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42話「カードはない」

 ヴィヴィアナは偏差が積み重なった末の届かないという結末に、全身を震わせながら微笑んだ。

 

 「あの完璧な偏差……“当たる気が一ミリもしない美しい曲線”……あれよ、あれが……私の理想……!!」

 

 目を輝かせ、頬は紅潮し、息は少し荒い。

 

 「取り返しのつかない失敗って……どうしてこんなに……気持ちいいのかしら……!」  

 

 「少し位空気読めよ、このポンコツ魔女がァァァ!! 今の流れは完全に当てる流れだったぞ!? 仲間から勇気をもらって、自分は一人じゃなかったって認識する、そういう流れだったろ!!」

 

 「へ、へぇ……そうだったの……?」

 

 ヴィヴィアナは目を細め、さらにうっとりする。

 

 「やだ……ますます最高じゃない……」

 「やめろ!! 全然最高じゃない!!」

 

 そこにアテナがズカズカと近寄ってくる。金髪を揺らし、さっきの優しく励ました女神の面影が完全に消え去っている。

 

 「ちょっとアンタ!? 私の感動的励ましの直後に、大陸消滅レベルの外し方してんじゃないわよ!! 女神の威厳が消えちゃったじゃない!!」

 

 「いやぁ……外すと思ってなかったの。でも、あれはあれで美しい結果よね?」

 

 戦場の緊張は一度消え、まるで大規模コントの幕間のような沈黙が広がる。

 

 さっきまで空を引き裂いて飛んでいった火球は、山を一つまとめて消し飛ばしただけで、肝心のオーク軍本隊には一切当たっていない。遠くの地平線に残る、黒い煙の柱だけが、ヴィヴィアナの魔法が本物であった証拠だ。


 けれど、この場に立つ俺たちからすれば、あれはただの「無駄にでかい花火」にしか見えなかった。

 

 静寂を破ったのは、地鳴りだった。オーク軍の足音が、鉄の杭のように大地を刺す。重装歩兵、騎兵、魔術師、全てが陣形を整えたまま前進してくる。一歩ごとに圧力が増し、空気が潰れる。

 

 オーク軍の大将クルーガーが魔導拡声器を掲げる。口を開いたのは、勝者の笑い声だった。

 

 「クハハハハハッ!」

 

 拡声魔導具を通した笑いが、城壁に、屋根に、避難所の天幕にまで振動を伝える。

 

 「山ひとつ吹き飛ばしておいて、我らにかすりもしないとはな! 人間とエルフご自慢の“勇者パーティ”、その程度か!」

 

 クルーガーは、これ見よがしに腹を抱えて笑っていた。その背後には、まだ整然と並んだ黒い波、数百のオーク兵が残っている。

 

 一方、こっちはボロボロだ。市民兵は肩で息をし、弓兵の矢筒はすでに半分以上空になり、冒険者たちもポーションを飲み干してしまっている。

 

 エルフの戦士長イザークはさっきの魔法を受けて重傷。立っているのがやっとの状態だ。

 

 ヴィヴィアナの魔力はほとんど残っていない。ジャンヌも盾にヒビを入れて、それでも俺の前に立っている。

 

 そして、肝心の「解放の女神」を自称するアテナは、さっきから、うろうろと落ち着きなく足を動かすばかりだった。

 

 勝ち筋は薄い。いや、ほとんどない。

 

 「人間とエルフの反乱はここで終わりだ。おまえたちにもうカードはない。降伏しろ」

 

 クルーガーの言葉に、誰一人として反論できなかった。もう誰も、戦意を口にできない。

 

 ヴィヴィアナは唇を噛んだ。

 

 「ごめんなさい。これは私の責任よ。私が当てていればこんなことにはならなかったわ」

 

 俺はヴィヴィアナに対して何も言うことが出来なかった。

 

 クルーガーがゆっくりと前に進む。その歩みは勝利の行進でも、処刑台の階段のようでもあった。魔導拡声器を掲げ直し戦場全体が息を飲む。

 

 「反乱軍どもよ。本来なら、お前たちを皆殺しにしてやりたいが、寛大にも俺はここで最後の機会をくれてやる」

 

 魔導具越しの声は、妙に澄んでいて、逆に冷たかった。

 

 「反乱の首謀者の首を差し出せ。そうすれば、この街と森の他の者どもは許してやろう」

 

 周囲の空気が緊張で揺れた。兵士たちの視線が、一斉にこちら側を見た。誰も口には出さないが、全員の脳裏に浮かんだ名前は同じだろう。独立を宣言し、エルフと人間を結び付け、民衆を鼓舞した“解放の女神”。つまり、アテナだ。

 

 クルーガーは、さらに楽しそうに続ける。

 

 「ただし、その首謀者は徹底的に拷問し、死後は街の門に磔にする。毎日眺めて、反乱の愚かさを噛みしめるがいい」

 

 心臓をつかまれたような感覚がした。返答次第で、街も人も未来も決まる。その結果は、戦闘より残酷だった。誰か一人の死で、救われる。少なくとも、これ以上の犠牲は避けられる。

 

 誰かが死ねば皆が助かり、誰も死ななければ皆が殺される。それが最後の機会。沈黙を破ったのは、当の本人だった。

 

 「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 

 アテナが慌てて叫ぶ。

 

 「誤解よ! わたしは確かに女神扱いされたけれど、べつに反乱を扇動したわけではないわよ!? 皆が心に思っていることを言ってあげただけで。皆が勝手に盛り上がって、なんとなく、雰囲気で……!」

 

 ヴィヴィアナがクールに指摘した。

 

 「借金を返すために、独立しちゃいましょう! って大演説をしたの、どこの誰だったかしら」

 

 「……奥様ですね」

 

 ジャンヌが小さな声で答える。

 

 「ちょっ……あなたたち、なんでそんなに冷静に!?」

 

 アテナが半泣きで振り返る。だが周囲から聞こえてくる市民の声は、残酷なほど正直だった。

 

 「確かに、あの女神様が言い出したよな……」

 「“自由と独立のために戦うのよ!”って……」

 「やっぱり、首謀者ってあの人だよな……」

 

 ざわめきは波紋のように広がり、音を重ねていく。その渦の中に、俺たちは立ち尽くしていた。そんな時だった。一歩、静かな足音が前へ進む。

 

 「……私が行きましょう」

 

 マリナの声だった。白い修道服の裾が土埃で汚れ、顔にも疲労の影が刻まれている。その姿は、必死に生き延びようとする誰よりも静かで、凛としていた。

 

 「皆さん、ここまでよく戦いました。でも、もう十分です」

 

 その声は、祈りの言葉を口にするときと同じ、穏やかな響きを持っていた。

 

 「命を差し出す覚悟はできています。これ以上、誰も死なせたくありません」

 

 市民のあちこちから、「やめてください」「そんな……」と声が上がる。

 

 ジャンヌは膝をつきそうになり、必死に踏みとどまった。

 

 「マリナ様……それだけは……!」

 

 ヴィヴィアナは視線を逸らし、奥歯を噛みしめている。アテナは、口をぱくぱくさせたまま固まった。

 

 「待ちなさいよ……あなたが行ったところで、本当に許される保証なんて……!」

 「ありませんね」

 

 マリナは静かに答える。

 

 「ですが、誰かが行かなければ、全員が殺されるでしょう」

 

 その言葉は、胸にゆっくりと沈んでいく石のようだった。正論であり、残酷な真実でもあった。

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