35話「紙の上の戦い」
次の日、議会棟の中は異様に静まり返っていた。革命後の熱狂を期待していたわけじゃないが、この“息を潜めた感じ”は逆に不気味だ。廊下は人であふれているのに、誰も喋らない。視線が鋭すぎて空気が切れそうだ。
今日、アテナ・ガリベン・クラウス市長による合同会見が行われる。表向きは「独立後の方針発表」。
実際は、オーク駐留軍を合法的に街から追い出すための宣戦布告だ。
戦争開始の号砲じゃなく、戦わずに勝つための仕掛けをガリベンは打ち込む。だが、それをやらせまいとする勢力がここにもいる。
独立反対派の議員。オークと癒着していた名士。どの顔にも焦りがにじんでいる。
「シンジ、資料まとめたわ」
控室の長卓で、アテナが書類の束を整えていた。金髪を低くまとめ、ドレスではなく淡い青の正装。まるで解放の女神じゃなく政治の女だ。
ガリベンは別のテーブルで地図と契約書を並べ、起案内容を何度も確認している。
カリスは入口付近に立ち、武器の柄に手を添えたまま警戒。ジャンヌはアテナの衣装の埃を払う手を止めず、ヴィヴィアナは壁際でカードをシャッフルしながら欠伸。
全員が全員、違う形で戦っている。
「シンジ、確認しておきたいことがあるの」
アテナが俺の近くに座り、声を落とす。
「今日、私はあくまで対話での和解を宣言する。その裏でオーク駐留軍を排除する理屈が完成している。でも、もし予定通りに進まなかった場合……」
その続きは言わなくても分かる。つまり、力による排除だ。
「その時は……俺が判断する」
アテナはしばらく黙って、かすかに笑った。
「信じてる。あなたは私より現実が見えてるから」
皮肉じゃないのが分かるから余計に緊張する。
空気が変わったのは、市長が控室に入ってきた瞬間だった。以前の威厳は跡形もなく、顔色は蒼白。けれど負け犬には見えない。自分の保身のために敵に寝返った猛獣の目をしている。
「……新聞社とギルド報道部は準備済みだ。街中の公示人も手配しておいた」
「手筈通りね」
アテナは微笑みだけで会話を成立させる。市長はうなずき、目線を落とす。
「……私は保身のために寝返った。だが、こうなった以上は勝たねば意味がない。おまえたちが勝つ未来だけが、私の生存条件だ」
市長は言い切った。正義に殉じる奴より、利己のために忠誠を尽くす奴のほうが裏切らないこともある。
「議会棟前の警備はどうなっていますか?」
俺が聞くと、カリスが即答した。
「オークと癒着していた警備隊は拘束した。今は我々の仲間が守っている」
「街の民衆は?」
「会見で何かが起こるという噂が広まっている。広場はすでに満員だ」
逃げ場はない。独立側が一度でもしくじれば、一気に民衆の逆流に飲まれる。ヴィヴィアナがシャッフルを止め、俺を横目で見た。
「失敗の確率は?」
「あるさ。大きい」
「成功のリターンは?」
「歴史が変わる」
彼女は満足そうに笑ってカードを引く。
「なら博打としては最高ね」
アテナは席を立ち、控室の扉の方へ歩く。
「そろそろ時間よ。行きましょう、シンジ。今から街の未来を決めるわ。」
扉が開くと、議会棟の廊下から光が流れ込んだ。遠くから、観衆のざわめきが洪水のように聞こえてくる。胸がざわつく。これは戦争じゃない。でも俺たちは戦場に立っている。
武器は剣じゃない。魔法でもない。契約と世論と、そして言葉。
会見場の扉が目前に迫る。歓声と怒号と期待と不安が入り混じった空気が押し寄せてくる。アテナが振り返り、言った。
「覚悟はいい?」
「怖いけど、やるしかない」
「それで十分よ」
アテナのヒールが一歩、壇上へ踏み出した。革命は武器をまだ抜かずに始まる。
議会棟前の広場には、言葉にならない熱があった。数千の市民が押し寄せ、階段の石段を埋め尽くし、遠くの建物の窓や屋根にまで人が張り付いている。
怒っている者、期待している者、ただ成り行きを見たいだけの野次馬。全部がごちゃまぜだった。
壇上の中央に、アテナ。その左右に、ガリベンと市長。俺たちは少し後ろで控える位置取りだ。司会役の役人が震える声で告げる。
「ただいまより、三者合同記者会見を開始します……」
観衆が一斉に息を飲む。静寂がすべてを飲み込む。アテナは、ゆっくりと前に歩み出た。落ち着いた声で話し始める。
「皆さん。まずは、長い間この街を支えてきた市民たちに心から感謝します。あなたたちの勇気が……この街の歴史を変えました」
観衆から拍手と歓声が上がる。だがアテナの表情は緩まない。
「今日は――この街の税制とオーク駐留軍に関する重大な発表があります」
広場の空気が一気に張り詰めた。
「みなさんが負担してきた高税率。その正体は オーク駐留軍への警備料 でした」
ざわつきが走る。怒り、驚き、納得、失望……全部が混ざっていた。
「しかし、議会の合法的決議により、税制は改革され、安全保障条約は破棄されました。よって、警備料の根拠となる契約は 本日付で失効しました」
その一言で、広場が爆発したように叫び声で満ちる。
「じゃあ税金返せよ!!」「オークはもう要らねえ!!」「勝ったぞおおおお!!」
アテナは手を軽く上げて制する。すぐに静かになる。
「契約が失効した以上、オークの駐留は、法的に正当性を失いました」
そこで市長が前へ出る。声は震えず、腹からしっかりと出ていた。
「私は保守派としてオークの警備契約を推進してきた。だが、もう終わりだ。契約が切れた以上、彼らは駐留軍ではなく不法な武装集団だ」
人々の怒りが、瞬時に「理屈に裏付けられた怒り」に変わる。感情よりも、正論で燃える群衆は恐ろしい。ガリベンが書類を掲げる。
「本日、オーク駐留軍に対し正式通告を行います。日没までに街を撤退せよ。従わない場合、国際法にもとづき侵略者とみなされます」
広場は、今度こそ割れんばかりの拍手と歓声につつまれた。悲鳴にも似た熱狂。だが俺には分かるこれは危険な熱だ。アテナが最後に一言を置く。
「断っておくけれど、これは戦争じゃない。正当な契約に基づいた処置よ。戦争を望んでいるのは私たちじゃない。ただ、必要なら応じる覚悟があるだけ」
その言葉をトリガーに、観衆が喚起する。
「自由を!!」「オークは出て行け!!」
揺れる空気、突き上がる拳、割れる声。俺は冷や汗をかきながら理解した。この街はもう正常じゃない。人々は歓喜しながら、同時に敵を求めている。
そしてその標的は、今日の日没までに答えを出さなければならない。会見が終わり、壇上から降りながらアテナがふっとささやく。
「ねぇシンジ。革命って……思ったより簡単ね」
「簡単なのはここまでだろ。ここからは正義ごっこじゃ通らない」
「知ってる。でも――」
アテナはぞくりとするほど楽しそうに笑った。
「私はここからが一番好きよ」
群衆の叫びが背中を押してくる。俺の胃がぎゅっと縮む。俺たちはまだ勝ってない。これから負けるかもしれない。だからこそ、街は今、恐ろしく輝いている。




