21話「洞窟」
シェルバスター討伐報酬の9割を税金として取られるというあの衝撃的なイベントから数日後。俺たち四人は、たいした報酬にもならないEランククエストを終え、全員が疲労で無言のまま、自分たちの家――洞窟へと歩いていた。
洞窟の入口は、いつものように薄闇に包まれていた。内部からほのかに橙色の光が揺れているのが見える。ジャンヌが先にランタンを掲げ、中へ足を踏み入れた。
「ご主人様、外よりは暖かいようです」
湿り気を含んだ空気がふわりと肌にまとわりついた。岩壁が蓄えた熱がゆっくりと吐き出されているのだろう。奥に置いた焚き火の残り火が、石壁を不規則に照らしていた。
ああ、帰ってきた。豪邸でも宿屋でもないが、寝袋を並べて眠るだけの場所でもない。皆で改築作業をして住みやすくした家だった。
荷物を下ろすと、自然と作戦会議が始まる。椅子代わりの丸太に腰掛け、湿った空気に包まれながら、俺は重いため息をついた。
「……で、今日の報酬がこれだけか」
テーブルの上にに、小袋を置く。中身は悲しくなるほど軽かった。
アテナがそれを覗くなり、眉間に皺を寄せる。
「少なすぎるわ。私の美容液どころか、明日の朝食代にもならないじゃないの」
「そもそもクエスト自体が低報酬ばっかなんだよ。高報酬依頼なんてそうそう転がってねぇって……」
俺が言うと、ヴィヴィアナが指先で小さなサイコロを転がす。
「高報酬クエストを引く確率。そうね、偏差を考慮すると約一八%ってところね。悪くないじゃない?」
「その偏差基準やめろ。完全にギャンブルだろ」
ジャンヌが丁寧にメモ帳を開いた。
「皆様、節約案をいくつかご提案します。まず奥様の美容院の回数を減らし――」
「絶対却下」
アテナの即答に、ジャンヌは一瞬だけしょんぼりした後、すぐに笑顔に戻った。
「では、私の食費を」
「それも却下だ。ジャンヌが倒れたら、俺たちが死ぬんだよ。そもそも、税金は高いし、報酬自体も少ない。節約には限界がある」
洞窟の中に、焚き火のぱちんと弾ける音が響く。湿った薪から立ち上る煙が、薄く甘い木の香りを漂わせた。
しかしその香りとは裏腹に、俺たちの空気は重かった。結局のところ、おれたちに必要なのは――。
「現状を変える必要があるってことよね」
ヴィヴィアナが指摘した。俺とジャンヌが沈んだ顔で頷く。アテナがぽつりと漏らす。
「……このままじゃ、ほんとに借金生活から抜け出せないわ」
湿り気を帯びた洞窟の空気まで、さらに沈んでいくようだった。そこで、俺はあえて笑った。
「まあ、少なくとも俺たちには帰るべき家があるんだ。贅沢言えるほどの生活じゃないけど、地道に頑張ってればチャンスが来るだろ」
岩壁に俺の声が反響し、揺れる焚き火の光がアテナの横顔を照らした。アテナは少しだけ驚いたように目を瞬かせ、そしてゆっくりとうなずいた。
「……そうね。帰る場所があるって、案外大事なことかもしれないわ」
その言葉に、ヴィヴィアナもジャンヌも小さく笑った。焚き火の炎が、さっきよりも少しだけ暖かく見えた。
どれくらい眠っていたのだろう。身体の芯まで疲れていたはずなのに、俺は妙な冷気に包まれて目を覚ました。
まず感じたのは、膀胱の重たい訴え。次に、背中にまとわりつく湿り気だ。
(……トイレ、行くか)
寝袋から這い出る。洞窟の空気はいつもよりひんやりしていて、鼻腔に湿った石と土の匂いが強く入り込んだ。肩をすくめながら足を踏み出す。
ぴちゃっ。足元で、あり得ない音がした。
視線を下げると、薄暗い洞窟の床に水が広がっていた。それも、ただの水たまりじゃない。俺が体重をかけた瞬間、水面がゆらりと揺れ、冷たさが足首に触れた。
「ちょ、ちょっと待て……なんだこれ!」
慌てて数歩後ずさると、波紋が黒い床を走る。洞窟の奥から、金属がこすれるような、濁った水流の音が聞こえてきた。胸がざわつき、焦りが一気に噴き上がる。
(浸水……!? 雨か!? 大雨で外から水が逆流してきたのか!?)
完全に眠気など吹き飛んだ。
「みんな起きろ! 洒落になってねえぞ!」
俺は慌てて寝袋の山へ駆け寄り、順番に全員の肩を揺さぶった。
「ご主人様……? お湯加減はいかがですか……」
ジャンヌが寝ぼけ眼で意味不明なことを言う。
「風呂じゃねぇよ! むしろ、冷たいわ!」
次にアテナの肩を揺らすと、金髪がびしゃっと濡れて肌に貼りついた。
「な、なに!? シンジ、夜中に急に……もしかして夜這い!?」
「ちげーよ! 水! 浸水してんだよ!」
その単語でようやく覚醒したらしく、アテナが跳ね起きる。
「はぁっ!? 私の美容ルームが水没するじゃない!!」
「心配する順番おかしいだろ!」
最後にヴィヴィアナの肩を揺らした瞬間――
「……水、ねぇ……偏差が……乱れる……」
寝言のように呟いたあと、ゆっくり目を開ける。
「寝ぼけてないで起きろ!! 洞窟沈むぞ!!」
四人が慌てて荷物を抱え、浸水が迫る洞窟の奥から出口へ走る。水はすでに足元まで満ち、冷たさが肌に刺さるようだ。踏みしめるたび、足元で音が響く。
洞窟の外へ飛び出すと、空気が冷たく、夜の匂いが強く鼻についた。遠くで雷鳴がくぐもった低音を響かせ、森の木々が雨の余韻で滴を落としている。
「はぁ……助かった……のか?」
振り返ると、洞窟の入り口近くまで黒い水が満ちていた。その静かな迫り方がかえって恐怖を引き立てる。しばらく見つめていると、アテナがずぶ濡れの金髪を払いながら言った。
「……最悪よ。帰ってきた翌日に浸水って、そんなことある?」
「偏差の女神でも予想つかないわね……これは」
ヴィヴィアナが不満げにむすりと口を尖らせた。
息は切れていたが、無事に避難できた安堵で、俺はしばしその場に立ち尽くした。浸水した洞窟から、ひたひたと水があふれ続ける音が、夜の森に長く響いていた。
夜が明けると、森はしんと静まり返っていた。あれほど激しく降っていた雨はすっかり止み、代わりに、冷え切った湿気が空気に漂っている。土はぐしょりと水を含み、踏みしめるたびにじゅくっといやな音がした。
俺たちは濡れた身体に朝風を浴びながら、避難先から洞窟へと戻ってきた。眠気は残っているが、胃の奥の重さのほうが勝っていた。
(……頼む、使える状態であってくれよ)
淡い期待を胸に、洞窟の入り口を覗き込む。




