44話「決着」
尾を引きながら天空を滑る炎の球。見覚えのある、色と軌道だ。
「……嘘だろ」
誰かが震える声で呟いた。俺も、視界の端にそれを捉えて理解する。地平線へ消えたはずの《インフィニット・バースト》が空を裂き、光の尾を引きながら戻ってきていた。
それは流星というより、世界を焼却する意志そのものだった。
「ご主人様……!」
ジャンヌが震える声で俺の袖を掴む。目を見開いていたヴィヴィアナは、突然全てを理解したかのように言った。。
「……そうか、わかったわ! 私の魔法は外れたんじゃない。惑星を一周する偏差を選んで、遠回りに戻ってきたのよ!!」
俺はヴィヴィアナの方に向き直った。脳が理解を拒みたくなる事態が今起こっている。
「ちょっと待てえぇ!! それじゃ、なにか? 山を吹き飛ばしたあと、この星をぐるりと一周飛行してたってことか? どんだけ狂った魔法なんだよ!!」
ヴィヴィアナに怒鳴りながらも、絶望と感動の両方が俺の胸で一杯になっていた。この無駄に壮大なスケール感。職業というのは所詮、冒険者ギルドが決めたレギュレーションに過ぎない。認めよう、こいつこそ唯一無二の偏差魔術師、ヴィヴィアナだ。
「あの火球、もしかして、オークではなくこちらに向かってきてませんか?」
ジャンヌの一言に、場の空気が凍った。
火球はどんどん視界の端から大きくなり、空を赤く染めながら迫ってくる。その熱が、戦場全体にじわじわと降りてきた。
「やばい……やばいやばい!! さっきの一発で、私の魔力はほとんど空よ! このままじゃ、また軌道がズレて、今度こそ街に落ちるわ!!」
ヴィヴィアナがクールな仮面を外し、顔を真っ青にして叫ぶ。
「なんだと……?」
俺の背筋に悪寒が走る。少しかすっただけであの山を消し飛ばした火球が、今度はエルフェンウッドに落ちる未来。それはつまり、この街が丸ごと焦土になるということだ。
奇跡は確かに来た。だが、コントロールできなければ破滅だ。
アテナは炎に照らされながら、振り返りもせずに言う。
「ヴィヴィアナ。足りないのは魔力……そうでしょう?」
「ええ……足りないわ。あと少し、あと一押しあれば……当てられる。でももう無理よ。今の私にはコントロール出来ない」
賭けの女王が、初めて“勝ちたい”と願っていた。だが火球は獣のように暴れ、偏差の衝動で軌道を外そうとしていた。それは美しく、恐ろしく、制御不能。
アテナは静かに目を閉じ、胸に手を当てる。風は熱を帯び、血と焦げの匂いが渦巻く。最前線の兵士も市民も、ただ見つめることしかできない。
アテナは言葉を放った。
「だったら、簡単じゃない。奇跡を起こせばいいだけよ」
「だから奇跡って……どうすんだよ!」
俺が叫ぶと、アテナは振り返って微笑んだ。それはいつもの高飛車な笑顔ではない。妙に静かで、尊く、“本物の女神”みたいな笑顔だった。
次の瞬間、アテナの身体から、金色の光がふわりと舞い上がった。まるで風に流れる花びらのように、柔らかい光の粒が空へ昇る。
そして、戦場全体に広がっていく。子ども。老人。怪我を負った市民兵。心が折れかけていた冒険者。エルフの兵士たち。その胸元に、ぽうっと小さな光が灯る。
「え……? あったかい……」
「なんだ、この光……」
エルフェンウッド市民たちの“願い”“祈り”“生きたいという意志”。それらが一つずつ光として浮かび、空中で糸のように長く繋がり始めた。無数の光が編まれ、鎖のように連なり、一本の巨大な“祈りの連環”となってアテナの腕へ集まる。
その光景に俺だけでなく、オーク軍すら動きを止めて見入っていた。
「アテナ、何だよこれ……」
「《祈願の光路》よ。——信じる者の願いを束ね、繋げる魔法」
アテナの声は澄んでいた。
「シンジ、よく聞いて。この魔法はあくまでも人々の間に繋がりを作っただけ。もう一押しいるのよ。皆が私たちを信じてくれなければ、ヴィヴィアナには届かないわ。わかるでしょう。あんたの力が必要なの」
「ああ、わかってる。アテナ。今こそ、本物の勇者パーティーになる時だ」
俺は深呼吸をし、腹の底から声を絞り出した。
「聞けぇぇぇ!!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。人間もエルフも、オークですら一瞬動きを止める。
「みんな! ヴィヴィアナに、力を貸してくれ! 魔力だ! 残ってる分全部だ!」
自分が何を言っているのか、途中からよく分からなくなってきた。でも、他にできることもなかった。
「このままだと、街ごと焼き払われる! 俺たちも、市民も、子どもも老人も、全員まとめてだ! でも、あれをコントロールできれば、オーク軍をまとめて吹き飛ばせる! どうせなら最後に……でかい花火を上げようぜ! 生きるか死ぬか分からないなら、せめて、派手に賭けて終わろうぜ!!」
口が勝手に走っている。あとで思い返せば、どうしようもなくバカで恥ずかしい台詞だ。けれど。
「いいぞ! やってやる!」
「どうせ逃げ場なんてないんだ!」
「なら、賭けてやろうじゃねぇか!!」
誰かが叫んだ。それが引き金になって、周囲の兵士たち、市民たちが次々に手を掲げる。
「女神様の奇跡に賭けるぞ!」
「俺の力もくれてやる!!」
エルフも、人間も、空に向かって両手を差し出す。祈るように。叫ぶように。その指先から、淡い光の粒が立ち昇り始めた。
「ヴィヴィアナ。あなたが背負ってきた“偏差”に……今だけ、人々の意志を重ねてあげる」
アテナが腕を振ると、光の鎖は一直線にヴィヴィアナへ走り、胸元へ吸い込まれていく。ヴィヴィアナの銀髪が、一瞬、炎のように輝いた。
「こ、これは……!」
大地が、風が、遠くの空までも揺れる。足元に描かれた魔法陣が、ふたたび鮮やかに輝きを取り戻す。
「これが全部……この街の魔力……?」
ガリベンが震える声で言う。俺はヴィヴィアナの顔を見た。
さっきまでの愁いを帯びた表情ではない。賭け事の前にサイコロを握りしめる、あの危うい光がその眼差しに戻っていた。
「ありがとう。みんなの賭け金、確かに受け取ったわ」
「おい、言い方!!」
この期に及んでその表現はどうかと思うが、それ以上突っ込む気力が俺にはなかった。
「シンジ、みんなが私に力を託してくれてる。でもわたしはあなたの言葉も聞きたい。あなたは私に賭けてくれる?」
「おまえが信じる偏差を、俺は信じる。だから迷う必要なんてねえよ。存分に外してこい」
そう言うと、ヴィヴィアナは目を伏せ、深く息を吸った。そして両手を空高く掲げると彼女の身体から光がほとばしり、天空の火球へと一直線に繋がった。火球の周囲の空間が歪む。
ヴィヴィアナの手が、その軌道をつまみ、ほんのわずかだけ捻じ曲げた。だが、それだけで十分だった。火球が軌道を大きくうねらせ、威力を跳ね上げながら標的へと収束していく。
さっきまで街の方向を向いていたそれが、ぐい、とあり得ない角度で折れ曲がり、オーク軍の真上へと滑り込む。
その一瞬、市民も仲間も敵も、誰もが見守っていた。アテナの祈り。市民の願い。俺たちの覚悟。ヴィヴィアナの狂気と、努力。それら全部が、このゲームのレバレッジになる。
クルーガーの顔に、初めて本物の焦りが浮かんだ。
「なっ……!」
「行っけええええぇ!!」
逃げる暇などなかった。火球が地面に触れた瞬間、世界が白く弾ける。音が消えた。視界が真っ白になり、全ての輪郭が溶ける。遅れて、鼓膜を引き裂くような爆音が襲いかかった。
大地が盛り上がり、空気が壁となって押し寄せる。俺は地面に叩きつけられ、口の中に砂と血の味を感じた。
どれくらい時間が経ったか分からない。耳鳴りの中で、誰かのすすり泣きと咳き込む音が聞こえてくる。
ゆっくりと上体を起こし、目をこする。霧は吹き飛んでいた。代わりに、薄い煙と土埃が空気を満たしている。
視界の先、さっきまでオーク軍の主力が陣取っていたはずの場所に、巨大なクレーターが口を開けていた。黒い甲冑も、旗も、さっきまであったはずの軍勢も、そこにはなかった。
残っているのは、焦げた土と、ところどころに突き出た槍の破片だけ。
「やった……の、か……?」と誰かが呟いた。
あちこちで、信じられないという声が漏れる。俺は振り返った。
アテナは、へたり込むように膝をつき、それでも必死に表情を作っていた。
「ど、どうかしら……? これが、本物の奇跡よ!」
ジャンヌが感極まったように手を合わせる。
「奥様、お嬢様、なんと……なんと尊いお力……!」
ヴィヴィアナは、いつもの薄笑いを浮かべながら空を見上げていた。
「ふふ……最高だったわね。あんなでかい賭け、もう二度とできないかもしれない」
俺は、大きく息を吐いた。どこまでが偶然で、どこからが奇跡なのかなんて、もうどうでもよかった。
少なくとも今この瞬間、マリナの首を、誰の命も、差し出さずに済んだ。
それだけで十分だと心から思った。
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