46話「逆転」
「だったら、逆転してやるよ」
ペリーの笑みが、初めてほんの僅かに揺れた。アテナは一瞬ぽかんとした後、小さく笑った。悔しさと安堵と、ちょっとの期待が混じった顔で。
「それよ、それ。やっと主人公っぽいこと言ったじゃない」
「うるせえよ」
心臓は爆音。足も震えてる。かっこつけてみたものの、方法なんて何も思いつかない。
まして相手は帝国の軍団長。場数も経験も知識も、全部が桁違い。普通なら勝てるわけがない。そんな考えが頭の中で何度もこだまする。鼓動と同じリズムで繰り返される。
でも、勝ったのに。自由を取り戻したのに。また過去と同じ未来へ歩いていくのを、俺は黙って見ているのか?
俺の喉が熱くなる。体温ではない、悔しさの熱だ。そのとき、脳の奥底で、微かなひっかかりがくすぶった。
……何か、変だ。視界の奥で、過去の光景が断片的に蘇る。誰かの声。偵察の報告。補給の噂。商人たちの言い争い。野営地の煙。
どうして今、それを思い出したんだ? 関係ないと、思えば思うほど、記憶が勝手に浮かび上がってくる。
まるで「見落としてはいけないものがある」と、誰かに言われているみたいに。
俺は無意識に目を閉じた。耳に残った言葉、目に残った映像、鼻に残った匂い、それらをひとつずつ、時間を巻き戻すように拾っていく。まるでパズルを解く時の閃きのようだ。
バラバラの断片。意味のない点の集まり。それらがもし一つの線になるとしたら?
「まだだ」
誰に言ったのか自分でもわからなかった。でも確かに口から出た。アテナが驚いて俺を見る。ヴィヴィアナがわずかに目を細める。群衆がざわめきを止める。
深い沈黙の中で俺の脳裏に閃光が走った。シナプスの結合が喉から声を押し出す。
「……アンタさ。本当に大軍なんて率いてきたのか?」
空気が揺れた。ペリーの微笑はそのまま。けれど、ほんの一瞬、口角がわずかに引きつった。見逃すわけがない。確信は真実へと変わった。
俺は追撃する準備を整えた。もう逃げない。逆転はここから始まる。俺はペリーの逃げ道を潰すため、ゆっくり、はっきり言葉を続けた。
「おかしいと思わないか? 俺たちの斥候がオーク軍の進軍を常に偵察していたのに、帝国軍の進軍は誰も見ていないんだ」
俺が思い出したのは作戦会議での偵察報告だった。
《オーク軍は北西の峡谷経路を進軍中。それ以外に注目すべき軍事行動はありません》
オーク軍の報告はあったのに、帝国軍を見たって証言は一つもなかった。
「あの時、俺は運が良くて遭遇していないだけだろと思った。戦争じゃよくある話。それで済ませた。でも今考えると大軍が接近していて、誰も見ていないのは、やっぱり不自然だ」
戦場跡にどよめきが走る。群衆の反応が一気に揺れた。ペリーは答えない。余裕を崩さないために無視を選んだのだろう。逆に好都合だ。沈黙している間にも裁判は進む。
「それに、もしあんたの言う通り、軍団を率いて進軍したのなら、周辺の町は補給徴発で地獄だったはずだ。でも現実は逆だった。商人たちは物資を売ってくれたし、補給品を買い占めてたのは俺たちエルフェンウッドの方だ」
市民の表情が変わる。思い出す顔になってきた。ヴィヴィアナが俺の言葉にかすかに笑う。気づいたらしい。
「大軍が動くには必ず補給がいる。食料、装備、矢、薬草、燃料。俺たちが少しの間、戦っただけでも身に染みた。オーク軍はちゃんと本国からの補給ルートを構築した」
俺は止まらない。思考が熱で走っているのに、声は妙に冷静だ。
「じゃあ、帝国軍は? 大軍が存在しているなら、こんな静かな動きは有り得ないだろ」
ペリーは笑みを崩さない。でも声は、もう余裕だけで出来ている声ではなかった。
「……言いがかりね。わたしがそんな嘘をついているとでも?」
「まだ、あるぜ。オークとヴァルキシア帝国は控えめに言っても、関係は良くない。だというのに、アンタの話を信じるなら、帝国軍が堂々と野営していたんだ。オーク軍の補給路のど真ん中でな。本当に大軍がいるなら……オークがそれを放置するわけがねえ」
戦争のセオリーを知らない俺ですら分かる。補給路を敵に握られたら死活問題だ。なのに、ペリーはそこに悠々と陣を張っていた。理由はひとつしかない。オーク軍がそれを危険と認識していなかった。つまり、そこに脅威となる大軍は存在していなかったからだ。精々、偵察小隊の規模だったのだろう。
ペリーの表情が揺れた。口角がわずかに下がり、目の光が濁った。アテナが小声で俺に呻いた。
「……ちょっとシンジ怖い……推理キャラだったのあんた……?」
俺は返さず続ける。
「大軍がいるのに武力行使しない理由はただ一つ。大軍なんてどこにもいないからだ」
戦場全体が息を飲む音が聞こえた。静寂が金属みたいに冷たい。ガリベンが震え声で補強する。
「……補給の痕跡も、人員移動の痕跡も、斥候の証言も全てが……帝国軍は存在しないという前提で説明できる!」
ヴィヴィアナが薄く笑う。
「なるほど。軍団のハッタリで交渉し、疲れて抵抗できない街を安い労力で獲ろうとしたのね」
ジャンヌが盾を握りしめ、かすれ声で震える。
「では……この場にいるのは、本当に数人の部隊だけ……?」
「ああ、野営地の煙は多く見せかけるためのダミーの可能性が高い」
群衆全ての視線が、ゆっくりと一斉にペリーへ向かう。だが、ペリーは笑った。嘲笑でも、怒りでもない。むしろ「感心した」と言いたげな、薄い微笑。
「なるほど。素人にしては、よく考えた推理ね。でも、それは推理であって、証明ではないわ」
来た。反論だ。ペリーは一歩前に出る。
「まず一つ。あなた達の斥候が我が軍団を見つけられなかった?」
肩をすくめる。
「それはいない理由にはならない。帝国軍は大陸随一の練度を誇るわ。行軍痕を残さない訓練も受けているわ」
数人の市民が、なるほど、と頷いた。
「次。徴発が起きていないこと」
ペリーは指を一本立てる。
「我らヴァルキシア帝国は誇り高き文明国家よ。オークと違って、地方都市を荒らすような無作法はしない。物資は事前に集積し、補給基地から計画的に運ぶ」
その口調には、揺るぎない自信があった。
「略奪や徴発に頼るのは、未熟で野蛮な軍隊。ヴァルキシアのやり方ではないわ」
市民の間に、わずかな困惑が広がる。なるほど、帝国はやはり違う。そんな空気が確かに生まれた。俺は一度、深く息を吸った。
「……ああ、その通りだ」
ペリーの視線が、わずかに細くなる。
「アンタの言ってることは正しい。一般論としてはな。だが、ここはエルフェンウッドだ」
俺は足元に広げられた簡易地図を指差す。
「帝国本土から遠く離れた極東の辺境。まともな街道も通っていない。港もない。大河もない」
一つ一つ、指でなぞるたびに、市民たちの表情が強張っていく。
「そんな場所で、どうやって、大軍を維持するだけの物資を円滑に補給し続けたんだ?」
俺は顔を上げ、ペリーを見据えた。
「……中央から運んだ、と言ったでしょう」
ペリーは即座に答えたが、その声には、ほんのわずかな硬さと苛立ちが混じっていた。
「中央から? じゃあ聞くけどさ。その中央からの補給線、どこを通って、ここまで来た?」
ペリーは答えなかった。風が吹き抜け、旗がはためく音だけが広場に響く。
「オークはな、同じ問題をもっと雑に解決した。補給ルートを構築した上で、足りない分を周囲の村や街から徴発したんだ。乱暴だが、理屈は通ってるし、実際に機能した」
ヴィヴィアナが、静かに頷くのが視界の端に入った。
「でもアンタは言ったよな。徴発はしていない。地方都市は荒らさないって。じゃあ、答えろよ。どうやって補給した? 補給線は戦場の血管だ。血が流れてないのに、心臓だけが動く軍隊なんて存在しねえんだよ」
戦場に漂う空気が、完全に変わった。数分前までの絶望はどこにもない。今あるのは真実に気づいた市民の静かな熱。
ペリーはまだ笑っている。だがその笑みは、鉄のマスクみたいに硬く張り付いている。
「現実が示した答えは一つだ。ここに大軍はいない」
ざわめきは起きない。もう皆わかっているからだ。俺は続ける。
「ペリー、アンタは……ただ街を襲うんじゃなくて、戦いに疲れた街を脅して奪う気だった。かつてのオークみたいにな。帝国の軍事力があれば誰も逆らえない。そう思わせれば、抵抗なしにこの街を手に入れられると踏んだ」
ペリーの喉がピクリと震えた。顔は笑っているのに、身体が否定している。俺は最後の質問を叩きつけた。
「お前が欲しかったのは、この街そのものじゃない。功績だろ?」
その言葉はまさに剣先だった。ペリーの瞳の奥を、確実に刺した。表情が崩れた。はっきりと笑っていられなくなった。ガリベンが愕然とした声で言う。
「そうだ。功績だ。この街を武力ではなく外交で平定したという功績。だから、本当は攻め込めなかった……!」
ジャンヌが涙をこぼしながら叫ぶ。
「であれば……! 私たちは……屈する必要などありません!」
ヴィヴィアナが涼しい声で締める。
「ハッタリだとばれたブラフほど弱いものはないわ」
アテナがそこでついにノッた。斧を肩に担いで高らかに宣言した。
「そういうことよね!? つまりこの人、虚勢で見栄張ってただけじゃない! やっぱり私の目は正しかったわ! 皆、私たちは勝てるわよ!」
ただの台詞なのに、爆発の号砲に等しかった。場の空気が一気に沸騰した。
「俺たちは負けてなかった!」「戦った意味があったんだ!」
市民、兵士、冒険者、エルフ。立ち上がる音が戦場に連鎖していく。それでもペリーは、最後の抵抗を見せた。
「待ちなさい! あなた達が何を言おうと、帝国は強大なのよ! 逆らえば、いずれ必ず報復が来る! 今は良くても、あとで後悔するわ! あなた達は弱いのよ!」
その言葉は、数分前なら刺さっていたかもしれない。でも今の俺たちには届かない。俺は、はっきりと言い返した。
「いいか、よく聞け。弱いからって、それだけじゃ膝をつく理由にはならない」
ペリーの顔が真っ青になる。さっきまで足が震えていたのは俺なのに、今震えているのはペリーの方だ。
「この街は俺たちが守る。不平等条約なんて結ばない」
風が吹いた。静寂が走った。そして爆発した。
「うおおおおお!!」「戦うぞ! 俺たちの街だ!」
消え変えていた戦意が蘇った。それは炎のようで、涙のようでもあった。アテナは隣で笑っていた。さっきまで責任押し付けて逃げ腰だった女神が、今は満面の笑みで。
「よく言ったわよシンジ。やっぱり主人公はこうでなくちゃ」
「主人公じゃねぇよ」と言いながらも、胸の奥が熱かった。
その光景を見ていたペリーはゆっくりと息を吐き、背筋を正した。その姿は最後まで軍団長らしく、崩れなかった。
「……もういいわ」
彼女はそう言って、俺を見た。
「理屈でここまで追い詰められたのは、久しぶりだわ」
市民たちがざわめく。それが敗北宣言だと、誰もが察した。
「今日は……ここまでにしてあげる」
ペリーは最後まで虚勢をはりながらも、踵を返した。護衛に視線を送り、撤退しようとした時、乾いた重低音が地平線のほうから響いた。地鳴りでも、太鼓でもなく、蹄の音、騎馬の行進だ。
遠くに砂煙が上がり、平原の向こうから軍団が現れる。金色の縁取りの深紅のマント。槍と盾を完璧に揃えた戦列。軍団旗が日光を反射し、目に焼きつく。
ペリーの顔色が一瞬で真っ青になった。
「……うそでしょ! なんで……なんで来たのよ!」




