39話「自撮り魔法」
「さあ、皆、聖戦の始まりよ!」
一番最初に走り出したのはアテナだった。手にした黄金の斧を掲げ、勇ましい顔で叫んでいる。
「この一撃で歴史に名を刻むわ!」
確かに勇ましい。だが、問題はそのすぐ後だ。アテナは気焔を上げて前へ出ようとしたが、前列に明らかに強そうな隊長級オークが見えた瞬間、ぴたりと止まった。
「……やっぱり後方支援のほうが効率的よね!? 私はアークビショップだし! 斧とか飾りだし!」
そう言うとアテナは武器屋特注の斧を投げ捨て、一秒で後衛に帰還した。
ほんの一瞬、俺とジャンヌ、ヴィヴィアナの視線が合う。言葉を交わさずとも思いが完全に共有された。
(知ってた)(知っておりました)(知ってたわ)
ジャンヌがため息をつく暇もなく、即座に前に踊り出る。
「ご主人様、この地点はわたくしにお任せください!」
優雅な所作のままジャンヌはメイスを軽々と構えた。下級冒険者にとっては両腕で持っても重く、手首を痛める武器だ。
だがジャンヌは“ティーセットを運ぶような優雅な姿勢”で扱う。彼女の一撃はまるで舞踏会のステップ。左右の足さばき、手の流れ、上体の傾き、すべてが上品で、戦場らしからぬ美があった。
しかし、その武器が描く軌道は確実にオークの武器を弾き、敵の鎧の隙間を正確に叩いた。
「なんであんな戦い方で勝てるの……?」「いや、逆に強すぎるだろ……!」
周囲の兵士たちが驚くほど、ジャンヌの戦い方は美しく、そして恐ろしく強かった。火花の散り方まで気品があるのはどういうからくりだ。
弾丸のように突進してくるオークをかわしながら、俺は戦況を見る。前列はまだ陣形を保っているが、拡声器の揺さぶりで動揺は消えていない。
押されれば、一気に崩れかねない。俺は走りながら叫んだ。
「弓兵に援護要請! 敵の重装歩兵を前進させるな! 押し返せ!」
声を張り上げた喉が痛い。だが味方への命令を止めたら、そこで終わる。市民軍は、何度も押し返されながら辛うじて前線を保っている。叫び声と鉄がぶつかる音が混ざり、世界は戦いの色で塗りつぶされていた。
そんな中、後ろを振り返った俺は見てはいけないものを見てしまった。
「……おいアテナ。なんで戦場でポーズ決めてんだ?」
アテナは小高い丘の上で両手を広げ、まるで神殿画に描かれる女神のような姿勢で、風になびく金髪を整えていた。いや、整えてというより演出していた。
「ちょっと、シンジ。邪魔しないでよ。今、私、重要な瞬間なの」
「重要って……戦場だぞここ!?」
なのにその隣にはもう一人。茶色のローブを着た、場違いにもほどがある人物。首から大きな魔導カメラを下げた男、戦場記者だ。
「アテナ様、光量が少し足りません。神々しい反射を出すには、あと二割ほど明度を……」
「オッケー、二割ね。任せなさい、《エンハンス・ライト》!」
アテナが魔法陣を展開し、周囲が一気に金色の光に包まれた。彼女の白い頬と金のドレスが幻想的に浮かび上がる。必死に戦ってる最前線の横で何やってんだこいつら。
「お前ら、戦場でPV撮影会でもしてんのか!?」
俺の叫びなど、アテナの耳には届いていない。彼女はうっとりと自分の影を見ていた。
「ふふ……完璧ね。世界に残る“解放の女神アテナ”の初陣写真。さぁ、シャッターを押して」
「はい! 撮ります!」
記者は興奮気味にカメラを構えた。その瞬間、戦場全体を金色の輝きが包んだ。眩しさに思わず目を細める。防壁の向こう、エルフの弓兵たちがざわつき始めた。
「……なんだ、あの光は……?」
「デーモス神の盾が輝いたぞ……?」
黄金の光は防壁だけでなく、戦場の中央にまで届いた。敵味方問わず、その光を浴びた者たちは一瞬動きを止めた。
「見ろ! アテナ様から放たれるあの光を! あれこそは勝利の証! 解放の時は近いぞ、兄弟たちよ!!」
エルフ兵が盾を掲げて叫んだ。鬨の声とともに人間の兵士も息を吹き返したように前へ走り出す。完全に誤解だ。ただの自撮り用ライトだ。あまりの展開に声が出なかった。
何十、何百という兵士が衝突し、金属音、怒号、呻き声が混ざり、視界は土煙と血飛沫でぼやけていく。だが全体を見てわかった。このままでは押し切られそうだ。
オークの戦闘能力が優れているだけじゃない、統率が取れている。要するに戦争慣れしている。一方、人間とエルフの連合軍は今日が初の本番。息が合っていない。
「ジャンヌ! 時間稼ぎだ! 押し返さずに後退して敵列を崩せ!」
「承知いたしました、ご主人様!!」
ジャンヌは指示通り押し返さず、わざと敵をいなす。重装歩兵の大槌が地面を叩いた。勢いに乗じて敵部隊が突出してくる。必然的に敵の陣形に隙間ができる。俺は叫んだ。
「今だ! 歩兵隊、割れ目を狙って突撃!! 弓兵部隊は一旦後退! 矢を補給して次の攻撃に備えてくれ!」
命令が伝わり、混成部隊が徐々に統率された市民軍になっていく。混乱の中、アテナが横目でニヤッと笑った。
「ほらね? なんだかんだ一番頼りになるのはあんただわ、シンジ」
「お前は愛とか友情じゃなくてプレッシャーで成長を促すタイプだな」
「主人公を成長させるのが女神の仕事よ。やり方なんてなんだっていいの」
こいつ、性格は最悪だ。でも結果は出す。
戦場はまだグチャグチャだった。だが、一つ確かな変化があった。戦いの主導権を握るのはオークの“力”だったが、守りと反撃の流れを作るのは俺たちの“戦術”だった。
そして今、戦況が拮抗しつつある。
「——オークが押しきれていない。……勝機があるぞ」
俺がそう口にした瞬間、背後で風がさざめく。ヴィヴィアナが詠唱陣に立っていた。髪が魔力の乱流で浮き上がり、瞳孔がきらめいている。
「シンジ、整ってきたわね。“偏差魔法”が最大効果を発揮する条件がそろいつつある」
「待て、まだ早い。撃ちどころを見極めるまでは——」
「言ってくれるじゃない。“狙わないほうが当たる女”に」
ヴィヴィアナが口角を上げる。
「今日の賭けは派手に行くわよ」
戦場の空気が、一瞬だけ震えた。たった一人の魔術師が動くだけで、全員の心拍が跳ね上がる。
偏差魔法——“外せば味方が終末、当たれば敵が壊滅”。戦況を完全に引っくり返すことができる切り札。使い方さえ正しければ、オーク軍主力を一瞬で灰にできる。ヴィヴィアナというカードをどこで切るか。それがこの戦いの最大のカギとなるだろう。
オーク重装歩兵の圧力は凄まじかった。目の前の大盾と巨体が迫るたび、視界が黒い壁に塞がれる。剣で応じても刃が弾かれ、肩が痺れるほど衝撃が走る。
それでも、耐えていた。ジャンヌが最前線で、優雅な盾筋のまま敵を受け流し、俺は後方の隊へ指示を飛ばし続け、アテナは後衛支援に徹し、ヴィヴィアナは魔力を溜め続けている。
押しこんでもいないが、崩れてはいない。そう思った次の瞬間、偵察兵が叫んだ。
「——来るぞ、騎兵突撃だ!!」
平原の右側から、蹄鉄の轟音が迫ってくる。黒鉄の鎧をまとったオーク騎兵団。十列横隊で一直線、破壊の矢のような進路だ。城壁の上の兵士が叫ぶ。
「持ちこたえられない!! 横から貫かれる!!」
確かに歩兵の密集戦が続く状況で騎兵突撃を側面から浴びれば、その瞬間に前線が裂けて敗走に繋がる。
この瞬間が勝負だ。俺が叫ぼうとしたその刹那、森が揺れた。葉がざわめき、木々が音を立てる。風ではない。生き物の動きだ。
「……来たな」
カリスが呟いた。




