36話「追放系オーク」
会見を終えて議会棟に戻った直後だった。廊下に響いた荒々しい足音は、聞き間違えようがない。クルーガーだ。床が震えるほどの重量。武具の金属がぶつかる騒音。
怒りを隠す気のない息遣い。議会棟の扉が乱暴に開き、灰色の皮膚と鎧をまとった巨体の影がなだれ込む。
全身の筋肉で鎧を押し広げながら進むその姿は戦うために生まれてきた化け物だった。
「聞いたぞ、解放の女神よ……」
クルーガーの声は低く、殺意で濁っていた。
「契約が切れた? だから撤退しろ?——ふざけるな。俺たちは街を守ってきたんだぞ。なのに用が済んだら捨てるのか?」
アテナは一切動じず、涼しい表情で返した。
「契約が終わったから退去を求めてるだけ。法律の範囲内よ」
クルーガーの顔が一瞬で真紅に染まる。だが剣は抜かない。
狂暴なイメージとは裏腹にオークは契約と名誉で動く生き物だ。彼らの中には傭兵として各国と契約し活躍している者も多い。契約違反の先にあるのは世界中の指名手配。暴れることはできない。それが彼らの弱点。
市長が冷酷な声で追撃する。
「契約の条項、第五十三条。“警備の対価が支払われなくなった場合、駐留軍は速やかに撤退するものとする”。——日没までだ」
クルーガーは吐き捨てるように吠えた。
「金を払わねぇで守らせる気か!? それが栄光の革命ってわけか!?」
「違うわ」
アテナは一歩だけ前へ出た。
「あなたたちは守っていたんじゃない。市民を盾にしていただけ。だから、契約が切れた瞬間、あなたたちはただの脅威になる」
廊下の空気が張り詰める。オークたちの体が固まった。怒りではなく、恐怖だ。脅威と公式に定義されることの重さを知っている。
彼らは戦場では無類の強さを誇るが、法と世論との戦いでは無敵ではない。クルーガーは俺たちを睨み付け、一歩迫る。
圧倒的な殺気。背中に冷たい汗が流れ落ちる。だが、それ以上は来ない。来れない。
アテナの声はためらいゼロだった。
「契約が切れた以上、駐留は不法。あなたたちが戦おうが引こうが関係ない。どっちにせよ、あなたたちは、この街に残れない。」
その言葉は刃だった。でも、刃を突き立てたのはアテナだけじゃない。ヴィヴィアナが静かに指先を上げ、詠唱なしで魔力の光を灯す。
魔法陣は形成しない。だが、光の揺らぎだけで“偏差魔術”であることが分かる。当たれば最悪。外れても最悪。だから脅しとしては最高。
ジャンヌも、盾を半歩だけ構える。戦う意思ではなく、守る意思。俺は気づいた。オークが怒りで震えているのではない。完全に包囲されているから震えている。アテナがとどめを刺した。
「安心しなさい。私たちはあなたたちを殺したいわけじゃない。追い出したいだけ」
クルーガーは噛みしめるように低くうめいた。
「屈辱は、忘れねぇぞ。アテナ……この借りは必ず返す……」
「記憶力が良いのね。じゃあ、この街の歴史も思い出してほしいものだわ」
アテナは背を向けた。もう戦いは終わった、という態度。オークたちは剣も抜かず、ただ押し黙って去っていく。クルーガーの拳から落ちた汗が、床に黒い染みを作った。
オーク傭兵団に対する正式通達は、昼過ぎに街中へ張り出された。
《通告》
本日の日没までにオーク駐留軍は街から完全撤収せよ。
従わない場合、本法および国際傭兵規約に基づき「侵略者」とみなす。
独立議会代表 アテナ
共同署名 カリウス/ガリベン
これが貼られた瞬間、空気が変わった。市民の怒りは歓喜に。不安は陶酔に。そして、限界まで張りつめていた緊張は逃げ場を求めるようにイベントのノリに変化した。嫌な予感しかしない。案の定、街の露店に新商品が並び始める。
「オーク退去記念タオル、30銅貨よ!」
「最後尾のお見送りに持っていけ! 撤退見届け証明書だ!」
「グッバイ・オーク! 別れの涙味アイス販売中!」
味の想像すらしたくない。酒場では、昨夜できたばかりの歌が大合唱になっていた。
♪オークさん さようなら もう税金はいらないよ〜 二度と来ないでね〜 できれば爆発してね〜♪
半分冗談だが半分本気。笑いながら憎悪を歌っている感じが、逆に怖い。子どもたちの遊びもカオスだ。
「オークが外に出る前にカミソリ入りの紙吹雪を当てたら勝ちー!」
「当てすぎると怒って殴られるから負けー!」
街全体がお祭りになっている。だが、本質は祝祭ではなく仇敵の追放だ。
アテナは議会棟のバルコニーから街の様子を眺めていた。その表情は満足でも心配でもなく、観察者の顔だ。
「シンジ、この空気……分かる?」
「革命が本物になった瞬間の空気、ってやつか?」
「違うわ。敵が街から出ていく瞬間の陶酔。人ってね、誰かを追放するとき……団結しやすいのよ。共同体への所属を実感できるのよ」
言葉の意味の冷たさに、背筋がぞくりとした。
「でも今だけよ。オークが去れば、次の敵が必要になる」
「つまり……革命は敵がいないと継続できない……?」
「そう。だからこそ——進み続けなければいけないの」
静かに狂気じみた論理。だが否定できない。市民はもう止まらないところに来ている。
午後、ワルツが走ってきた。息を切らせながら俺に抱きつきそうな勢いで叫ぶ。
「なあシンジ! 夕方のオーク退去パレードの席取り場所、決めとこうぜ!!」
「席取りすんな。これは見送りだ。イベントじゃない」
「いやいや、どう考えても祭りだろ! ゴール地点にクジ引き屋台まであるぞ! 当たりが出たらオーク頭蓋王冠(金製)がもらえるんだと!」
なんだその悪趣味な商品は。
「グッズも買おうぜ! 《独立記念 Tシャツ 第二弾・NO ORC, MORE GIRLS》売ってたぞ! 三枚買ったから一枚お前にやるよ!」
「いらねえよ! 大体そんなに買って何に使うんだよ」
「いやでも着るとモテるかもしれないじゃん」
「独立はナンパ用イベントじゃねえ!」
しかし市民のテンションは完全にワルツ寄りだった。独立が正義とか自由とか未来とかじゃなく、ノリになっている。それが一番危険だ。
夕陽が傾き始めた頃、街中にアナウンス魔法が響いた。
《注意》
本日、オーク駐留軍は退去します。エルフェンウッド市民は決して挑発・戦闘行為を行わないように。ただし、見送り・応援・紙吹雪は許可されています。
最後の一文が台無しすぎる。アテナは息を吐く。
「……あと少しで片付くわ」
「片付いた後が怖い」
「そうね。でも逃げられない」
ヴィヴィアナが後ろでぼそっと言う。
「日没で契約が終わって、そこから戦争が始まるのよね」
その通りだった。街は笑っている。でも、俺たちは知っている。この笑顔の裏で、オーク本国は確実に激怒している。退去は勝ちじゃない。これが地獄の入口だ。
日が沈む直前、街の大通りの向こう側に巨大な影が揺れた。オーク駐留軍の退去行列だ。
鎧に覆われた巨体の軍団が、ゆっくりと街の出口へ向けて歩く。隊列はまっすぐで乱れはない。矜持と屈辱が同時に滲んでいた。彼らの顔は怒りでも悲しみでもなく、無表情だった。それが一番きつい。だが、市民のテンションは真逆だ。
「うおおおーーー!! 退去きたーーー!!」「紙吹雪投げろーーー!!」
「スイーツ! スイーツを投げろ!別れの甘味をプレゼントだぁぁぁ!!」
「当たったら負けだぞーーー!!」
「痛かったら勝ちってルールに変わったらしいぞーーー!!」
見送りのはずの大通りは、もはやフェス会場だった。屋台、音楽、ステージ、グッズ販売。
そして大量の紙吹雪。オークの巨大な肩に紙吹雪が降り積もっても、誰一人払い落とさない。彼らは歯を食いしばっている。反応をしたら負けだと分かっているから。その沈黙が、逆に惨めさを際立たせていた。
クルーガーが隊列の先頭にいた。昨日、議会棟で俺たちに噛み付いたあの男だ。今は怒鳴りもしない。ただ前を見るだけ。市民の罵声が飛ぶ。
「もう来んなよー!」「守ってほしかった記憶はありませーん!!」「税金返せー!」
子どもたちが紙吹雪を投げ、そのたびにオークの顔が痛むように歪むのが見えた。
ヴィヴィアナが横で呟く。
「強者が屈辱を飲み込む姿って……なんかすごく興奮するわよね」
「おまえの性癖の話なんて聞きたくない。ほんの少しだけオークに同情してきたぞ」
ジャンヌは胸に手を当てて祈っている。
「奥様のご決断の結果が、こうして形になって。でも、なんだか胸が痛うございます……」
「……仕方ないさ。俺たちと違って街の連中は長年の鬱憤をためていたからな」
アテナは前を見つめたまま言った。
「これが現実よ。勝者は歓声を浴び、敗者は沈黙の中を歩く。暴力がなくても、人は平気で他者を踏みにじるの」
声の調子は淡々としていた。ただの分析だった。
「でも……私は止めない。だってこれが革命だもの」
アテナの冷徹さに背筋が冷える。その横顔に、誰よりも強い覚悟と危うさを感じる。
クルーガーの目線が一瞬だけアテナを捉えた。その後、俺を見る。声は聞こえなかった。だが唇が小さく動いた。——必ずやり返す。
音にはならないのに、理解できてしまうほどはっきりとわかった。彼は剣を抜かないまま城門をくぐり、街の外の闇へ姿を消した。オーク駐留軍の退去完了。大通りにはまだ紙吹雪が舞っている。ワルツが駆け寄ってきた。
「なあシンジ! やったな! 最高だったな! 独立大成功だろ!!」
俺は屋根の上の夕暮れの空を見る。赤い雲がちぎれ、暗闇が広がり始めている。
「……成功したように見えるか?」
ワルツは怪訝そうな顔をした。
「見えるか、って……見たまんまだろ? ここから全部いい方向に行くはずだろ!?」
こいつの能天気な無邪気さが、胸に刺さる。
「追い出しただけじゃ終わらないぞ。オーク本国はこの屈辱を絶対に許しはしない」
ワルツの笑顔が少しだけ固まる。アテナは薄く笑う。その笑みはもう祭りのものじゃなく、戦いのものだった。
「これで……戦争が確定したわ」
誰もが気づいてたが、口にしなかった現実を、女神は容赦なく言葉にした。




