が無断で持ち出されたと聞いた時、まさかとは思ったがな。後を追って正解だった」
その声は怒鳴りでも罵声でもない。だが、静かすぎるその声の方が、恐ろしい。
ペリーの肩が震える。テュリウス将軍は街に向けて深く頭を下げた。
「我が部下の独断によって混乱を招いた。帝国軍の将として、深くお詫びする」
誰もが息を呑んだまま、次の言葉を待っていた。将軍は懐から一通の書簡を取り出す。
「本題に入ろう。我々に侵略の意思はない。我々が望むのは、エルフェンウッドとの友好関係だ」
たったそれだけの言葉なのに、空気が大きく揺れた。戦争に勝って、歓喜の中にいた街に、また新しい答えのないカードが置かれた。
将軍は続ける。声は静かで、しかし反論を許さない確信に満ちていた。
「帝国は、都市国家群との自由都市協定を結んでいる。加盟すれば自治権を保持したまま、帝国と対等に取引が可能だ。我々は、エルフェンウッドにもその資格があると判断した」
“取引”“自治権”“対等”またしても甘い。あまりにも甘い文面だ。市長が震える声を絞り出す。
「帝国への併合ということでは、ないのですか……?」
将軍は即答した。
「違う。支配ではなく、利害の一致だ」
市民たちがざわつき始める。
「あの帝国と対等に取引できるのか?」「敵じゃなくて、味方に……?」
「本当に自治権を保証してくれるなら、悪くないんじゃ……」
戦いが終わった直後の疲労と安堵。そこへ安全と繁栄の約束が降ってきたら心は揺れる。そして将軍は畳みかけるように利点を提示した。
「帝国の鉱山、穀物と、エルフェンウッドの霊脈結晶。貿易すれば双方が利益を得られる。冒険者ギルドはそのまま残してよい。関税も徐々に下げられるだろう」
街の人たちの目が、ぐらりと揺れた。だがただ一人、怒りで震えている者がいた。
ペリーだ。顔が引きつり、唇が噛み締められている。計画が崩れただけじゃない。自分のやり方が完全否定されている怒りが燃えている。
「……そんな……私と何が違うの……? この街を帝国のものにするために来たのは同じはずなのに……」
テュリウス将軍は目だけを向けた。
「結果のために戦力を浪費する者は三流。秩序を壊す者は二流。本当に結果を得る者は敵すら利害で味方に変える」
その瞬間、戦場の空気がぞくりとした。強さが違う。剣や魔法じゃない。思想の次元が違う。俺は思わず唾を飲み込んだ。これが帝国の力の源泉なのか。武力じゃなく、合理性を極めた果ての強さ。
「ちょっと待ってくれ。将軍に質問がある」
気づいたら俺は口を開いていた。
「あなたの話はずいぶん、こちらにとって優しい話に聞こえる。教えてくれ。帝国にとって、この協定のメリットは何だ?」
俺の問いかけに、戦場の空気が瞬時に硬くなった。誰も言葉を発しない。市民も、冒険者も、兵士も、市長ですら息を飲んでいる。その注目の中心にいるテュリウス将軍は一切動じていなかった。
「純粋に得失を比較考量した結果だ。武力占領はコストがかかりすぎる。辺境の都市を維持するには、補給線が長すぎるのだ。知っているかね? 際限のない拡張を続けた国家は滅びる。歴史の鉄則だ」
声は低くて、淡々としていている。ただ合理を語る者の声だ。
「占領すれば、治安維持も行政も帝国が負担する。だが交易相手であれば、双方が利益を得る。故に使うべきは軍事力ではなく利害だ」
戦場が静まり返る。アテナがたまらず俺にささやいた。
「ちょっと何この人、ただのイケオジかと思ってたら、強キャラ感あるんだけど?」
そうだ。弱さがどこにもない。剣でも魔法でも政治でも、全部で勝ってきた男だ。
「もしもの話だ……もし俺たちがこの提案を断ったら、どうなる?」
戦場中の心臓が一斉に跳ねたと思う。だけど必要な質問だった。テュリウス将軍は即答しない。一拍だけ置く。その一拍が、怖い。
「交渉の扉を閉じる。そのうえで敵国に物資を供給し、エルフェンウッドの交易路を分断する」
アテナが息を飲む。ガリベンが顔色を変える。戦わないという選択で、都市国家ひとつを干上がらせられる。帝国はそういう国だ。テュリウス将軍は言葉を続けた。
「武力はあくまでも最後の手段。我々は、戦わずして勝つことを好む。戦わずして繫栄することを選ぶ」
そう言って将軍は市長に向き直った。市長が文書を受け取った。帝国自由都市加盟協定案。
ガリベンが紙面を確認する。最初は震えていた手がやがて落ち着きを取り戻してくる。
「……条件を分析しました」
その声に、皆が耳を澄ます。
「帝国加盟料は妥当な額です。帝国の交易網を使えば、エルフェンウッドの資源を外国へ輸出できます」
彼は顔を上げる。
「自治権は明文化されています。これ以上の条件は……正直、望めません」
そこへ、ワルツが頭をぽりぽりとかきながら、出てきた
「難しいことは、正直よくわからねえ。俺が読んでもわかるのは、冒険者登録と離婚届くらいだ」
ワルツらしい物言いに場が少し和む。
「でもよ。シンジやガリベンがそう言うなら、俺は賛成だ。あいつらは頭も良いし、何より信じられる」
その一言が、空気を決めた。市民たちが顔を見合わせ、ゆっくりと頷き合う。議長は書簡を受け取り、しばらく黙っていた。傷ついた街。疲れ切った人々。
「……この街を、英雄の墓にはしたくない。協定を結ぼう」
そう呟いて、ペンを取る。一文字一文字、確かめるように署名した。歓声は上がらない。代わりに、深い吐息が広場を満たした。
テュリウス将軍は深く頷き、ただ一言だけ告げた。
「賢明な判断だ。そしてその判断を市民が下したことを、私は讃える」
街全体が大きく息を吐いた。重圧から解放された安堵が、波のように広がった。
そこで、ずっと黙っていたペリーが震える声で叫ぶ。
「なんでよ……! なんで私じゃないのよ!! 結果的に街が帝国のものになるなら、私のやり方が正しかったはずでしょ!? どうして……私の功績は取り上げられるのよ!?」
テュリウスは冷たい眼差しで静かに言う。
「お前はこの街を従わせようとした。私はこの街を尊重した。その違いだ」
帝国自由都市への加盟が可決されたあと、広場には戦場にはなかった種類の静けさが流れていた。どんよりじゃない。ぽかぽかしたわけでもない。言うならば「やっと息ができる」みたいな静けさだ。
そんな空気のなかで、テュリウス将軍は淡々と上司としての義務を果たした。
「ペリー・クラウディア」
名前を呼ばれただけだ。なのにビクッとペリーの肩が跳ねた。見てて同情する位に。
「同期に比べて、君の出世は遅れていた。功を焦る気持ちはわからないでもない。だが、存在しない軍団を示唆し、外交を装った威圧を行うなど、帝国軍人として言語道断たる振る舞いだ」
ペリーの顔が真っ赤になり、悔しさで涙を滲ませた。歯を噛みしめすぎて顔が震えている。
「帝国軍の威信を汚す、重大な規定違反行為。処分は免れないだろう」
押し黙ったままのペリーにテュリウスが静かに一歩近づく。
「さて、君は今から私と一緒に帝都に帰ることになるが……その前に、エルフェンウッドの皆さんに何か言っておきたいことはあるかね?」
広場の空気が、一気に張りつめたのがわかった。俺は黙ってペリーを見る。ジャンヌも、ヴィヴィアナも、誰一人声を出さない。ただ、アテナだけが憎らしい位に頬を歪ませ、ニヤッと笑っている。
ペリーは一瞬きょとんとした顔をして、次の瞬間、すべてを理解したみたいに目を見開いた。たぶん、思い出したんだろう。少し前、自分が吐いたあの言葉を。
――犬の振りをしてワンって鳴いたら、条約を修正してあげる。
あの時は、完全に調子に乗っていた。相手が逆らえないと、信じ切っていた。
だが今は違う。ここにいる全員が、彼女がもう逃げられないことを知っている。
ペリーは唇をわなわな震わせ、ちらっとテュリウス将軍を見る。将軍は何も言わない。ただ、「さあ?」みたいな顔をしている。
全身を震わせながら、俺たちの前で両膝を突いた彼女の姿は、軍人とは思えないほど滑稽だった。両手を前に出し、指をコの字に曲げる。その顔は真っ赤を通り越して沸騰しそうだ。
そして、ペリーは口を開けた。それは吠えた、というより、喉の奥から怒りや羞恥心をないまぜにして、無理やり絞り出した音に近かった。
「ワン!!」
テュリウス将軍は満足そうに頷いた。
「よろしい。行くぞ」
ペリーは涙目のまま、将軍の後ろについて歩き出した。その背中には帝国軍人の威厳なんてかけらも残っていなかった。




