23話「霊脈結晶」
洞窟を失った日の午後のことだ。寝不足と筋肉痛がまだ身体に残っているのを感じながら、俺たちはなんとか街の中心部まで歩いてきた。朝の空気は湿り気を含み、冷たい。今朝の大雨が残した水溜りを踏むたび、靴の底が不快な音を立てた。
ギルドの前に着くと、いつもと違う騒ぎが耳に飛び込んでくる。
「おい、聞いたか? 森が夜通し光ってたらしいぞ!」
「魔物の動きもここ数日やたら活発じゃねぇか。嫌な予感しかしねぇ」
「俺の友達、森の近くで“青白い柱が立ってた”って言ってたぞ……」
建物の前には冒険者が十数人集まり、ざわついている。怪我人まで混ざっており、包帯の隙間から血が滲んでいる者もいた。
森が……光った? 俺が眉をひそめていると、ヴィヴィアナが腕を組んで呟いた。
「青白い光……夜通し発光……魔力の脈動……この特徴、なんとなく心当たりがあるわね」
「なんだよ、心当たりって?」
「高濃度の霊脈結晶が地表に露出した時に起こる魔力暴走光。アカデミーではそう呼ばれていたわ」
「霊脈結晶……?」
聞き慣れない単語だ。俺が首を傾げると、ヴィヴィアナがいつもの冷静な調子で説明を始めた。
「簡単に言えば、森の地下深くに流れるレイライン――魔力の大河ね。それが長年圧縮されて固まった宝石みたいなものよ。小さな欠片でも強力な魔力源になるし、粉にすれば魔法薬の精度も上がる。魔導兵器の材料にもなるわ」
「つまり……それなりの重要資源ってことか?」
「ええ。国家が奪い合うレベルのね」
なるほど、石油とレアアースが合体したようなもんか。
その瞬間、前に居たアテナの動きが止まった。ゆっくり振り向くと、金色の瞳がギラギラに輝いている。
「……国家レベルの価値?」
「いや、アテナ。お前のその目は危険な匂いしかしないぞ」
「シンジ、霊脈結晶って……売れたりしないかしら? 売ったら……借金返済どころか……高級エステのスペシャルコースが……!」
「聞いてねぇ!!」
完全に強欲の女神のスイッチが入っている。騒ぎの中心ではギルド職員が掲示板に新しい紙を貼っていた。
【急募】北部森林地帯の異変調査クエスト/Eランク/報酬:銅貨3枚
「安っ!!」
俺の脳が反射的に叫んだ。命がけの調査で銅貨3枚ってなんだよ。もともと森林地帯のモンスターは町周辺に比べて、脅威度が高い。
案の定、周囲の冒険者は一斉にそっぽを向く。
「ふざけんな、こんなので誰が行くか」
「森に異変が起こってるんだぞ? 俺は絶対行かねぇ」
その中でアテナが誰よりも早く手を挙げた。
「はいはい、私たちが行くわ!」
「ええ!? お前、さっきまで高ランククエストだけ請けるべきだって言ってたよな!」
「この街の安全のためよ。ランクなんて関係ないわ。森に異変があるなら、無視はできない。勇者パーティーである私たちが動かなくてどうするの!」
アテナは胸を張っているが、目の奥に“計算”が見える。そのギラついた視線は、金の匂いのする方角を正確に捉えていた。
ジャンヌが嬉しそうに微笑む。
「奥様……やはり街の未来を誰よりもお考えなのですね」
ギルド職員が書類を渡しながら苦笑いを浮かべた。
「本当に行ってくれるんですか? 正直、他の人が誰も受けてくれなくて……助かりますけど……」
こうして、俺たちは“森の異変調査”のクエストを受けることになった。いや、アテナの暴走に巻き込まれた、と言うべきか。
森へ続く街道に入ると、急に空気が変わった。背の高い木々が並び、枝が空を覆って光を遮断している。風の音がしない。鳥の声もない。
まるで、森そのものが息をひそめているみたいだった。
「……嫌な静けさね」
ヴィヴィアナが言った。声を潜めたわけじゃないのに、自然と小さく聞こえる。
舗装されていない道を踏みしめるたび、土と湿った葉の匂いが強くなる。森の入口に到達した瞬間、俺は足を止めた。
そこには境界線を意味する木製の警告札が立っていた。
【注意】 ここから先、エルフ領。許可なき人間の立ち入りは禁ずる。
ついに来た。ここが分断の境界線。人間とエルフの歴史を聞いたばかりだから、余計に重く感じた。
「どうする?」と俺が問う。
アテナは一歩も迷わない。警告札の前に立ち、振り返って俺たちを見る。
「調査依頼よ。街を守るために必要な任務。正当な理由でしょ?」
力強い言葉だ。けれどそれは、本当は誰のための使命感か。
「奥様のお言葉、正論だと思います」
ジャンヌは完全に信じ切っている。ヴィヴィアナは肩をすくめる。
「まあ、退屈するよりはいいわ。今夜の宿代位は稼げるし」
俺は剣の柄を強く握った。覚悟というより、逃げ場を塞がれた感覚だ。
「行くぞ」
俺の声より先に、アテナが境界線の中へ足を踏み入れた。金の髪が、深い森の闇に飲み込まれていく。俺たちも続くしかない。森の空気は冷たくて重い。土の匂いが濃く、木々の葉がかすかに擦れ合う音がやけに大きく聞こえる。
足を進めながら、俺は気づいた。ここから先は、もう後戻りできない。街の政治でも、歴史の分断でもなく、もっと大きな渦に巻き込まれていく予感がした。
森の奥へ進むほど、空気は重くなった。土の匂いは濃く、足音は吸い込まれていくようだった。そのとき、耳を裂く悲鳴が聞こえた。
「た、助け──!」
人の声。俺は反射的に走り出していた。
「奥様、危険です! ここは私が前へ!」
ジャンヌが盾を構え、アテナの前に立つ。悲鳴の方向へ抜けると、開けた空間に出た。
エルフの青年が、一体の魔物に追い詰められていた。狼のような魔物だが、身体は異様に膨張し、背中に石のような結晶片が突き出している。目は真紅に濁り、唸り声は金属をこすったような不気味な響きだった。ヴィヴィアナがまじまじとモンスターを見つめる。
「霊脈結晶の異常で変異してるわね」
青年は弓を構えてはいるが、恐怖で腕が震え、矢は地面に落ちている。
「くそ……っ!」
迷う理由なんて無かった。こいつがエルフだとか、敵か味方かなんて、どうでもよかった。
「ジャンヌ、前へ! ヴィヴィアナ、右へ! アテナは支援!」
指示は一瞬。そこから全員が動いた。モンスターの爪が振り下ろされ、ジャンヌの盾が火花を散らす。
「はあああッ──!!」
衝撃で地面が揺れる。ジャンヌは踏み込んで押し返し、俺の攻撃のための隙を作った。俺は左に回り込み、剣を振り抜く。刃が硬貨した外皮に食い込み、紫色の血が飛び散った。
だが、深くは通っていない。
「やっぱ、硬えな……!」
モンスターが尾で俺を払い落とそうと振り向いた瞬間──
「《偏差火葬》!」
ヴィヴィアナの魔法陣が展開。アーマードタートル戦の時よりも、サイズが小さい。威力を抑えているのだろう。魔力が爆ぜる音がし火球が放たれる。
モンスターには当たらなかった。だが、外れた火球が背後の巨木に着弾。木を中心に大爆発。衝撃でモンスターの体勢が崩れた。
「今よ、シンジ!」
「分かってる!」
崩れたモンスターの首筋へ跳び込み、全体重を乗せて剣を叩き込む。刃が通った。深く、確実に。獣が痙攣し、泥の上に崩れ落ちた。息が漏れる。ようやく終わった。
「大丈夫か?」
青年は驚いたように目を丸くし、次に小さく微笑んだ。眼鏡の上からでも分かる、透き通るような緑の瞳。金糸のような髪が汗で濡れ、頬に張りついている。
「……助けてくれてありがとう。人間たち」
声は掠れているのに、品のある話し方だった。
「僕はガリベン。異常が起こった場所を調査するため、エルフの里から来たんだ。そうしたら、モンスターに襲われてしまって」
アテナが一歩前に出た。彼女の金の髪が、森の薄暗さの中で異様に目立つ。
「私たちも同じ目的で来ているわ。光の原因を探す調査よ。案内できる?」
ガリベンは一瞬迷ったようだった。人間とエルフの歴史を知っていれば当然だ。だが、俺たちが命を賭して助けたこともまた事実だ。そしてゆっくり頷いた。
「……分かった。行こう。君たちは命の恩人だからね」
ガリベンが立ち上がり、森の奥を指差した。
「光の源は、あの先。森の“心臓”に近い場所だ」
俺たちは息を整える暇もなく、再び歩き始めた。




