表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/37

22話「崩壊」

 「……うわぁ……」

 

 中は泥だらけだった。濁った水が引いたあとに残した薄茶色の泥が床一面に広がり、寝袋は流されて壁にへばりつき、木箱は砕けて、中身が散乱している。俺が数日前に買ったばかりの鍋は泥水の中で横倒しになり、ジャンヌが苦労して洗ってくれた皿は粒子まみれだ。

 

 奥のほうにはアテナの宝物庫、美容ルームがあったはずだ。沈黙が走る。アテナがそろそろと歩み寄り、泥の山に手を突っ込む。

 

 金の装飾が施された箱は、もはや原型をとどめていなかった。木材は割れ、内部の瓶はいくつか砕け、香油の甘い匂いが泥臭さと混ざり、むせ返るような異臭を放っていた。

 

 「…………」

 アテナは何も言わなかった。ただ、濡れた睫毛が震え、肩が小さく上下する。

 

 ヴィヴィアナがため息をつく。

 「冷静に考えれば予測できた事態よね。初めから、この洞窟自体が水はけが悪かったのよ」

 

 ぐうの音も出ない正論だった。俺は思わず頭を抱えた。

 

 (昨日俺はなんて言った? 少なくとも、帰るべき家があるって笑わせるなよ)

 

 目の前の現実は、まさにその言葉をあざ笑うようだった。

 

 「ご主人様……どうなさいますか?」

 ジャンヌが不安げに問いかける。彼女のメイド服も泥で汚れ、裾が重そうに垂れていた。

 

 「どうするもこうするも……これじゃ住めないだろ」

 

 俺は泥を踏みしめて洞窟の奥まで確認した。入り口から約三十メートルほどの地点で、地面が大きく抉れ、水が流れ込んだ形跡があった。岩壁には水の跡が帯状に残り、何度も波が押し寄せたことを示していた。

 

 寝具はほぼ全滅。調理器具も、道具類も、多くが流されたか壊れたかしていた。はっきりとわかった。ここに住むのは、もう無理だ。それにこのがれきの山を片づける気力はむもうなかった。

 

 「……終わったな」

 

 現状を変えるどころか、さらに悪化した。これからの宿代を考えるだけで胃が痛くなってくる。俺の呟きに、三人は返事をしなかった。

 

 重たい沈黙だけが洞窟に漂う。外から吹き込む朝の風が、湿った土と腐敗した木の匂いを押し込んでくる。

 そ

 れでも、人は腹が減るらしい。しばらくしてジャンヌが、使えなくなった鍋の代わりに金属板を拾い上げ、小さな焚火を作りはじめた。火打石を鳴らし、湿った薪に火をつけようとするが、なかなかつかない。煙だけが白く立ちのぼり、俺の鼻を刺激した。

 

 「……皆様、なんとか朝食は用意できそうです」

 「すまん……」

 

 やがて小さな炎がようやく薪を舐め、じりじりと燃え広がっていく。

 湿ったパンを炙ると、わずかに香ばしい匂いが立ち上った。しかしそれでも、食欲が湧くほどの力はない。

 

 「帰る家がなくなっちゃったわね」

 

 ヴィヴィアナがぼそりと呟く。俺は返す言葉を見つけられなかった。

 

 焚き火の炎が弱く揺れ、洞窟の影が長く伸びた。その影は、まるで俺たちの未来が漂っている暗闇そのもののように思えた。

 

 湿ったパンを噛むと、口の中でぐしゃりと潰れ、冷たい酸味だけが広がった。焚き火は弱々しく明滅し、濡れた薪がときおりじゅっと湿った音を立てる。

 

 借金まみれ。家(洞窟)は崩壊。寝具もほぼ全滅。かろうじて、装備だけは持ち出せた。

 

 みんなを巻き込んでここまで来たのは……俺とアテナだ。借金返済の義務があるのも俺とアテナだ。そもそも、ジャンヌとヴィヴィアナは上級職。性格がちょっとアレだが、いくらでも就職先はあるだろう。

 

 (これ以上、こいつらを巻き込むわけにはいかないな)

 

 俺はゆっくりと息を吸い、肺に冷たい朝の空気を押し込んだ。

 「……みんな」

 

 声は自分でも驚くほど掠れていた。三人が同時にこちらを見る。アテナは毛布を肩に掛け、濡れた金髪を指で梳きながら眉を上げた。ジャンヌは膝の上で両手を組み、まっすぐに俺を見る。ヴィヴィアナは焚き火越しに目を細め、静かに首を傾げた。

 

 俺は、はっきりと言った。

 

 「……ここで、パーティーを一回解散しようと思う」

 

 焚き火の音が止まったように感じた。

 

 「…………は?」

 

 一拍遅れて、アテナの声が洞窟跡の空気を震わせる。眉が跳ね上がり、毛布がずり落ちる。

 

 「ちょっと待ちなさい。いまの、冗談じゃないわよね?」

 「冗談じゃない。家も失って、金もなくて……これ以上迷惑かけられないだろ」

 

 ジャンヌが真剣な顔で口を開く。

 「ご主人様。迷惑だなんて、一度も思ったことはありません」

 

 「でも――」

 言いかけた俺の言葉を、ヴィヴィアナの静かな声が切った。

 

 「私ね。四人で破産した方が面白いと思ってるのよ」

 「いや、面白さ基準で決めんな!!」

 

 だがそのツッコミに、力はなかった。むしろ胸が熱くなる。

 

 「それに、あなたがいなくなったら……私が魔法を暴発した時にツッコむ人いなくなるじゃない」

 

 「理由そこ!?」

 

 「あなたの叫び声って、すごく緊張感があって……戦闘の偏差が高まるのよ。あれが無いと、つまらないわ」

 

 「俺をおもちゃにするんじゃねえ!!」

 

 ジャンヌが続けた。

 「ご主人様。私はメイドです。ご主人様が行く場所が、私の居場所です。どれほど貧しかろうと、泥だらけであろうと、私はお側を離れません」

 

 その瞳は曇りひとつなかった。さらにアテナが、大きなため息をついた。

 「……はぁ、ダメよ。あんたがいなくなったら、私が女神として仲間を導く絵面が完成しないじゃない!」

 

 「え、絵面……?」

 

 「――じゃなくて! 私たちは魔王討伐パーティーでしょ。一人でも戦力欠けたらまずいのよ……だから、ほら、……ね?」」

 

 口調は相変わらず高飛車なのに、どこか照れているように感じた。俺はゆっくりと笑った。

 

 「……わかったよ。じゃあ今日からまたゼロからやり直すか」

 

 三人が同時に頷く。

 

 「もちろんよ!」「はい、ご主人様!」「破産記念パーティね」「ちげぇよ!!」

 

 そんなやり取りすら、なんだか懐かしくなる。

 

 朝日が森の向こうから差し込み、濡れた地面を金色に染めた。

 毛布の温もりも、弱い焚き火の炎も、四人の明るい声も、全部が、どこかへ落ちていた心をひき上げていく。

 

 俺たちは顔を上げて歩き出した。新しい生活場所を探すために。

 

 そのとき背後で、轟音が響いた。振り返ると崩れかけていた洞窟がついに力尽き、入口から奥まで、盛大に崩れ落ちていった。

 

 俺たちは無言で見つめるしかなかった。そして、ヴィヴィアナが言った。

 

 「……帰る場所、本当になくなっちゃったわね」

 

 三人の笑い声が、澄んだ朝空に吸い込まれていった。

ブクマ、感想等々、励みになりますのでよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ