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37話「開戦前夜」

 オーク軍追放から数週間後、かつてはオークに怯え、人々が目を伏せて歩いていた通り。そこにいま、エルフの戦士たちが肩で風を切り、堂々と歩いている。人間の市民は最初こそ戸惑いの視線を送った。

 

 しかし次第に、その戸惑いは好奇心に、やがて小さな笑みへと変わっていった。

 

 「ねぇ、あれ見て。エルフの人、木の上で屋根を修理してるわよ」

 「弓で釘を打ってるぞ、あれ……器用だな」

 

 街のあちこちから、そんな声が聞こえる。修理中の防壁周辺では、人間の大工とエルフの魔術師が並んで作業をしていた。大工がハンマーで叩いたあと、エルフの魔法が補強をかける。まるで工業と芸術が出会ったような、美しい作業だった。

 

 広場では、エルフの子どもたちが、人間の子どもたちに森の遊びを教えている。

 

 「ほら、葉っぱの笛はこう吹くんだよ」

 「すごい、音が出た!」

 

 その光景は、いままでのこの街にはなかったものだ。互いの文化が溶け合い、新しい生活が生まれつつある。

 

 ジャンヌはエルフの少女たちにメイド式の礼儀作法まで教えていた。

 

 「お嬢様方、スカートを持ち上げるのはこの角度が最も上品でございます」

 「は……はいっ、ジャンヌ先生!」

 

 その横では、ヴィヴィアナが少年たちにサイコロを使って確率について講義し、カリスとイザークは冒険者達に剣技を披露していた。

 

 混沌に見えて、確かに街はひとつにまとまろうとしていた。


 「……なんか、すげえ光景だな」

 

 思わず俺は呟いた。横でガリベンが柔らかく笑う。


 「文化とは出会えば混ざるものです。争いが生まれるのは、出会わないままだからですよ」

 

 穏やかな言葉だった。しかしその裏では、迫りくる脅威が静かに近づいていた。

 

 

 冒険者ギルド地下の広間。戦時には市民の避難場所としても使われる。その空間に、街の要人たちが一堂に会した。市長、商業組合の代表、エルフの長老格。テーブルの端には、カリスとイザーク、そして俺たちのパーティーが座っていた。

 

 壁掛けの大型地図に注目が集まる。赤い線はオーク軍の進路を示し、すでに街へと伸び始めていた。イザークが斥候に視線を向ける。

 

 「オーク軍の動きは?」

 

 斥候は一歩前に出て、答えた。

 

 「オーク軍は現在、街の北西から南下中です。周辺の村から物資を徴発しながら進軍しています。略奪ではないようです。組織的な徴発です。野営地、補給路、後方整理も確認できました。それ以外に注目すべき軍事行動はありません」

 

 誰かが、低く息を吸う音がした。それはつまり、オーク軍が戦争のやり方を知っているという証拠だった。市長が、ゆっくりと口を開く。

 

 「兵力はどの程度だ?」

 「現時点の推定では、我々に対しておよそ二倍です」

 「二対一、か……」

 

 市長は小さく呟いた。一瞬だけ、安堵の色が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。

 

 「思っていたよりは差が少ないな。なぜだ?」

 

 その問いに、イザークは即答する。指先が地図のさらに西を指す。

 

 「オーク本国は全軍を動かせていません。ロンバルディア平原の穀倉地帯を巡り、オークとヴァルキシア帝国の関係が悪化しています。現在、オークは本国防衛のため、相当数の兵力を残しています」

 

 会議室にざわめきが走る。帝国との緊張。それは噂として知っていたが、こうして事実として示されると、生々しかった。

 

 「だからこそ、こちらに向かっているのは出せる範囲の軍です」

 

 イザークは武人らしく淡々と続ける。その言葉に、ジャンヌがほのかに顔を明るくした。

 

 「それでは、私達にも勝ち目があるのでは? 遠征軍だけなら対処のしようがあるかと」

 

 場の空気が一瞬だけ緩む。だが、すぐにカリスがそれを断ち切った。

 

 「こちらに地の利があるとは言え、二対一は、我々にとって有利な数字ではない。正面からぶつかれば、被害は避けられない。かといって、決戦を避ければ、街が包囲される。いずれにせよ、楽な戦いじゃない」

 

 ジャンヌは口を閉じ、下を向いた。市長の表情からも、先ほどの安堵は消えていた。ヴィヴィアナがテーブルの反対側を向いた。

 

 「物資の備蓄はどうなってるのかしら? いくら兵を揃えても、腹が減ってたら戦いにならないでしょ」

 

 商業組合代表が、神経質に指をテーブルに打ち付ける。

 

 「買い付けは順調だ。反オークの商人が、優先的に品物を回してくれている。まあ、戦闘が激化すれば、十日が限界だがな」

 

 短期決戦。現実的にはそれ以外の選択肢はなかった。

 

 「帝国本土の商人は? 彼らの動きはどうなっている?」

 

 市長が問う。

 

 「静観している。注文には応じてくれるが、表向きは中立を維持したいようだな」

 

 また、沈黙が落ちる。オークは着々と戦争の準備をしている。ガリベンが、深く息を吸い、会議を締めに入る。

 

 「情報は出そろいました」

 

 視線が、出席者一人一人に向けられる。

 

 「厳しい戦いになります。犠牲も出るでしょう。だが、ここで退けば、この街は永遠に脅されたままです。ここで引けば、守る価値があるものを、自分たちで否定することになる」

 

 その言葉が、重く胸に落ちる。誰もが理解していた。選択肢は、すでに残っていない。だが明確な号令は出なかった。開戦前夜という重みが現実としてのしかかってくる。

 

 誰もが身動きを取れなくなる沈黙を破ったのは案の定あいつだった。

 

 「ねえ」

 

 アテナは言った。彼女は、会議用の椅子に深く腰掛け、足を組みながら欠伸を噛み殺している。真剣な場には、あまりにも不釣り合いだ。

 

 「難しい話は分かったけど、結局やるんでしょ?」

 

 場違いなほど軽い口調。だが、その言葉に誰も反論できなかった。エルフェンウッドは戦う。戦わなければならない。それが結論だった。

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