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27話「革命序曲」

 日が傾く頃、迎賓館に案内され、広間の中央の長机に着席した。壁にはデーモス神――左手に盾を掲げる女神のタペストリーが飾られている。

 

 その前にアテナが座ってしまう光景は、偶然とは思えないほど意図的に見えた。

 

 長い食卓には燭台がずらりと並び、果実酒の香りが濃厚に漂う。森で採れた食材をふんだんに使った料理が、皿の上で宝石みたいに輝いていた。

 

 この里が飢えていると分かっているのに、俺たちは“女神の使徒”として、最高の料理でもてなされている。

 

 座席の最上位にはアテナ。両隣にジャンヌとヴィヴィアナ。そしてその横に俺。

 

 エルフの長老は俺たちを見守るように座り、静かに杯を掲げた。

 

 「女神様、勇者殿、我らは今日という日に永遠の感謝を捧げる。デーモス神も、きっとあなた方の導きをお喜びだ」

 

 壁には、盾を構えるデーモス神の大きなタペストリー。どの視線もそこを通ってから、最前列のアテナへ流れていた。

 

 料理は香りも味も素晴らしかった。美味いはずなのに、ひと噛みごとに胃が重くなった。

 

 これは本来、民が食べるべきものだ。俺たちは勘違いの偶像なのに食べている。

 

 ジャンヌは終始優雅に微笑んでいたが、ヴィヴィアナはグラスを回しながらぼそりと呟く。

 

 「歓迎会っていうより、祈りの儀式ね。全員がアテナを見てる」

 

 まさにその通りだった。アテナは食べ方さえ女神のように見える。誰もが彼女の一挙手一投足に意味を見出そうとしている。

 

 料理を運んでくる若い給仕たちの、ちょっと痩せた腕。皿を見つめる子どもたちの、飲み込みそうな視線。

 

 アテナの前に追加された皿を見て、つい耐えられなくなって声を出す。

 

 「これ……俺たちの分か?」

 

 場の空気が一瞬止まった。次の瞬間、給仕の女性が慌てて頭を下げた。

 

 「足りませんでしたでしょうか!?  すぐ追加を!」

 「いや逆! 全然逆だから! これで十分すぎる!」

 

 また空気が止まった。イザークは真剣に頷き、なぜか違った意味で解釈した。

 

 「……勇者殿は、慎ましさまで伝説と同じなのか……」

 

 そういうことにされるのか!? 誤解が誤解をえさにしてどんどん増殖していく。俺はとうとう限界突破し、トイレに行くふりをして席を離れた。

 

 数秒遅れて、ジャンヌとヴィヴィアナも立ち、最後にアテナがゆっくりとグラスを置いた。

 

 広間から離れ、木々の影に身を置く。夜風が、火照った頬を冷やした。背後で、足音がした。

 

 「気分でも悪いの?」

 

 振り返ると、アテナたちが立っていた。

 

 「……もう限界だ。俺たちが英雄ヅラして飯食ってる間に、外の連中は飢えてる。罪悪感で吐きそうだ」

 

 床に座り込みたいレベルで本音を吐き出した。

 

 「違うって言ってしまえば、誤解は解ける。『俺たちは伝説の勇者じゃありません』ってそう言えばいいだけの話だ。それで全て楽になる」

 

 ジャンヌがそっと手を挙げた。

 

 「その場合、ご主人様はどの牢に入りたいですか? 私はおそばでお世話をしたいので、同室の牢がよろしいのですが」

 「牢に入る前提はよせ!」

 

 ヴィヴィアナはワイングラスをくるくる回しながら言う。

 

 「でも誤解を解いたら、ここはそのまま滅びるわよ。みんな死んで名誉を残す未来しか見つけられなかったんだから」

 

 それは分かっている。だから胃が痛い。何もしない方がより悪、という状況だ。

 

 アテナが一歩前に出た。美しいのに、どこか怖い空気を帯びている。

 

 「シンジ。あなたの苦しみは分かる。誤解されて持ち上げられるのは苦しい。嘘で生きるのも、嘘を守るのも、好きじゃない」

 

 その通りすぎて喉が詰まった。

 

 「でもね。私たちが本当に戦うと決めたら、もうそれは嘘じゃなくなるのよ」

 

 空気が揺れた。アテナはゆっくりと続けた。

 

 「それに、私、いいことを思いついたの。エルフと人間で同盟を組むのよ」

 「……は?」

 

 「オークを倒せば、分断の歴史も霊脈結晶の件も、貧困も、ついでに、私たちの借金も、全部、ひっくるめて片付くわ」

 「お前の本音は“ついで”の部分だろ!!」

 

 ヴィヴィアナは薄く笑った。

 

 「賭けとしては悪くないわ。掴めなければ死、掴めれば未来。勝ち筋は細いほど燃えるもの」

 

 俺は首を振った。

 「……馬鹿げてる。それで、何人死ぬ」

 

 アテナは、すぐには答えなかった。代わりに、宴の灯を見つめる。

 

 「何もしなければ、この里は、ゆっくり死ぬわ」

 

 その言葉が、胸に深く突き刺さる。正論だ。逃げ場のない、どうしようもないほどの正論。俺は拳を握りしめた。

 

 その時だった。背後から、落ち着いた足音が近づいてきた。

 

 「……やはり、ここでしたか」

 

 振り返ると、ガリベンが立っていた。宴には戻らず、外套を羽織ったまま。表情は穏やかだが、その目は覚悟を帯びている。

 

 「……話、聞いてたのか」

 「ええ。全部とは言いませんが……大事なところは」

 

 彼は、俺とアテナの間に、ゆっくりと立った。

 

 「謝るつもりはありません。盗み聞きは、僕の悪い癖ですから」

 

 そう言って、苦笑する。アテナは腕を組み、何も言わずにガリベンを見ていた。珍しく、茶化す様子がない。しばらくの沈黙のあと、ガリベンは静かに口を開いた。

 

 「……シンジさん。あなたの言うことは、正しいです」

 

 その言葉に、胸が少しだけ詰まる。

 

 「戦えば、必ず犠牲が出ます。若者も、子どもも、戻らないエルフも出るでしょう」

 

 彼は祠の方へ視線を向けた。

 

 「だからこそ、エルフはデーモス神を信じてきました。争いをしなくて済む日を、信じ続けるために」

 

 夜番のエルフが、祠の前で一礼する。それは形式的で、けれど確かに心のこもった動作だった。

 

 「……でも伝説を、本気で信じている者は……もう、半分もいません。特に若者は」

 

 その言葉は、静かだった。だが、重かった。

 

 「女神が現れる。救世主が来る。里が救われる――」

 

 彼は、首を横に振る。

 

 「皆、本音では分かっているんです。そんなものは、物語だと」

 

 ヴィヴィアナが、小さく頷く。

 「だからこそ、あなたたちには理由が必要なのよね」

 

 ガリベンは肯定する。

 「はい、戦う理由。生き延びる理由。そして……動き出す理由が」

 

 アテナやガリベンの言うことも本音では理解できていた。このまま、ゆっくりと腐っていくよりも、どこかで勝負を賭けたい。そう思うエルフがいてもおかしくなかった。

 

 「……僭越ながら」

 

 静かな声で、ジャンヌが一歩前に出た。声は誰かを説得するような調子ではなかった。祈るようでも、感情的でもない。ただ、事実を整理するような声音だった。

 

 「私は、聖騎士である前に、メイドでございます。メイドとは、主に仕える者。そして主の生きる世界を、長く保つことを考える存在です」

 

 ジャンヌは、里の方角を見つめる。宴の灯。祈りの声。若者たちの剣。

 

 「ご主人様が、争いを望まれない理由。私には、よく理解できます。しかし……霊脈結晶がエルフの森で発見された以上、それを巡る争いが起こる可能性は、極めて高いかと存じます」

 

 断定ではない。だが、逃げ道を残さない言い方だった。

 

 「最悪の場合、オークは人間側を利用し、エルフの里へ侵攻させることすら考えられます」

 

 胸の奥がひやりとした。人間が、俺が、命令される側として、この里を焼く。

 

 「そうなった時、ご主人様は、自分が争いを避けた結果として起きた戦いを……」

 

 一拍置いて、問いを投げる。

 

 「本当に、耐えられますでしょうか?」

 

 責める声ではない。命令でもない。奉仕者が、主の未来を案じて投げかける問いだった。

 

 俺はすぐに答えられなかった。代わりに、ガリベンが口を開く。

 

 「僕が欲しいのは、勝利ではありません。この里が、祈るだけで終わらないための何かを始める理由です」

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。結局逃げてるだけだったのか。正義を振りかざす気はない。英雄になるつもりもない。だが、何もしないことが、より残酷な結果を招くとしたら。

 

 俺は深く息を吸った。夜の森の匂い。祠の灯。遠くの宴の笑い声。 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

 

 「……分かった。俺は、正しい戦いなんて信じてない」

 

 「それでも」と続ける。

 

 「何もしないまま、誰かが利用されて、誰かが殺されるのを、見過ごす気もない」

 

 アテナが、満足そうに口角を上げる。

 

 「やっと、現実を見たわね」

 

 「勘違いすんな。これは、覚悟じゃない。もっとカッコ悪い。……ただ逃げ場がなくなっただけだ」

 

 ガリベンは、深く頭を下げた。

 

 「それだけで、十分です」

 

 祠の灯が、夜風に揺れる。盾を掲げる女神は、何も語らない。

 

 アテナが大広間への扉を叩いた。宴の喧騒と期待の熱が一気に流れ込んできた。俺たちは否応にでも舞台に立たされる。この革命劇の主役として。

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