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28話「演説」

 再び大広間に戻ると、空気はさっきより熱くなっていた。音楽、歌、杯が打ち鳴らされる音。人々の目は、アテナを見るためだけに存在しているようだった。

 

 アテナが席につくと、歓声が自然と収まった。沈黙ではなく、崇めるための静けさ。

 

 長老が立ち上がり、両腕を広げた。

 

 「デーモス神よ、平和の盾を掲げる者よ。この日、この客を我らの里へ導いたことに感謝を」

 

 場の視線が再び壁のタペストリーを通り、アテナへ流れた。アテナ自身が神の化身の象徴となりつつあるのを肌で感じる。

 

 「では、女神様、ひと言いただければ」

 

 長老が頭を下げる。アテナが立ち上がると、宴の喧騒は一瞬で消えた。ドレスの裾が揺れ、金髪が光を反射する。ただそこにいるだけで、空気が変わる。

 

 アテナは静かに口を開いた。 


 「この里は美しいわ。だけどもっと美しくなる。森を守って、子供たちがたらふく食べられて、平和に暮らせる未来があるなら」

 

 観衆は真剣に聞き入る。ちゃんとしたスピーチ。ここまでは。――ここまでは、だ。

 

 「でもいい? はっきり言うわ」

 

 アテナはデーモス神のタペストリーへ一瞬だけ視線を向けた。

 

 「死んで花になる覚悟ができてるって? それってね、ただのブラック企業精神よ! わたしのクソ上司がよく言ってた台詞よ!」

 

 大広間の一部で「ブラック企業?」とざわつきが起きた。

 

 「死ぬまで頑張ります! ってやつ、絶対ダメ。それは英雄じゃなくてただの社畜だわ!」

 

 会場の空気が困惑で揺れるが、アテナはさらに踏み込む。

 

 「いい? 死ぬ覚悟なんて誰でもできるの。だって死ぬの簡単だもの。だからは私は言うわ。生きる方がずっと難しいのよ! 尊いのよ!」

 

 会場の空気が熱に変わっていく。

 

 「ここで死んで英雄になる未来なんて、クソくらえよ! 英雄より、長生きする親バカになりなさい! 結婚して、子どもつくって、子どもが反抗期で困る未来の方が絶対価値あるわ!」

 

 エルフの若者たちが思わず笑い、肩を叩き合う。長老が目頭を押さえて頷く。イザークは拳を握って震えている。

 

 「誇り高く死ぬ未来じゃなくて、誇り高く老ける未来を選びなさい! シワできても、髪が抜けても、かみさんの愚痴の言える未来が一番カッコいいの!」

 

 俺は心の底から思った。こんな演説聞いたことない。アテナは左手、デーモス神の象徴の手を高く掲げた。その瞬間、歓声が爆発しそうになったが、アテナはさらに声を重ねた。

 

 「エルフよ。今こそ立ち上がる時よ! 奪われたものを取り戻しなさい! 森を、誇りを、自由を。そのあとで好きに老けて、好きに太って、『俺が世界を救った!』って飲み屋でマウント取りなさい!!」

 

 観衆がついに爆発した。泣き笑い、酒をこぼし、肩を組み、誰かが「俺たち生きていてもいいってよ!」と叫ぶと、別の誰かが「太るために戦うぞ!」と応じる。

 

 完全なカオス。だが、確かな希望だった。アテナは両腕を広げて宣言した。

 

 「私は誓うわ! エルフと人間の同盟をここに結ぶ! そしてオークをぶっ飛ばして、全員で老人ホームに入る未来を勝ち取るわ!」

 

 大広間が地鳴りのような歓声に包まれる。長老は涙で顔をくしゃくしゃにしながら叫んだ。

 

 「ずっと……ずっとこの時を待っていた……!!」

 

 イザークは膝をつき、頭を垂れる。

 

 「女神様……! 俺は……俺は……全力で老後を楽しめる世界のために死ぬ覚悟ができている!!」

 

 わけがわからない台詞だった。でも最高だ。ジャンヌは感涙しながら拍手していた。ヴィヴィアナは笑いすぎて腹を抱えていた。そして、アテナは締めの一言を放つ。

 

 「いい? 革命ってのはね、格好つけて死ぬためじゃなく、ダサく生き残って、文句言いながら幸せになるためにあるの」

 

 革命の火が、笑いながら点火された。

 

 

 演説が終わったあとも、広場の熱気は冷めなかった。

 

 踊り、飲み、叫び、泣き、笑う。“革命”という言葉が自由に飛び交い、未来と老後の幸福を競う奇妙な盛り上がり、でも、どこかで本気なのも伝わってくる。

 

 俺たちは迎賓館のバルコニーに案内された。宴の喧騒を見下ろす席だ。アテナはワインをもう一杯楽しみ、ジャンヌは感激しすぎてずっと鼻をすすり、ヴィヴィアナは歓声を肴にして酒を飲んでいる。

 

 俺だけが落ち着かない。広場では、イザークが若者を肩に抱えながら叫んでいた。

 

 「生き残るぞォォ!! 老後の話を肴に酒を飲むまで戦い抜くぞォォ!!」

 

 その様子を見て、ガリベンが苦笑した。

 

 「……ここまで変わるなんて、信じられないよ。この里は今日まで、死んで誇りを残す未来しか口にできなかったんだ」

 

 「それが……ああなるのか」

 

 「ああ。生き残って笑う未来を誰も信じられなかった。けど今は、みんな信じてる。あの馬鹿みたいなスローガンでも、未来を肯定する声なんだ」

 

 ガリベンの声は震えていた。笑っているのか泣きそうなのか分からない表情。

 

 「ありがとう、シンジさん。君たちには本当に助けられた」

 

 胸がズキリと痛む。

 

 「……助けられるかどうかはまだ分からない。むしろ、間違えたら最悪の未来を作るかもしれない」

 

 「それでもいいんだ。誰かが未来をどうにかしようとしてくれるってだけで十分なんだ」

 

 胸に刺さる。何も返せなかった。アテナがバルコニーの手すりに肘を置き、笑いながら広場を眺めている。ジャンヌは涙をぬぐいながら、アテナに寄りかかった。

 

 「奥様……本当にお美しくて、勇敢で……あぁ、こんな革命の夜に仕えることができるなんて……」

 

 ヴィヴィアナは横目で俺を見る。

 

 「で、シンジ。あなたは今この瞬間、革命が成功したらどうしようって怖がってるでしょ」

 

 図星すぎて息が止まった。

 

 「革命が失敗するかどうかよりも、成功しちゃって本物扱いされる未来の方が怖いのよね」

 

 俺は言葉を失った。認めたくなかったけど、その通りだった。アテナがこちらを向く。ワインのせいでも、酔いでもなく――鋭く、真っ直ぐ。

 

 「大丈夫よ。成功しても、失敗しても、私たちは自分で選んだ未来を生きるだけ」

 

 俺は黙って頷いた。それ以外の答えは見つからなかった。そんな俺に、アテナは少しだけ優しい声で言った。

 

 「不安なのは、覚悟してる証拠よ」

 

 胸が熱くなり、それが怖かった。ヴィヴィアナが伸びをしながら笑う。

 

 「さぁ、明日からは忙しくなるわよ。革命ってやつは、やる前の盛り上がりが一番楽しいんだから」

 

 「革命はプロローグがピーク」みたいに言うな。本当にそうなったらどうすんだ。

 

 それでも、どこか否定できなかった。夜風が吹き、広場の乱痴気騒ぎが遠く聞こえる。星空はやけに澄んでいた。俺だけが眠れなさそうな気がした。だけど、眠れないのが正しい気もした。

 

 あの熱狂の中にいたのに、今になってやっと実感が湧いてきた。革命の序曲は今まさに始まった。

 

 

 宴が終わった翌朝、里にはようやく静けさが戻り始めていた。広場の中央では、長老たちが祠の前に集まり、祈りを捧げている。

 

 「平和の女神、デーモスよ。言葉を、どうか争いへと変えぬよう……我らの心を、導き給え」

 

 祈りは、控えめだった。だがそれは、もはや何もせずに救いを待つ祈りではない。決意を抱えた者たちが、自らを律するための祈りだった。

 

 少し離れた場所で、ガリベンはイザークと向き合っていた。

 

 「……本当に、僕でよろしいのですか」

 

 ガリベンの問いに、イザークは迷いなく頷いた。

 

 「お前は剣よりもペンの方が似合う。」

 

 彼は傷だらけの自分の腕を見下ろす。

 

 「戦士が語れば、それは戦争になる。だが、お前の言葉は交渉だ」

 

 ガリベンは、しばらく黙っていたが、やがて静かに頭を下げた。

 

 「……分かりました。エルフの代表使節として、エルフェンウッドへ向かいます。必ず同盟を締結させます」

 

 その背後で、若いエルフたちが集まり始めていた。誰かが、小さな木彫りの女神像を差し出した。

 

 「デーモス神の加護を……」

 

 ガリベンは、それを両手で受け取った。祈りは、もはや彼を縛るものではない。帰る場所を示す印だった。

 

 里の門が静かに開かれる。見送りに集まったのは、戦士だけではなかった。老人も、子どもも、そして祠の前で祈っていた者たちも。彼らは、声を張り上げない。涙も、歓声もない。

 

 ただ、右手を胸に当て、静かに頭を下げる。それが、この里なりの送り出しだった。

 

 俺はその光景を前にして、胸の奥が重くなるのを感じていた。借金を返すための冒険。住処を失った流れ着き先。そんな軽い理由で始まった旅が、いつの間にか、人とエルフの未来を背負う形になっている。

 

 ガリベンが俺の前で足を止めた。

 

 「シンジさん」

 「……なんだよ」

 

 「英雄でなくても、十分です。逃げなかった。それだけで、この里にとっては……大きなことです」

 

 俺は、思わず視線を逸らした。

 

 「……期待すんな。俺は、間違えるかもしれない」

 

 ガリベンは頷く。

 「ええ、だからこそ、一緒に悩めるのだと思っています」

 

 アテナは腕を組み、満足げに微笑んだ。

 「さあ、行くわよ。交渉ってのは、時間を置くほど値打ちが下がるもの」

 

 ヴィヴィアナは眠そうに目をこすりながら呟く。

 「偏差的に言えば、ここからが本番ね」

 

 ジャンヌは静かに一礼した。

 「ご主人様。必ず、お守りいたします」

 

 里の奥で、祠の灯が、最後に一つだけ揺れた。左手に盾を掲げる女神は、何も語らない。

 

 だがその沈黙は、拒絶でも、命令でもなかった。ただ、見送る者の沈黙だった。俺たちは、その視線を背に受けながら、森の外へと歩き出した。

 

 もう、元の場所には戻れない。それでも、進むしかない道が確かにそこにあった。

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