24話「追撃」
ガリベンの案内で、俺たちは森のさらに奥へと進んでいった。
空気の密度が明らかに高まっており、肺に吸い込むと内側がじんと痺れるような違和感があった。
「……魔力濃度が異常ね。通常の十倍以上はあるわ」
ヴィヴィアナが小声で言う。ガリベンは頷きながら、前を慎重に歩く。
「昨夜から、森の魔力の流れが暴れているんです。それを確かめに来たのですが……僕一人では到底太刀打ちできませんでした」
「あのモンスター……やっぱり霊脈結晶の影響なのか?」
俺が訊ねると、ガリベンは表情を曇らせた。
「可能性が高いですね。魔力の過剰摂取は、魔物を容易に“異常進化”させますから」
(やはり、ただ事じゃねぇな……)
木々の合間から、奇妙な光が漏れ始めた。青白い光が霧に反射し、空間そのものが淡く揺らいでいる。
「この先です。気をつけてください」
ガリベンの声は震えていた。俺たちは互いに目を合わせ、無言で頷き合った。
そして、視界が開けた瞬間、俺は息を呑んだ。
「……なんだ、これ……」
地面が裂け、大きな亀裂が走っている。その中心部から青白い光が脈打つように漏れ出し、まるで心臓の鼓動のように“ドクンドクン”という響きが足元から伝わってくる。
亀裂の内側には、鉱石のように硬質でありながら、液体のように滑らかに輝く結晶体。青、白、紫の光が層のように重なり、淡く震えている。浮遊する光の粒がまるで星屑のように舞い、俺の頬をかすめるたび、ぴりりと痛みが走った。
「すっげぇ……」
思わずつぶやいた。美しいのに、どこか恐ろしい。ガリベンは結晶に手を伸ばすことなく、静かに説明を始めた。
「これは……霊脈結晶。森の地下を流れる魔力の大河――“霊脈”が、長い年月をかけて固まったものです。エルフ族の伝承では森の心臓と呼んでいます。」
「森の……心臓……」
ジャンヌも息を呑んだ。一方でぽつりと呟いたのはヴィヴィアナだった。
「……高純度の結晶ね」
彼女は魔力の流れを観察しながら続ける。
「この密度なら……魔導兵器の材料、魔術薬、都市基盤の強化、軍事力……国家の力関係すら変わるわ。これを巡って争いが起きても不思議じゃない」
「……ほ、本物……」
アテナが震えていた。恐怖ではない。欲望だ。
「こ、これ……いくらよ? どれくらいの値段になるの……?このサイズ……いや、この純度……! シンジ、借金どころか……私たち、一生遊んで暮らせるわよ!!!」
「やめろアテナ!! 霊脈の鼓動よりお前の計算の方がうるさい!!」
「しかも! しかもよシンジ!! 信徒を増やすための広報費も確保できるし、美容院も高級コース、エステも……!」
「だから黙れって言ってんだろ!!」
アテナの暴走に、ジャンヌとヴィヴィアナが後ずさる。ガリベンだけが苦笑しながら、小さく首を振った。
「……人間は、ほんとにどこでも逞しいですね」
「いや、あいつはちょっと特殊な人種なんだ……」
俺が誤魔化していると、突然、地面が震えた。足元からドンドンと、重い衝撃。森の奥から、鉄の足音が響く。
「この音は……」
ガリベンの顔から血の気が引いた。霊脈結晶の価値を知る者、それは当然俺たちだけではなかった。
その足音は、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ近づいていた。重たい金属音が、森の奥から連続して響いた。まるで大地そのものが歩いてくるような足音だった。
数秒後、姿を現したのは、黒鉄の鎧をまとったオークの重装歩兵分隊。それだけじゃない。後方には、妙な器具を背負った魔導技師のような奴までいる。
完全に戦闘用の編成だ。宝探しじゃない。奪いに来ている。支配のために。
先頭の兵長らしきオークが、俺たちを鋭く睨みつける。その視線は、壁のように重く、殺気を帯びていた。
「……エルフと、人間? 珍しい組み合わせだな。ここは立ち入り禁止区域だ。何をしている?」
ガリベンが一歩前に出て、震える声で応じる。
「ぼ、僕たちはただ森の異変を調べて――」
「黙れ」
オーク兵長は短く吐き捨てるように言い、霊脈結晶の裂け目へと視線を向けた。その瞳が一瞬だけ、ぎらりと光った。
「……やはり。噂どおりだ。高密度の霊脈が露出している。これは我らにとっての切り札になる」
兵長は腕を広げるように示し、部下たちに命じた。
「奪取する。証人は残せん。人間もろとも殺せ」
「おいおい!! 急に物騒すぎるだろ!」
俺が叫ぶと、兵長がこちらを睨みつけた。
「魔王軍との戦いでこの大陸は混乱し続けている。レガリア帝国は資源を独占し、我らの故郷を圧迫している。霊脈結晶は、我らが権利として奪い取る!」
(……くそ。こいつらにはこいつらなりの“理由”があるってわけか)
とはいえ、殺されるわけにはいかない。オークたちが武器を構え、じりじりと距離を詰めてくる。
「ど、どうするのよ……!?」
アテナが小声で仲間に問いかける。
「正面から戦うのはやめておいた方がいいわね」
ヴィヴィアナが冷静に言う。
「オークは一人一人が生まれながらの戦士よ。私達とは練度や才能が段違い。奇襲ならともかく、まともに戦って勝とうとするなら、上級職冒険者が1ダースほど必要よ」
1ダースだと。今ここには3人の上級職しかいないし、俺は底辺冒険者。おまけに今日初めて合ったばかりのエルフ青年までいる。
ジャンヌが震える声で盾とメイスを構える。
「ご主人様。覚悟は出来ております。どうか、ご命令を」
オークたちがさらに近づく。鉄甲冑がぶつかるたびガシャンと鈍い音が響く。
(正攻法では分が悪い……なら――)
俺は視界の端に映る地形を一瞬で確認した。裂け目の傾斜、倒れかけの樹木、その向こうに続く細い道。逃げ道は……ある!
「全員、こっちだ!! 走れッ!!」
俺は叫び、ジャンヌの盾を叩いた。
「ジャンヌ! 衝撃に備えろ!」
「は、はいっ!」
俺が倒木を蹴り飛ばし、斜めに倒れるよう誘導すると、重力で倒木がオークたちの進行方向へと転がっていく。直撃はしないが、足止めには十分だ。
「いまだ! 全員、斜面を滑り降りる!」
「え、ちょっ――きゃあああああ!!」
アテナが悲鳴を上げ、泥まみれで滑り始める。
「ご主人様ァァァ!! 手を!!」
ジャンヌは俺の手を掴みつつ、器用に盾を滑走板にして滑り降りる。ヴィヴィアナは斜面を滑りながらも無表情で、
「正面から転倒する確率は七割前後……まぁ当たりね」
「当たりじゃねぇだろ!!」
泥と草と霧にまみれた滑走の数秒が、やけに長く感じられた。斜面の下に着地した頃には、俺たちは全員泥だらけになっていた。
「いっ……てぇ……くそ、どこに着地しても痛ぇ……!」
「奥様……お怪我は!?」
「泥よ!! 泥がついたわ!!」
「魔力の乱れ……深刻ね。オークたち、追ってくるわ」
上方からは、オークたちの怒号が響いていた。
「逃がすな、包囲して捕らえろ!!」
(やばい……このままだと街に戻る道すら塞がれる……!)
息を切らしながら振り返ると、ガリベンが肩で息をしながら言った。
「……街に戻るのは危険です。オークたちは必ず伝令を走らせる。人間の往来を監視するはずだ」
「じゃあどうする?」
俺は問う。ガリベンは迷いなく答えた。
「エルフの里に逃げましょう。そこなら一時的に匿える。……“人間”への警戒は強いけど、君たちは命を救ってくれた。僕が説得する」
アテナは即座に頷いた。
「なら行きましょう。森を抜けるよりは確実よ」
ジャンヌは胸元で両手を組んだまま、小さく祈るように頷く。
「エルフの方々にご迷惑をかけぬよう、節度を持って振る舞います」
ヴィヴィアナは気怠げに笑った。
「追っ手に殺されるよりは、警戒される方がマシね」
エルフの里。人間が入るなんて、本来なら絶対にありえない場所だ。しかし今は、それ以外の選択肢がない。
「……行くしかねえよな。ガリベン、案内を頼む」
ガリベンは強く頷いた。こうして俺たちは、追撃の足音が迫る森の中を、エルフの里へ向けて走り出した。




